先日、かつて竈門神社宮司を務められた大久保家の子孫の方より
貴重な記念写真をお送りいただきました。
写真の裏には以下のような添え書きがあるそうです。
かま門神社二ノ鳥居
大正十四年十月二十九日□於て西 向って右より 写す
前列左より 西尾、大久保千涛宮司、御田良重、西高辻信稚宮司、大久保勝郎
後列左より 湯町薬師、西高辻信任禰宜、中川写真師、西高辻家女中(小夜子)、
山本たき子、大野いわえ、和田満太郎、田代徳太郎、泉屋 大野郁男
一行十四名
写真は大正12年(大正14年は誤り)10月29日の宝満山中宮跡でのスナップで、
竈門神社と太宰府天満宮の関係者が揃って収まっています。
天満宮の今の宮司のお爺様がまだ禰宜でいらっしゃった、
そんな時代の写真です。
群像の背景には石鳥居と「竈門山碑」が写っています。
竈門山碑は明治28年に竈門神社が官幣小社となった記念に、
大正12年に宝満山の中宮に建設されたもので、定礎には
工事の監督者として博多の石工国松一族の名が見られ、
石工は木村藤次郎の名があり、神社側は宮司大久保千涛、
禰宜に西高辻信任、主典に橋本直人の名が刻まれています。
文末に大正十二年五月建之とあります。