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妙見祠
現在は本谷礎石群の南西の谷側にある登山道脇に祭られる。
妙見原での池の築造により明治期に礎石群の中央に上げられ、
昭和56年頃に礎石群の土地が売買された際に
ふたたび池の畔の現在の場所に下ろされた。
森弘子著『宝満山歴史散歩』2000年葦書房によれば
池のある場所は本来「妙見原」と呼ばれる遺物の散布地で、
妙見大行事の祠もあるため『筑前国続風土記附録』のいう
「大行事原」にあたる推定地でもある。
山中での修験道の係わりでは、ここで
初初の行人等が補任を頂き法衣授受の儀式がおこなわれたという。
修験道では妙見は不動の北極星であり、
すなわちそれを不動明王になぞらえて崇め、
自己と一体化する観想をおこなう、のだとか。
御神体にはかつて蓮台の上に「宝塔」と彫ったものが
見られたとされているが・・・残念なことに
現在では石の表面は風化してしまい
読み取ることはできない。
礎石群では16あった礎石のうち7つの礎石が
掘り取られているが、そのうちの6つが
礎石群の中央に残る昭和56年頃まであった
妙見祠の台座の部材として残されている。
そうして現在下に下ろされた祠には
ちょうど礎石と同じくらいの大きさの
板状の花崗岩が台座として用いられており、
これで失われた礎石のすべての所在が知られた。