如意樹の木陰

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予知夢について その2

2006-04-20 21:02:58 | Weblog
ノストラダムスの予言やヨハネの黙示録を読んでみると、このような未来予知の原理は、予知夢と基本的に同じだろうという事が推測される。
彼らは、未来の誰かが感じたイメージを受け取って、それを彼らの言葉で表現している。

予知夢の場合は、遠い未来よりは自分自身の未来を見る事のほうが一般的である。
あるいは遠い未来も見ているのかもしれないが、それはわけのわからない夢としてすぐに忘れられてしまうはずである。
夢の記憶ほどはかないものはないと思う。朝起きた時には、ぼんやりと残っていた夢のイメージも、起きて10分もすれば忘れ去られてしまうほうが普通である。
何かの偶然で覚えていた夢や、意識的に記憶にとどめようと努力した夢だけがかろうじて生き残る。

私の場合、最初に予知夢に気づいたのは、夢に見た内容とよく似たイメージのテレビ番組を、夢を見た数時間後に見たためであった。
夢は大きな白い蛇の夢であった。通常蛇の夢は怖いものだが、その夢に出てきた蛇は白い大蛇であるにもかかわらず怖さがなかったのが妙に印象に残った。
起きてしばらくして、テレビを見たら中国の川劇「白蛇伝」をやっていた。
この川劇の舞台はとてもシンプルで小道具しかないような舞台である。
その舞台が夢の中では子供の頃に毎日通った田舎道のような風景に変わっていた。
このように周囲の情景は雰囲気だけを残して変化してしまうのであるが、人間の男に恋してしまった白蛇の化身である女性主人公に感じるものが夢のそれと大変よく似ていた。
数時間前に見た夢ととてもよく似たイメージがテレビ画面で展開されるわけだから、かなり驚いたと記憶している。

私の予知夢の経験はこの時からスタートして、その後数年続いた。
実際には、今でも続いているのだろうが、もうそういった意識はなくなっている。

夢を覚えていたり書き留めたりする事は、思いのほか疲れることである。
しかも、それが現実に起こるとしても、数日先かもしれないし、数ヶ月先かもしれないし、数年先かもしれない。
私にはそれがいつ起こるかという事はほとんどわからなかったわけです。
ただ起こったときには、デジャヴがあるのでわかる。そのときの感じというのは、今が過去につながった感じ(当たり前ですが)。
あるいは、過去に向かって情報を送っている感じ(これも当たり前ですが)。

しかし、未来がばら色であれば予知夢も楽しいでしょうが、そうとばかりはいえないのが現実です。
利点があるとすれば、少しは心の準備ができるという事くらいでしょうか。

話は変わりますが、「白蛇伝」を下敷きにして、上田秋成は「蛇性の淫」を書きました。
「雨月物語」です。
「雨月物語」に出てくる女性たちの雰囲気が私は好きです。怖いですけどね。
何が怖いのか・・・多分まっすぐに向き合うのが怖いのかもしれません。

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