いまさらながら・・・
例会を重ねるたびに
一度はちゃんとした山の歴史をと思いつつ
今日までなにもいたしておりませんでしたが・・・
その準備も兼ねてランダムになりますが、
小出しにメモを残してみたいと思います。
宝満山略史(平安~鎌倉時代)
神社史としての宝満山
848年(承和7年) 太宰府竈門神に従五位上を授く(続日本後記)
850年(嘉祥3年) 太宰府竈門神に正五位上を授く(文徳実録)
859年(貞観元年) 太宰府竈門神に従四位下を授く(三代実録)
879年(元慶3年) 太宰府竈門神に従四位上を授く(三代実録)
896年(寛平8年) 太宰府竈門神に正四位上を授く(日本略記)
1105年(長治2年) 太宰府竈門宮上宮焼亡す(中右記ほか)
1155年(久寿2年) 太宰府竈門宮焼亡す(台記)
1160年(永暦元年) 都で延暦寺僧徒日吉神社の輿を報じ竈門宮・大山寺につき強訴す
(百錬抄)
寺院史としての宝満山
803年(延暦22年)最澄が太宰府竈門山寺に薬師仏を造る(扶桑略記ほか)
847年(承和14年)天台僧円仁が入唐に際し大山寺に参籠す(入唐求法巡礼行記)
933年(承平3年) 沙弥證覚が太宰府竈門山に宝塔(安西塔)を造立す(石清水文書之二)
1003年(長保5年)大山寺僧景雲阿闍梨が皇慶らに両部大法を授く(名匠略伝)
1068年(治暦4年)内山寺僧安尊が山内の争いを避け筥崎宮にて逝去(後拾遺往生伝上二)
1102年(康和4年)大宰府条坊内の宇佐八幡宮領に大山寺押妨に及ぶ(平安遺文2657号)
1104年(長治元年)延暦寺大衆の悪僧が大山寺庄園に濫妨す
1105年(長治2年)大山寺は天台の末寺とされる(中右記)
1243年(寛元元年)有智山寺衆徒争論を起こす(元亨釈書)
つづく(いつかまた・・・)
例会を重ねるたびに
一度はちゃんとした山の歴史をと思いつつ
今日までなにもいたしておりませんでしたが・・・
その準備も兼ねてランダムになりますが、
小出しにメモを残してみたいと思います。
宝満山略史(平安~鎌倉時代)
神社史としての宝満山
848年(承和7年) 太宰府竈門神に従五位上を授く(続日本後記)
850年(嘉祥3年) 太宰府竈門神に正五位上を授く(文徳実録)
859年(貞観元年) 太宰府竈門神に従四位下を授く(三代実録)
879年(元慶3年) 太宰府竈門神に従四位上を授く(三代実録)
896年(寛平8年) 太宰府竈門神に正四位上を授く(日本略記)
1105年(長治2年) 太宰府竈門宮上宮焼亡す(中右記ほか)
1155年(久寿2年) 太宰府竈門宮焼亡す(台記)
1160年(永暦元年) 都で延暦寺僧徒日吉神社の輿を報じ竈門宮・大山寺につき強訴す
(百錬抄)
寺院史としての宝満山
803年(延暦22年)最澄が太宰府竈門山寺に薬師仏を造る(扶桑略記ほか)
847年(承和14年)天台僧円仁が入唐に際し大山寺に参籠す(入唐求法巡礼行記)
933年(承平3年) 沙弥證覚が太宰府竈門山に宝塔(安西塔)を造立す(石清水文書之二)
1003年(長保5年)大山寺僧景雲阿闍梨が皇慶らに両部大法を授く(名匠略伝)
1068年(治暦4年)内山寺僧安尊が山内の争いを避け筥崎宮にて逝去(後拾遺往生伝上二)
1102年(康和4年)大宰府条坊内の宇佐八幡宮領に大山寺押妨に及ぶ(平安遺文2657号)
1104年(長治元年)延暦寺大衆の悪僧が大山寺庄園に濫妨す
1105年(長治2年)大山寺は天台の末寺とされる(中右記)
1243年(寛元元年)有智山寺衆徒争論を起こす(元亨釈書)
つづく(いつかまた・・・)