如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

ノスタラダムス その3

2006-04-16 07:46:43 | Weblog
12日のブログに書いたように、ノストラダムスの「諸世紀」に私の送ったイメージが載っている件は、「それによく似たイメージ」が載っているのであって、完全にぴったりというわけではありません。

これについて、少し説明を加えておきます。
たとえば、「山田太郎」という言葉をイメージにして送ろうとしたとする。
さいわい、漢字の場合には文字ごとにイメージがあるので送りやすい。
「山」は、マッターホルンなどの山らしい山をイメージする。
「田」は、水を張った畑。しかし、水を張った畑をイメージしたら沼に見えてしまいそう。
さらに「太郎」の方は、もっとむずかしい。なぜなら人によっていろいろなイメージがありうる。
「太」と「郎」に分けて送ろうとする人もいるし、「太郎」をまとまったひとつのイメージとして扱う人もいるだろう。
別々に分けて送るとすれば、「太」は太い大木のイメージ。「郎」は男のイメージ。
少なくとも送った本人は何を送ったか分かっているので、それでもなんとかなるだろう。

このようなイメージは、どのように見積もってもあまり重要ではないと感じられるが、はたしてこれをノストラダムスは受け取って書き留めてくれるだろうか?
私が思うには、まじめにしっかり送れば、受け取ってくれる可能性は十分にあると思う。
ノストラダムスは結構律儀な人だと思うし、「諸世紀」の理解者を求めているはずである。
そして実際、「諸世紀」には大事件とは関係なさそうな、とらえどころのない詩もたくさん載っている。

さて、「諸世紀」よりもはるかに有名で、はるかに多くの人に読まれている予言書が他にある。
それは、新約聖書の最後にある「ヨハネの黙示録」である。
私にはなぜ、聖書の最後にこのような預言書が納まっているのか理解できない。
理解できないけれども、とにかく世界中の数億の人々が、間違いなくこの預言書を読み、なんらかの影響を受けているのである。
「ヨハネの黙示録」については、いつかまた考えてみたい。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。