僕が小さかった頃、我が家は毎朝パンを食べていた。
父が胃が弱いとかでパンにしていたのだが、
それだけでなく父はパンが好きだったのだろう。
今思うとそんなに消化がよかったようには思えない。
父はバターを特に厚く塗って、いちごジャムのいちごをそのまま、バターの上に載せるようにして食べていた。
飲み物は紅茶だった。
このスタイルは晩年になってもずっと続いていた。
よく通っていた喫茶店ではコーヒーばかりを飲んでいた。
自他ともに認めるコーヒー党だったのだが、自宅での食事では紅茶だった。
最近ふと思う。父は本当にコーヒーが好きだったのだろうか。
よく食べていたジャムは鎌倉駅の近くのはちみつ屋さんで量り売りのジャムを買っていた。
ガラスケースのなかの大きなバットに山盛り入ったいちごやりんごのジャム、
チョコレートやピーナッツクリームもあった。
そういえばみかんのジャムもあった。ママレードではなくみかんのジャムなのだ。
嬉しいことにそのお店は未だに営業をしている。
でも今ははちみつだけでジャムの量り売りはやっていないようだ。
父が亡くなって今年の夏で、もう17年になる。
にほんブログ村
父が胃が弱いとかでパンにしていたのだが、
それだけでなく父はパンが好きだったのだろう。
今思うとそんなに消化がよかったようには思えない。
父はバターを特に厚く塗って、いちごジャムのいちごをそのまま、バターの上に載せるようにして食べていた。
飲み物は紅茶だった。
このスタイルは晩年になってもずっと続いていた。
よく通っていた喫茶店ではコーヒーばかりを飲んでいた。
自他ともに認めるコーヒー党だったのだが、自宅での食事では紅茶だった。
最近ふと思う。父は本当にコーヒーが好きだったのだろうか。
よく食べていたジャムは鎌倉駅の近くのはちみつ屋さんで量り売りのジャムを買っていた。
ガラスケースのなかの大きなバットに山盛り入ったいちごやりんごのジャム、
チョコレートやピーナッツクリームもあった。
そういえばみかんのジャムもあった。ママレードではなくみかんのジャムなのだ。
嬉しいことにそのお店は未だに営業をしている。
でも今ははちみつだけでジャムの量り売りはやっていないようだ。
父が亡くなって今年の夏で、もう17年になる。
にほんブログ村