iTunesをダウンロードして使い始めた。とりあえずサイ・グローバル・ハーモニー専用。
いくつかサイババ関連のホームページを見たが、どこでもサイババのお写真は最近のもので、若い頃の写真があまりないようだ。
それで、私の持っている写真では一番若い頃の一枚を、今日は載せておきます。
30歳代のころでしょうかねぇ。この写真の頃は、川の砂地などでクリシュナの像などをよく物質化していたらしい。この写真もそんなときの一枚だと思う。
さて、正直なところ「物質化」については、全く理解不能である。
サイババ以外でも物質化の話はある。以前紹介したヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」にもそういう話はあった。
私は「物質化」についての科学的?な解説書を一冊持っているのだが、探しても出てこないほど奥に入ってしまったらしい。
催眠術でも、物質化現象に似た経験を起こすことはいくらでも出来るのだが、それは一時的なものであり、そのうちに錯覚だとわかる。
もちろん手品を使えばいくらでも可能だ。
サイババにしても、ある程度手品を使っているのかもしれない。しかし、サイババの起こす物質化が100パーセント手品だと断定する事は出来ない。
サイババの若い頃の物質化現象についての調査結果は、ハラルドソンの「サイ・ババの奇蹟」に詳しい。
この調査を読むと、その当時の物質化のすべてが手品だとは、どうも考えられない。
ただ、サイババの「物質化」は、本人も言っているように「名刺代わり」である。それの真偽を検証する事にたいした意味はない。
サイババがダルシャンの時に出すビブーティにしても、それを疑いながらいただいたのでは意味がない。ありがたくいただく事で心がスワミに通じるのだと思う。
まあ、ダルシャンの場合、余分なつまらぬことを考えないで、ダルシャンを楽しむのがよい。
ダルシャンの場にいる事が出来て、しかもスワミがすぐ傍を歩かれるのである。
理屈ではわからない事を、体験で学ぶのがダルシャンの場である。
ダルシャンの時に出してもらったビブーティを三つ今でも持っている。
もっともそのうちのひとつは、ビブーティを出した後のスワミにハンカチを渡して手を拭いてもらったものだが・・・手を拭いてからスワミはハンカチを投げ返してくれるんですね。
どれも、もらったときにハンカチに包み、それをビニールの袋に入れてそのまま保管している。
話は変わるが、なくなったと思っていたサイ・フォーラムが、「サイババ批判」という名前で残っていた。
あまり読む気もしないが、数年前に何を考えていたかをちょっと思い出してみることも必要かなと思ったり・・・
いくつかサイババ関連のホームページを見たが、どこでもサイババのお写真は最近のもので、若い頃の写真があまりないようだ。
それで、私の持っている写真では一番若い頃の一枚を、今日は載せておきます。
30歳代のころでしょうかねぇ。この写真の頃は、川の砂地などでクリシュナの像などをよく物質化していたらしい。この写真もそんなときの一枚だと思う。
さて、正直なところ「物質化」については、全く理解不能である。
サイババ以外でも物質化の話はある。以前紹介したヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」にもそういう話はあった。
私は「物質化」についての科学的?な解説書を一冊持っているのだが、探しても出てこないほど奥に入ってしまったらしい。
催眠術でも、物質化現象に似た経験を起こすことはいくらでも出来るのだが、それは一時的なものであり、そのうちに錯覚だとわかる。
もちろん手品を使えばいくらでも可能だ。
サイババにしても、ある程度手品を使っているのかもしれない。しかし、サイババの起こす物質化が100パーセント手品だと断定する事は出来ない。
サイババの若い頃の物質化現象についての調査結果は、ハラルドソンの「サイ・ババの奇蹟」に詳しい。
この調査を読むと、その当時の物質化のすべてが手品だとは、どうも考えられない。
ただ、サイババの「物質化」は、本人も言っているように「名刺代わり」である。それの真偽を検証する事にたいした意味はない。
サイババがダルシャンの時に出すビブーティにしても、それを疑いながらいただいたのでは意味がない。ありがたくいただく事で心がスワミに通じるのだと思う。
まあ、ダルシャンの場合、余分なつまらぬことを考えないで、ダルシャンを楽しむのがよい。
ダルシャンの場にいる事が出来て、しかもスワミがすぐ傍を歩かれるのである。
理屈ではわからない事を、体験で学ぶのがダルシャンの場である。
ダルシャンの時に出してもらったビブーティを三つ今でも持っている。
もっともそのうちのひとつは、ビブーティを出した後のスワミにハンカチを渡して手を拭いてもらったものだが・・・手を拭いてからスワミはハンカチを投げ返してくれるんですね。
どれも、もらったときにハンカチに包み、それをビニールの袋に入れてそのまま保管している。
話は変わるが、なくなったと思っていたサイ・フォーラムが、「サイババ批判」という名前で残っていた。
あまり読む気もしないが、数年前に何を考えていたかをちょっと思い出してみることも必要かなと思ったり・・・