如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

大河ドラマ『光る君へ』

2024-04-25 07:05:54 | Weblog

まだ、続けて見ております。
もう4月も後半ですから、3分の1くらいは放送が済んだのだと思います。

時間の流れを概略しておきます。
道長は966年生まれ。先週の放送では大納言様と呼ばれていましたから、その回の放送は991年頃でしょうか。
まひろ(紫式部)の生年はよく分かりません。973年くらいが妥当なのかもしれませんが、ドラマでは道長とあまり年が離れていない感じなので仮に970年としておきます。
995年に道長の兄二人が相次いで病死し、しばらくして道長は右大臣になります。その後左大臣にまで登り権力を掌握しますが、摂政にはなかなかなりたがらなかったようで、摂政の宣下を受けたのは1016年ということです。
まひろの父藤原為時は996年頃に地方官に任命され、この時まひろも同行しているらしいです。
ただ、まひろは2年足らずで帰京し、藤原宣孝(950年頃の生まれ)と結婚します。まひろが970年生まれだと28歳くらいです。なお、宣孝には先妻の他に複数の女性がいたらしいです。宣孝は1001年に他界。宣孝との間に賢子が生まれていました。そして、1006年頃に中宮彰子(道長の娘)の元に出仕しました。そして藤式部とか紫式部と呼ばれたようです。
なお、1006年頃に初めて出仕したにしては、道長やその妻倫子から優遇されていたようなところがあり、もっと前から交流があったのではないかという説はあります。
紫式部が亡くなったのは1014年頃だそうです。
(追記)没年についてもいろいろな説があるようです。最新のWikipediaを見ると「少なくとも1019年までは存命」とか。このドラマでは何歳まで描くのでしょうか。

私の平安時代に関する知識は微々たるもので、安倍晴明を扱った小説や小倉百人一首の解説本に書いてある程度のものです。それでも、全くないよりはよいようです。右大臣道綱の母とか儀同三司母(高階貴子)とか赤染衛門という名前にいくらか反応することはできます。紫式部はその頃の人です。
ただ源氏物語には全く縁がありません。たぶん今後もないでしょう。考えたら男女の恋のようなものを扱った小説を読んだことがあまりないのです。雨月物語とか高野聖とか雪国くらいは好きで読んでますね。しかし、それらはいわゆる恋の話とは違うような気がします。といっても源氏物語の内容を全く知らないので比較のしようもありませんが。

この大河ドラマはあくまでもフィクションです。現存している紫式部に関する資料がそれほど多くないはずで、したがって作家がどうにでもアレンジできる余地があります。しかし、それはあくまでもフィクションです。
ちなみに、「田辺聖子の小倉百人一首」によれば、紫式部には兄と姉がいたことになっていますが、ドラマでは弟だけという設定のようです。またドラマは、まひろの母が道長の兄の道兼に理不尽に殺されるというショッキングなシーンでスタートしましたが、もちろんそんな史実はありません。登場人物に陰影をつけるための脚色なんでしょうかね。

大河ドラマには珍しくラブシーンが多くて、はじめの頃は違和感がありましたが、慣れました。
当時の貴族社会の結婚?は、女性の元に男が通うというスタイルが多かったようです。子供を育てることを考えればそれが合理的であったのだと思います。また、そういうシステムなので、妻の父親の影響力が大きいです。

なお蛇足ですが、陰陽師安倍晴明は921年生まれ、1005年没。夢枕獏の小説で晴明の相棒として描かれる源博雅は918年生まれ、980年没。

《 追記 》 ドラマに清少納言がよく登場するようになりました。しかし、まひろが彰子の元に出仕する前から清少納言と面識があったかどうかは不明だと思います。
清少納言は、まひろよりかなり年上と思われますが、定かではありません。一度結婚し982年に長男を出産しています。その後993年頃から中宮定子に出仕していましたが、1000年に定子がお亡くなりになり、宮仕えを辞しています。その後についてははっきりしませんが、定子の遺児の養育を依頼されて再び出仕したという説もあります。再び出仕していれば、やはり出仕していた紫式部と宮中で交流する時期があった可能性はあります。
清少納言は紫式部より長生きしたようですが、いつごろ亡くなったかは不明です。

《 追記 》 賢子(のちの大弐三位)が道長との間に出来た子であったという設定。これは大石静のオリジナルなのでしょうか。それとも昔からあった説なのでしょうか。
もし賢子が道長の子であったなら、頼宗(道長の次男)と恋愛してはまずいわけで、その辺を考えると、やはりこれはドラマを盛り上げるための虚構なんでしょうかね。しかし、まあなんというか。
あの時代の倫理観については全く知りませんが、まひろと道長が今でいうところの不倫をしている場面は、見たくありませんでした。「おい、これ大河ドラマだろ?」
このふたりの関係はもうちょっとプラトニックな恋愛感情にしておけなかったものでしょうかね。もう取り返しはつきませんけど。

《 追記 》 9月に入って、まひろは彰子に出仕しました。ドラマでは、出仕の目的が最初から、物語(源氏物語)を書かせて一条天皇を彰子のそばに引き寄せるために道長から依頼された、という設定になっていました。一条天皇が定子を懐かしんで枕草子を読んでいるので、それに代わる読み物を道長がまひろに依頼したということです。フィクションですから。
まひろが出仕して、女房がずらっと並ぶ前であいさつするシーンでは、これからいくらかいじめられるのかな、と思ってしまいましたが、そういうことはなく、さらに出仕して8日で実家に戻ってしまうというわがまままで通ってしまっていました。陰謀渦巻く中国宮廷ドラマを見過ぎの私にとっては、ちょっと拍子抜けという感じもありました。
道長が褒美として渡した扇子に描かれた絵を見てまひろが感激するというのは、いかにもフィクションですが、道長がそういう心配りのできるニクい男だというイメージづくりでしょうか。女の人はそういうのにグッとくる、ということでしょうか。
道長とまひろの関係については、これから倫子にバレたりするのでしょうかね。賢子のこともありますし。あの時代、知られたところで特段大ごとにはならないのかもしれません。

 


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