英彦山の全体像を語った最も古い記録に「彦山流記」という書物がある。
その奥書には次のように綴られている。
「建保元年(1213年)癸酉七月八日九州肥前国 小城郡牛尾山神宮寺法印権大僧都谷口坊慶舜」
中世彦山の世界観を語ったのは彦山在住の僧侶ではなく、
肥前小城郡にあった牛尾山の谷口坊の僧侶であった。
佐賀県小城市にある標高80mの牛尾山がその場所にあたる。
低平な佐賀平野から急に立ち上がる丘陵で、
現在では梅林で有名な名所になっている。
丘陵上では弥生土器や石器が散見され、中世末には千葉胤頼の牛ノ尾城があったとされる。
現地には牛尾神社が残されている。