53番に、「俺は野球頑張る…お前は、応援やる…そして、県大会で球場で会う…良いと思わないか」と諭され、翌日、「体験入学」からのモヤモヤ感は拭い去ることができ、ようやく晴れやかな
気分で登校しました。
その日の放課後、正直、「部活動説明会」を何の連絡もいれずに「ドタキャン」していたので、敷居が高い思いはありましたが
、それも小生自身が犯したミスです。
足取りは重かったのですが、意を決した以上は、とにかく『応援指導部』の部室に向かい、話を聞いてみよう…そんな気持ちで、部室に向かいました。
実は、同じ「1年6組」には、「部活動説明会」の時に入部を決意し、既に『応援指導部』員となった者さえいた状態でした。
部活動を何かやろうと考えている同級生達は、殆ど皆がどこかの部活動に入部していた時期で、小生の立場は、ワンテンポ遅れた状況にあったのです。
ちなみに『応援指導部』は、とにかく部員全員が揃うまで、練習は行いません。
ただし、15時15分(だったかな?)に6限目の授業が終わってから、練習が始まる15時40分には、どんなことがあろうとも、部員は部室に向かうことが義務付けられています。
時間に遅れれば、容赦なく「罰」が待っています。
小生が部室に向かったのは、たしか15時35分頃だったと思います。
部室には、3年生幹部5名と、2年生部員5名、そして同級生である1年生部員が11名…部員全員が揃っていた状態でした。
開けっ放しの部室のドア越しに部室内を覗いた瞬間、部室の床に座ることさえ許されない1年生部員達が、直立不動で練習開始を待つ姿に、圧倒されたことを昨日のように覚えています。
そして、とにもかくにも、小生はこう切り出しました。
「あのぅ…入部を考えている1年ですが、お話を聞かせていただきたいと思って、こちらに来ましたが…」
その次の瞬間です。T先輩が「あっ、君ぃ~
」と言葉を発して、それを聞いた3年生幹部(どなたかは記憶がありません)が、T先輩に『応援指導部』の説明役を命じ、他の部員達は、練習開始の命令で、校庭に練習に出かけていきました。
この辺は若干記憶が曖昧ですが、とにかくT先輩が『応援指導部』の魅力を語り、過去の先輩方の下級生時代の練習風景を撮影した写真などを見せられたような気がします。
53番がいっていた「応援団は全員レギュラー」は、本当でした。これははっきり覚えています。
実は「真赤な嘘」ですが、「練習は平日のみで、しかも1時間半程度」という説明を受けたことも覚えています。
これは、小生が2年生になったときも、「勧誘」で用いた「常套文句」なのですが、これにまんまと引っかかって、入部した同級生もいたようです。
ですが、内容は「不純」ですが、やはり、この言葉を聞いたときが、とても印象に残っています。
「応援指導部に入ると、女の子にもてるゾ
」
小生、前回にお話したように、精神面の鍛錬は、小生の母校に近い女子高に通う、忘れられない存在のTSさんを、何とか振り向かせたい…「男」になりたい…そう思ってのことでしたから、この言葉で100%気持ちが固まりました。
53番との約束も果たせる…そう思った瞬間に、「お世話になります」といっていたように記憶しています。
他の部員達が練習を終え、3年生幹部が戻ってきて、改めて、
「明日から、お世話になります」
と自己紹介したように、覚束ないですが、記憶しています。
そして、小生の学ランの左胸ポケットあたりに、T先輩が錐のような物で穴を開け、『応援指導部』の部員の証である、以下に紹介するバッジを付けていただきました。

3年生幹部(多分MY先輩だったと思います)が、「1年生が11人もいるから、新しいのがなくなっちゃったけど…」と、思いやりの言葉を1年生の小生にかけて下さいました。
晴れて入部13番目、1年生12人目の『応援指導部』員となり、とにもかくにも、このバッジを左胸に付けての、小生の『青春の3年間』が幕を開けたのです。
(1名は、小生が入部する前に入部→退部しています。)
このバッジ…小生の『一生の宝』でして、会社の通勤時の荷物を入れる鞄に忍ばせています。それこそ「肩身はなさず」です。
この日の帰宅途中は、とにかく左胸に金属のバッジが付いているだけでも相当目立つので、輝くバッジに対する誇らしさと、ちょっとした恥ずかしさとが入り混じった、言葉で表現できないけど、ワクワクした気持ちでした。
自宅に帰りつくなり、母に「『応援団』やることにしたから…」と、素っ気なく報告して食事を摂り、53番に早速報告です。
小生「53番。俺。この間の話…『応援団』に決めたから
」
53番「そっか。楽しみだな。いつか球場で会おうゼ
」
小生「おう
。お前も頑張れよ。」
53番も、電話越しに喜んでいるようでした
。
そして、明日から始まる「厳しい練習」に備え、早めに就寝するのでした
。
(次回に続く。)

その日の放課後、正直、「部活動説明会」を何の連絡もいれずに「ドタキャン」していたので、敷居が高い思いはありましたが

足取りは重かったのですが、意を決した以上は、とにかく『応援指導部』の部室に向かい、話を聞いてみよう…そんな気持ちで、部室に向かいました。
実は、同じ「1年6組」には、「部活動説明会」の時に入部を決意し、既に『応援指導部』員となった者さえいた状態でした。
部活動を何かやろうと考えている同級生達は、殆ど皆がどこかの部活動に入部していた時期で、小生の立場は、ワンテンポ遅れた状況にあったのです。
ちなみに『応援指導部』は、とにかく部員全員が揃うまで、練習は行いません。
ただし、15時15分(だったかな?)に6限目の授業が終わってから、練習が始まる15時40分には、どんなことがあろうとも、部員は部室に向かうことが義務付けられています。
時間に遅れれば、容赦なく「罰」が待っています。
小生が部室に向かったのは、たしか15時35分頃だったと思います。
部室には、3年生幹部5名と、2年生部員5名、そして同級生である1年生部員が11名…部員全員が揃っていた状態でした。
開けっ放しの部室のドア越しに部室内を覗いた瞬間、部室の床に座ることさえ許されない1年生部員達が、直立不動で練習開始を待つ姿に、圧倒されたことを昨日のように覚えています。
そして、とにもかくにも、小生はこう切り出しました。
「あのぅ…入部を考えている1年ですが、お話を聞かせていただきたいと思って、こちらに来ましたが…」
その次の瞬間です。T先輩が「あっ、君ぃ~

この辺は若干記憶が曖昧ですが、とにかくT先輩が『応援指導部』の魅力を語り、過去の先輩方の下級生時代の練習風景を撮影した写真などを見せられたような気がします。
53番がいっていた「応援団は全員レギュラー」は、本当でした。これははっきり覚えています。
実は「真赤な嘘」ですが、「練習は平日のみで、しかも1時間半程度」という説明を受けたことも覚えています。
これは、小生が2年生になったときも、「勧誘」で用いた「常套文句」なのですが、これにまんまと引っかかって、入部した同級生もいたようです。
ですが、内容は「不純」ですが、やはり、この言葉を聞いたときが、とても印象に残っています。
「応援指導部に入ると、女の子にもてるゾ

小生、前回にお話したように、精神面の鍛錬は、小生の母校に近い女子高に通う、忘れられない存在のTSさんを、何とか振り向かせたい…「男」になりたい…そう思ってのことでしたから、この言葉で100%気持ちが固まりました。
53番との約束も果たせる…そう思った瞬間に、「お世話になります」といっていたように記憶しています。
他の部員達が練習を終え、3年生幹部が戻ってきて、改めて、
「明日から、お世話になります」
と自己紹介したように、覚束ないですが、記憶しています。
そして、小生の学ランの左胸ポケットあたりに、T先輩が錐のような物で穴を開け、『応援指導部』の部員の証である、以下に紹介するバッジを付けていただきました。

3年生幹部(多分MY先輩だったと思います)が、「1年生が11人もいるから、新しいのがなくなっちゃったけど…」と、思いやりの言葉を1年生の小生にかけて下さいました。
晴れて入部13番目、1年生12人目の『応援指導部』員となり、とにもかくにも、このバッジを左胸に付けての、小生の『青春の3年間』が幕を開けたのです。
(1名は、小生が入部する前に入部→退部しています。)
このバッジ…小生の『一生の宝』でして、会社の通勤時の荷物を入れる鞄に忍ばせています。それこそ「肩身はなさず」です。
この日の帰宅途中は、とにかく左胸に金属のバッジが付いているだけでも相当目立つので、輝くバッジに対する誇らしさと、ちょっとした恥ずかしさとが入り混じった、言葉で表現できないけど、ワクワクした気持ちでした。
自宅に帰りつくなり、母に「『応援団』やることにしたから…」と、素っ気なく報告して食事を摂り、53番に早速報告です。
小生「53番。俺。この間の話…『応援団』に決めたから

53番「そっか。楽しみだな。いつか球場で会おうゼ

小生「おう

53番も、電話越しに喜んでいるようでした

そして、明日から始まる「厳しい練習」に備え、早めに就寝するのでした

(次回に続く。)