大阪に2日まで滞在するというチャンスを利用して、昨日、奈良に住む叔父宅に泊めていただき、叔父家族と楽しいひとときを過ごしました
。
叔父と会うのは、1月27日の法事の時以来ですから、そんなには経っていませんが、大らかな性格なので、楽しみにはしていました
。
ちなみに、奈良に住む叔父は、中小のゼネコン関連企業の社長をしています。
就任してから、そんなに日が経っていないので、「毎日勉強や
」と語っていました。
まったく同感ですね。小生自身にも矢印が向く
言葉だと思います。
いろいろな考え方の従業員がいて、若手から年輩まで、それこそ幅広い世代の従業員を束ねることは、並大抵のことではできません。
若手の従業員の意見をうまく汲み上げ、それをビジネスに活かすには…ということを常に考えながらも、「何とかなるさ
」という気構えで、ここまできた…と、昨日の昼過ぎから日付が変わる今日の0時30分ごろまで、酒
を飲みながら語っていました。
そんな大らかな性格は、昔から変わらないところが、叔父の凄さ
だと改めて感じます。
その叔父との語り合いの中で、ちょっと興味深い話題を、読者の皆さんに紹介したいと思います
。
叔父もそんな立場にある以上、若手従業員に入社してほしいと、高校や高専などを訪問し、「スカウト活動」をしているようです。
しかし、最近の青年は、どうも「泥臭い」…いわゆる「キツイ」「キケン」「キタナイ」の3K職場には、興味を持たないのだとか…
。
いざ、面接してみても「熱いもの」…そうです、仕事に対する「情熱」みたいなものが、感じられないのだそうです。
そこで叔父は、「なぜ青年達がそんな無気力になったのか」…を、考えたそうです。
叔父の結論は、どうも、この世の中が「便利」に「なりすぎ」てしまい、何もしないでもある程度は生活できる…。
どうも、そこに「若い」青年達が落とし所を見出しているようで、進んで「苦労」してまで働くことに抵抗感を持っているのでは
…とのことでした。
言葉を変えると、叔父曰く「若さゆえに持ってるはずの『エネルギー』の発散の場を、自分自身で見出せないから、仕事に対しても『無気力』になったのではないかと思う」とのこと…。
これ、すごく頷けます。
小生は、高校3年間、「応援団」に捧げることで、叔父曰く「エネルギー」を発散していました。
だから、大学受験に2度も失敗しても「全く後悔なし
」なのでしょう。
また、風屋さんが『入団式』という記事をエントリーされていますが、小生のこのエントリー記事に対するコメントに対し、風屋さんは、以下のようにレスを下さっています。
『応援団にしろ、バンカラにしろ、普通に考えればバカバカしい風習かも知れませんが、わかいうちのこんな邪気が、SPIRITSを育てるのだと、私は思うのです。』
この風屋さんのレスに、小生、全く同感でして、そのことを風屋さんにお伝えしたところ、風屋さんはさらに続けて…
『世の中を変えるのは「よそ者、若者、バカ者」だそうです(笑)。このうち2つが揃ってる学校ですから、きっとイノベーションの旗手になってくれるでしょう。』
と語っておられます。
2人のご子息の父親からの視点で見た鋭い指摘で、叔父が言わんとしていることを代弁なさっているレスであると、小生は理解しています。
本当に、全く共感できますね~
。
叔父と小生の共通点は、「とにかく声が大きい」こと。
こういう本人の「個性」を理解し、発揮できることこそ、「健全」なことではないかと考えます。
決して、「自分を殺す」ことはしないで良いと思うのです。
これは、「大人」になってからでは、なかなかできないことで、言葉が適当ではないかもしれませんが、「若気の至り」を良い方に解釈できれば、どの青年にもできることではないかと思うのです。
「若い」から、「エネルギー」を発散できるのが、たとえ常識外れ(当然、犯罪にならない程度です)であっても、ある意味許される…。
でも、そうすることを怖がると、大人になって、本当に「修羅場」や「大きな壁」が待ち構えたときに、立ち回りができない…。
今は、「若い」人達に、それが欠けているような気がします。
それだけ、「世知辛い世の中」になっているのでしたら、小生達「大人」にも、責任はあるのかもしれませんが…
。
小生も、世間知らずながら、自社に興味を持っていただけるように、出身大学を訪問して学生を「スカウト」する、「リクルーター」という仕事も、現業優先の中やっています。
2年ほど前と比較しても、「目に輝き
のある学生」が減ってきているような気がします。
それは、少し残念のような気がしています。
「若さ」の発散の方法…そしてその場所…。
「若い」からこそ見出せるものです。
「大人」になると目が曇るようなことが、「若い」がゆえに見えることもあります。
小生も、気持ちだけは「若い」と思っています
が、今の「若い」青年達にも、「若さ」を発散できる場所を、自分の力で見出して欲しいと願うばかりです。
そんな「青年」が増えたら、日本もまだまだ捨てたものではないと、小生は信じています
。

叔父と会うのは、1月27日の法事の時以来ですから、そんなには経っていませんが、大らかな性格なので、楽しみにはしていました

ちなみに、奈良に住む叔父は、中小のゼネコン関連企業の社長をしています。
就任してから、そんなに日が経っていないので、「毎日勉強や

まったく同感ですね。小生自身にも矢印が向く

いろいろな考え方の従業員がいて、若手から年輩まで、それこそ幅広い世代の従業員を束ねることは、並大抵のことではできません。
若手の従業員の意見をうまく汲み上げ、それをビジネスに活かすには…ということを常に考えながらも、「何とかなるさ


そんな大らかな性格は、昔から変わらないところが、叔父の凄さ

その叔父との語り合いの中で、ちょっと興味深い話題を、読者の皆さんに紹介したいと思います

叔父もそんな立場にある以上、若手従業員に入社してほしいと、高校や高専などを訪問し、「スカウト活動」をしているようです。
しかし、最近の青年は、どうも「泥臭い」…いわゆる「キツイ」「キケン」「キタナイ」の3K職場には、興味を持たないのだとか…

いざ、面接してみても「熱いもの」…そうです、仕事に対する「情熱」みたいなものが、感じられないのだそうです。
そこで叔父は、「なぜ青年達がそんな無気力になったのか」…を、考えたそうです。
叔父の結論は、どうも、この世の中が「便利」に「なりすぎ」てしまい、何もしないでもある程度は生活できる…。
どうも、そこに「若い」青年達が落とし所を見出しているようで、進んで「苦労」してまで働くことに抵抗感を持っているのでは

言葉を変えると、叔父曰く「若さゆえに持ってるはずの『エネルギー』の発散の場を、自分自身で見出せないから、仕事に対しても『無気力』になったのではないかと思う」とのこと…。
これ、すごく頷けます。
小生は、高校3年間、「応援団」に捧げることで、叔父曰く「エネルギー」を発散していました。
だから、大学受験に2度も失敗しても「全く後悔なし

また、風屋さんが『入団式』という記事をエントリーされていますが、小生のこのエントリー記事に対するコメントに対し、風屋さんは、以下のようにレスを下さっています。
『応援団にしろ、バンカラにしろ、普通に考えればバカバカしい風習かも知れませんが、わかいうちのこんな邪気が、SPIRITSを育てるのだと、私は思うのです。』
この風屋さんのレスに、小生、全く同感でして、そのことを風屋さんにお伝えしたところ、風屋さんはさらに続けて…
『世の中を変えるのは「よそ者、若者、バカ者」だそうです(笑)。このうち2つが揃ってる学校ですから、きっとイノベーションの旗手になってくれるでしょう。』
と語っておられます。
2人のご子息の父親からの視点で見た鋭い指摘で、叔父が言わんとしていることを代弁なさっているレスであると、小生は理解しています。
本当に、全く共感できますね~

叔父と小生の共通点は、「とにかく声が大きい」こと。
こういう本人の「個性」を理解し、発揮できることこそ、「健全」なことではないかと考えます。
決して、「自分を殺す」ことはしないで良いと思うのです。
これは、「大人」になってからでは、なかなかできないことで、言葉が適当ではないかもしれませんが、「若気の至り」を良い方に解釈できれば、どの青年にもできることではないかと思うのです。
「若い」から、「エネルギー」を発散できるのが、たとえ常識外れ(当然、犯罪にならない程度です)であっても、ある意味許される…。
でも、そうすることを怖がると、大人になって、本当に「修羅場」や「大きな壁」が待ち構えたときに、立ち回りができない…。
今は、「若い」人達に、それが欠けているような気がします。
それだけ、「世知辛い世の中」になっているのでしたら、小生達「大人」にも、責任はあるのかもしれませんが…

小生も、世間知らずながら、自社に興味を持っていただけるように、出身大学を訪問して学生を「スカウト」する、「リクルーター」という仕事も、現業優先の中やっています。
2年ほど前と比較しても、「目に輝き


それは、少し残念のような気がしています。
「若さ」の発散の方法…そしてその場所…。
「若い」からこそ見出せるものです。
「大人」になると目が曇るようなことが、「若い」がゆえに見えることもあります。
小生も、気持ちだけは「若い」と思っています

そんな「青年」が増えたら、日本もまだまだ捨てたものではないと、小生は信じています
