宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

久山町首羅山(白山)遺跡のシンポ

2008-12-08 | Weblog
事務局でありながら残念なことに
久山町首羅山(白山)遺跡のシンポジウム
には参加できませんでした。

6日のシンポは300名を超える方々が参集され
なかなかの盛会だったようです。
パネラーもハッスルされて時間いっぱいのご発表で、
びっくり企画では駆けつけられた文化庁の
坂井主任調査官も壇上に招かれてコメントされたようです。
国指定に向けて着々のご様子です。

7日の現地見学会も150名を超える方が山に上がられ、
遺跡の様を目の当たりにされたようです。
竹藪に阻まれながら平坦面や段造成、基壇を発見した
数年前のことを考えると隔世の感があります。
地元久山町の技師の方々の粘りと努力に敬服いたします。

6日のシンポの件は共同通信社の配信があったのか
東京新聞や中日新聞をはじめとする全国の新聞に報道されました。
また、当日の様子はTNCテレビ西日本さんが取材されており、
近々に夕方の「スーパーニュース」で取り上げられると思います。

第18回例会シンポ会場へのアクセス

2008-12-06 | Weblog
本日、平成20年12月6日(土)の18回例会に充てる
糟屋郡久山町のシンポジウムについての会場までの
天神からのアクセスについては、下記をご参照ください。

会場;文化交流センター(レスポアール久山)

西鉄バス停;天神三丁目/天神郵便局前

27-B 都市高速 香椎参道みどりが丘 久山 (都高)行き

久山バス停下車

所要時間;約1時間 600 円

http://jik.nnr.co.jp/cgi-bin/Tschedule/jun.exe?pwd=h%2Fjun.pwd&from=RA0001&to=601120&yobi=H&ji=8&fun=40


久山町白山遺跡の特集記事

2008-12-04 | Weblog
久山町のWEB版広報誌では遺跡としての白山の連載記事が
現在のところ11号までが掲載されています。
遺跡の指導委員会のメンバーが書かれていらっしゃるよう。
この指導委員会の方々が今回シンポのパネラーですから
事前勉強にはもってこいかも知れません。

第1回 虎に乗った白山権現(はくさんごんげん)
http://www.town.hisayama.fukuoka.jp/news/detail.php?n=90

第2回 白山経塚(きょうづか)と中国人「徐工」
http://www.town.hisayama.fukuoka.jp/news/detail.php?n=91

第3回 山岳寺院とは何か
http://www.town.hisayama.fukuoka.jp/news/detail.php?n=93

第4回 隠れた名僧悟空(ごくう)敬念(けいねん)
http://www.town.hisayama.fukuoka.jp/news/detail.php?n=96

第5回 白山周辺の古仏
http://www.town.hisayama.fukuoka.jp/news/detail.php?n=99

第6回 地名から考える
http://www.town.hisayama.fukuoka.jp/news/detail.php?n=102

第7回 「白山」をとりまく岩石
     ~太平洋は拡大しつつ日本列島に沈み込む~
http://www.town.hisayama.fukuoka.jp/news/detail.php?n=104

第8回 久原埋蔵銭と白山
http://www.town.hisayama.fukuoka.jp/news/detail.php?n=106

第9回 ふる里の山
http://www.town.hisayama.fukuoka.jp/news/detail.php?n=107

第10回 山に刻まれた歴史
―白山に残る遺構と遺物―
http://www.town.hisayama.fukuoka.jp/news/detail.php?n=110

第11回 白山の建築
http://www.town.hisayama.fukuoka.jp/news/detail.php?n=113


久山町白山遺跡西谷の石鍋製作跡

週末は宝満山研究会の例会です

2008-12-03 | Weblog

竈門神社裏の宝満山登山口の紅葉

いよいよ今週末12/6は宝満山研究会の例会です。
告知してきたように今回は糟屋郡久山町の
首羅山(白山)遺跡のシンポジウムと現地見学会です。
まだ、参加は可能なようですのでお申し出ください。

本日、夕方のTNCテレビのスーパーニュースで
白山のレポート(第2弾)が放映されたようです。
ご感想などがありましたらお教えください。

『筑前国続風土記』白山権現神社3

2008-12-02 | Weblog
然れ共、山王五十坊のも残りしを、天正十四年薩摩勢取懸、
焼払ひける故、五十坊一宇もなく亡ひぬ。
其後此寺再興なし。白山の社も、此時炎上せしが、
其後しるし許にほからを立て、今に高山の上にあり。
観音堂も白山の社の下にありしを、万治の比、上久原村に移しぬ。
白山権現の社、観音堂、共に昔は広大なりしといへとも、
むかしのことく建立する事叶はす。僧坊は焼失の後、再興せす。
頭光寺をは村民むかしのしるし許に作り置て、
白山の祭を司とらしむ。」


久山町白山山頂の石祠と石塔群

※明日夕方のTNCテレビ西日本ニュースにて白山のレポート第2弾放映予定

『筑前国続風土記』白山権現社2

2008-12-01 | Weblog
(前回からのつづき)

此僧坊の亡ひし濫觴を尋るに、いつの比にや有けん。
本谷の児、秋の比、橘の多く実りしを誉ける。
別所の僧徒聞て、花なとの多きをほめこそ風流なるべきに、
くだものの多きをほむる事、卑狭なる児かなとて、
つとひて是を嗤り笑ひける。彼児何心なく誉し事を多くの人にわらはれ、
甚恥辱にあひたりと、ふかく思ひしにや、
終に前なる谷川のふかき淵に身を投てこそ死けれ。
其所を今に至て、児か淵といふ。
是より事起り、本谷の僧徒大に怒りて、
大勢を催しけるに、西谷百坊も本谷に与力し、
別所と闘論に及て、たかひに火を放ちて戦ひけ故、
別所、本谷西谷の僧坊、悉く炎上して絶滅せり。

(つづく)