ひさしぶりに会社に出勤。まだ暑さは続いているが、昨日ほどではない。
気が付けば、会社の周辺の桑の木がどれも丸坊主になっています。原因はアメリカシロヒトリの大発生。
アメリカシロヒトリが、桑の葉を食べつくして丸坊主にしてしまいつつあります。
このあたりに桑の木が多いのは、かつて養蚕がさかんに行われていたなごり。
養蚕が行われていた頃には、多くの畑の作物が桑でした。私の子供の頃には、農家のほとんどが養蚕をしておりました。
その桑がいまでも畑の周囲に残っていたり、あるいは放置された桑畑が桑の林になったりしているのです。
現在は養蚕が全く絶えてしまったから、アメリカシロヒトリもこのまま放置されるのかもしれません。
そういえば、今年はセミの数が多いような気がします。昨日畑の仕事の行き返り、木立の下を通るとセミが身体にあたってきたりしました。
ほとんどジーと鳴くアブラゼミです。今年は、セミの多い年なのでしょうか。
私の子供の頃の夏休みには、昆虫採集をしましたね。昆虫採集といってもひたすら採るだけですが。
一度くらいは、昆虫採集セットというのを買ってもらって標本箱に虫を並べて、夏休みの宿題にしたかもしれません。
昆虫採集セットには、虫ピンのほかに防腐剤とかそれを虫に注入するための注射器とか入っていたと思います。当時は、そんなものがどこでも売られていたんです。
里山に入れば、カブトムシやクワガタが野球帽一杯採れました。
当時の里山には、ヤマユリやキキョウがずいぶん咲いていて、それを採ってきて盆花にしたり、根から掘って持って帰って庭に植えたりしました。
庭に植えてあったものは、絶やしてしまいました。もったいない事をしたものです。
今はもう、里山自体がゴルフ場になったり、荒れ放題になったりして、花を見ることはなくなりました。昔は里山をみんなが手入れして、大事に使っていたんですね。
夏休みの終わり頃、里山の夕方にはヒグラシが山全体に鳴きました。
カナカナカナカナというヒグラシの声が夕暮れの空に満ちるようになると、もう夏休みも終わりになるわけで、子供心に寂寥感みたいなものを感じていました。
この情景を思い浮かべると記憶によみがえってくる歌があります。
「山寺の和尚さんが、鞠はつきたし鞠はなし、猫をかんぶくろに押し込んで、ポンとけりゃニャンとなく・・・」。姉が鞠つきでもしていたんでしょうね。
さらに、この歌詞が私の記憶の中ではまた少し変化していまして、なぜか「スマトラの半島の山寺の和尚さんが・・・」と私はぼんやり覚えております。
子供だった私の頭の中には、ハリマオの活躍するようなスマトラという深い森の山の中に、長~い石段を登らなければたどり着けない山寺がある、そういうイメージがしっかりできあがっておりました。
木立に埋もれた山寺の、夕暮れの薄暗い境内にヒグラシの声だけが聞こえている。なんともわびしい情景です。
気が付けば、会社の周辺の桑の木がどれも丸坊主になっています。原因はアメリカシロヒトリの大発生。
アメリカシロヒトリが、桑の葉を食べつくして丸坊主にしてしまいつつあります。
このあたりに桑の木が多いのは、かつて養蚕がさかんに行われていたなごり。
養蚕が行われていた頃には、多くの畑の作物が桑でした。私の子供の頃には、農家のほとんどが養蚕をしておりました。
その桑がいまでも畑の周囲に残っていたり、あるいは放置された桑畑が桑の林になったりしているのです。
現在は養蚕が全く絶えてしまったから、アメリカシロヒトリもこのまま放置されるのかもしれません。
そういえば、今年はセミの数が多いような気がします。昨日畑の仕事の行き返り、木立の下を通るとセミが身体にあたってきたりしました。
ほとんどジーと鳴くアブラゼミです。今年は、セミの多い年なのでしょうか。
私の子供の頃の夏休みには、昆虫採集をしましたね。昆虫採集といってもひたすら採るだけですが。
一度くらいは、昆虫採集セットというのを買ってもらって標本箱に虫を並べて、夏休みの宿題にしたかもしれません。
昆虫採集セットには、虫ピンのほかに防腐剤とかそれを虫に注入するための注射器とか入っていたと思います。当時は、そんなものがどこでも売られていたんです。
里山に入れば、カブトムシやクワガタが野球帽一杯採れました。
当時の里山には、ヤマユリやキキョウがずいぶん咲いていて、それを採ってきて盆花にしたり、根から掘って持って帰って庭に植えたりしました。
庭に植えてあったものは、絶やしてしまいました。もったいない事をしたものです。
今はもう、里山自体がゴルフ場になったり、荒れ放題になったりして、花を見ることはなくなりました。昔は里山をみんなが手入れして、大事に使っていたんですね。
夏休みの終わり頃、里山の夕方にはヒグラシが山全体に鳴きました。
カナカナカナカナというヒグラシの声が夕暮れの空に満ちるようになると、もう夏休みも終わりになるわけで、子供心に寂寥感みたいなものを感じていました。
この情景を思い浮かべると記憶によみがえってくる歌があります。
「山寺の和尚さんが、鞠はつきたし鞠はなし、猫をかんぶくろに押し込んで、ポンとけりゃニャンとなく・・・」。姉が鞠つきでもしていたんでしょうね。
さらに、この歌詞が私の記憶の中ではまた少し変化していまして、なぜか「スマトラの半島の山寺の和尚さんが・・・」と私はぼんやり覚えております。
子供だった私の頭の中には、ハリマオの活躍するようなスマトラという深い森の山の中に、長~い石段を登らなければたどり着けない山寺がある、そういうイメージがしっかりできあがっておりました。
木立に埋もれた山寺の、夕暮れの薄暗い境内にヒグラシの声だけが聞こえている。なんともわびしい情景です。