如意樹の木陰

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般若心経

2006-07-14 23:36:06 | Weblog
ここのところ、仕事が忙しい。
それは悪いことではない。
たぶん良い事だ。
今日あたりは36℃くらいまで気温が上がったらしいが、あまりそういう実感はない。
屋外で働いたりもするのだが、私は割りと暑さには強いようだ。

さて今日は、般若心経の和訳をコピーしておく。
ただし、かなりの意訳かもしれない。
ひろさちや氏の訳である。

般若心経は日本で一番よく読まれているお経であり、
大乗仏教の立場から小乗仏教を批判し、「空」を説いている。
「空」とは「実体がない」という意味だそうである。
しかし、「実体がない」といわれてもまだわからない。
「空」がわかれば般若心経がわかった事になるのでしょう・・・たぶん。
それでも、こういう口語訳が出てきて、だいぶんわかりやすくなってきたと思う。
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《 般若心経 ひろさちや訳 》
 観自在菩薩がかつてほとけの智慧の完成を実践されたとき、
肉体も精神もすべてが空であることを照見され、あらゆる苦悩を克服されました。

 舎利子よ。存在は空にほかならず、空が存在にほかなりません。
存在がすなわち空で、空がすなわち存在です。感じたり、知ったり、
意欲したり、判断したりする精神のはたらきも、これまた空です。

 舎利子よ。このように存在と精神のすべてが空でありますから、
生じたり滅したりすることなく、きれいも汚いもなく、増えもせず減りもしません。

 そして、小乗仏教においては、現象世界を五蘊(ごうん)・十二処・十八界
といったふうに、あれこれ分析的に捉えていますが、すべては空なのですから、
そんなものはいっさいありません。また、小乗仏教は、十二縁起や四諦といった
煩雑な教理を説きますが、すべては空ですから、そんなものはありません。
そしてまた、分別もなければ悟りもありません。大乗仏教では、悟りを開いても、
その悟りにこだわらないからです。

 大乗仏教の菩薩は、ほとけの智慧を完成していますから、その心にはこだわりが
なく、こだわりがないので恐怖におびえることなく、事物をさかさに捉えることなく、
妄想に悩まされることなく、心は徹底して平安であります。また、三世の諸仏は、
ほとけの智慧を完成することによって、この上ない正しい完全な悟りを開かれました。

 それ故、ほとけの智慧の完成はすばらしい霊力のある真言であり、すぐれた
真言であり、無上の真言であり、無比の真言であることが知られます。
それはあらゆる苦しみを取り除いてくれます。真実にして虚妄ならざるものです。

 そこで、ほとけの智慧の完成の真言を説きます。

 すなわち、これが真言です。

「わかった、わかった、ほとけのこころ。
 すっかりわかった、ほとけのこころ。
 ほとけさま、ありがとう」
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