昨日、ZARDのボーカリスト・坂井 泉水 さんと、松岡 利勝 農林水産大臣の訃報を受けて、『生きる』ということと題して、記事をエントリーしました。
nanaponさんには早速取り上げていただき、心より感謝申し上げます。
nanaponさんのブログはもちろんなのですが、小生自身が頻繁にウォッチングするブログで、関連する内容のエントリーへトラックバックを試みているのですが、どうもこのエントリー自体が何らかの障害を抱えているようで、トラックバックがうまく反映されません。
なので、追記という形で、その後もちょっと感じたことも含めて、改めてエントリーを立ち上げました。
昨日の松岡農林水産大臣の訃報を受け、今日の閣議を終えた各閣僚も、それぞれの考えを述べています。(その記事は、こちらからご覧下さい。)
また、松岡大臣が宛てた8通の遺書のうち「国民の皆様」宛ての遺書の内容も判明したようです。
昨日の小生自身の記事でも、松岡大臣の置かれている立場を「針の上の筵」と表現しました。
改めてこの遺書を拝読してみると、本当にそんな心境で、自らの身の処し方に苦悶していた様子がうかがえます。本当に切ないです。
ただ、ちょっと思うことがあります。
小生も昨日のエントリーでは、自身の心境まで含めて、かなり「さらけ出した」部分があります。
言葉が適当かどうかは正直疑問符がつきますが、そうすることが、読者の皆さんへの「誠意」ではないか…と考えたからです。
その後のこの報道に関する続報を少し眺めていたり、「国民の皆様」に宛てた松岡大臣の遺書を拝読して行間を察すると、松岡大臣にも、何か「守るべきもの」があって、その「守るべきもの」が邪魔をして、どうしても「さらけ出せない部分」があって、結果的にああいった選択肢を選ばざるを得なかった…というような気が、小生にはします。
松岡大臣の心境はそこにあったとしても、国民としては、松岡大臣のその「心の闇」の部分がやっぱり知りたかったわけで、そのことによって、「雨降って地固まる」であれば、色々な意味(当然、国政もここには含まれています)で良かったのではないか…という気がしています。
風屋さんの今日のエントリーである『犠牲者』の内容…これがどうも影を落としているような気がしてなりません。
このままでは、風屋さんが警鐘を鳴らしていることが、次々起こるだけです。
「美しい国」にすること以前の問題になってしまいます。憂慮すべきことです。
安倍 晋三 内閣総理大臣が、松岡大臣の任命責任が自身にあることを認める発言をしています。ならば…
国民に対し『さらけ出すべきこと』が何なのか…『今すぐさらけ出さねばならないこと』が何なのか…
これを明確にしていただきたい。
本当にそう思います。
小生も、昨日は収拾がつかない中で「感じたこと」を、自身のバックボーンと照らし合わせて『さらけ出して』みました。
とにかく、感じたことを感じたまま、『さらけ出して』みたかった…昨日は単にそう思って、『生きる』ということについて、考えてみました。
そのことによって、小生のブログの読者の皆さんが、小生の思いを尊重していただけたとしたら、恐悦至極に存じます。
坂井さんの訃報の件も、その後、色々な憶測を呼んでいるようです。(その記事は、こちらをご覧下さい。)
先ずはそんな憶測に流されないように見守りたいですが、ファンに『さらけ出すべきこと』はしっかり見極めて、正確に伝えて欲しいと願っています。
尾ひれがつくと、収拾つかなくなりますから…。
『さらけ出す』ということ…
事実を正確に伝え、メッセージの発信者の「人となり」を伝えるためには、時には必要なことではないか…そう感じました。
自戒も込めて、これからも前をしっかり見て、少しずつでも良いから、着実に進みながら、生きていきたい…。
改めて、そう思います。
nanaponさんには早速取り上げていただき、心より感謝申し上げます。
nanaponさんのブログはもちろんなのですが、小生自身が頻繁にウォッチングするブログで、関連する内容のエントリーへトラックバックを試みているのですが、どうもこのエントリー自体が何らかの障害を抱えているようで、トラックバックがうまく反映されません。
なので、追記という形で、その後もちょっと感じたことも含めて、改めてエントリーを立ち上げました。
昨日の松岡農林水産大臣の訃報を受け、今日の閣議を終えた各閣僚も、それぞれの考えを述べています。(その記事は、こちらからご覧下さい。)
また、松岡大臣が宛てた8通の遺書のうち「国民の皆様」宛ての遺書の内容も判明したようです。
昨日の小生自身の記事でも、松岡大臣の置かれている立場を「針の上の筵」と表現しました。
改めてこの遺書を拝読してみると、本当にそんな心境で、自らの身の処し方に苦悶していた様子がうかがえます。本当に切ないです。
ただ、ちょっと思うことがあります。
小生も昨日のエントリーでは、自身の心境まで含めて、かなり「さらけ出した」部分があります。
言葉が適当かどうかは正直疑問符がつきますが、そうすることが、読者の皆さんへの「誠意」ではないか…と考えたからです。
その後のこの報道に関する続報を少し眺めていたり、「国民の皆様」に宛てた松岡大臣の遺書を拝読して行間を察すると、松岡大臣にも、何か「守るべきもの」があって、その「守るべきもの」が邪魔をして、どうしても「さらけ出せない部分」があって、結果的にああいった選択肢を選ばざるを得なかった…というような気が、小生にはします。
松岡大臣の心境はそこにあったとしても、国民としては、松岡大臣のその「心の闇」の部分がやっぱり知りたかったわけで、そのことによって、「雨降って地固まる」であれば、色々な意味(当然、国政もここには含まれています)で良かったのではないか…という気がしています。
風屋さんの今日のエントリーである『犠牲者』の内容…これがどうも影を落としているような気がしてなりません。
このままでは、風屋さんが警鐘を鳴らしていることが、次々起こるだけです。
「美しい国」にすること以前の問題になってしまいます。憂慮すべきことです。
安倍 晋三 内閣総理大臣が、松岡大臣の任命責任が自身にあることを認める発言をしています。ならば…
国民に対し『さらけ出すべきこと』が何なのか…『今すぐさらけ出さねばならないこと』が何なのか…
これを明確にしていただきたい。
本当にそう思います。
小生も、昨日は収拾がつかない中で「感じたこと」を、自身のバックボーンと照らし合わせて『さらけ出して』みました。
とにかく、感じたことを感じたまま、『さらけ出して』みたかった…昨日は単にそう思って、『生きる』ということについて、考えてみました。
そのことによって、小生のブログの読者の皆さんが、小生の思いを尊重していただけたとしたら、恐悦至極に存じます。
坂井さんの訃報の件も、その後、色々な憶測を呼んでいるようです。(その記事は、こちらをご覧下さい。)
先ずはそんな憶測に流されないように見守りたいですが、ファンに『さらけ出すべきこと』はしっかり見極めて、正確に伝えて欲しいと願っています。
尾ひれがつくと、収拾つかなくなりますから…。
『さらけ出す』ということ…
事実を正確に伝え、メッセージの発信者の「人となり」を伝えるためには、時には必要なことではないか…そう感じました。
自戒も込めて、これからも前をしっかり見て、少しずつでも良いから、着実に進みながら、生きていきたい…。
改めて、そう思います。