如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

解脱について

2006-07-09 12:26:04 | Weblog
マーヤーの話を書いていたら、このブログのタイトル「如意樹の木陰」の話に戻っている事に気づいた。
3月22日~26日のあたりで書いた内容である。
この世界はマーヤーの影響力の働いている世界であり、それが「如意樹の木陰」にほかならない。
そのことをいつも認識しながら生きていく事が、大切なのだと思う。
この世界は、自分たちの意識を反映した世界であるから、この世界は否定や肯定をするような対象ではなく、自分たちの意識(あるいは意志)で作り出してゆくものなのである。

ところで「解脱」というのは、どんな事なのだろうかと思い、やはり「英知」から書き出してみた。
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太陽が昇れば暗闇は去り、暗闇によって生じた問題もまた消失します。 同様にアートマンを認識した者にとって、もはや何の束縛もなく束縛によって生じる悲しみもありません。 迷妄を抱くのは、自分が本来何であるかを忘れた者だけです。 人が自己の基盤である真理を忘れる最大の要因は、利己心です。 利己心が一度侵入するならば、人は理想を見失い、階段のてっぺんからあっという間に一番下まで滑り落ちてしまいます。 利己心は、分裂、憎悪、執着の温床です。 執着と愛着により、さらに妬みと憎悪によってすらも、人は行動に駆り立てられ世間にどっぷり浸ります。 その結果肉体を持って転生し、利己心はさらに強められます。 歓楽と苦痛という双子の束縛から免れる為には、人は肉体意識を捨てて、自己中心の行為から離れていなければなりません。 その為にも執着と憎悪を抱いてはならないのです。 欲望は、モクシャすなわち解脱の最大の敵です。 欲望は人を生死の車輪に結び付けます。 欲望は、尽きぬ不安と苦しみをもたらします。
これらの事を熟慮する事により、知識はより明瞭に、より大きな光を放つ様になり、解脱が得られるのです。 解脱は独立の別名です。 すなわち自分以外の人または物に依存していない状態の事です。
充分にコントロールされ訓練された心は、人を解脱に導きます。 心は常に神への想念に浸っていなくてはなりません。 それは、絶対実在の本性の探求を助けます。 心が様々な引力から自由になって清らかになれば、エゴの意識そのものが消えて行きます。 いかなる意味でも世間の影響を受けぬ事、それが自己実現への道なのです。 自己実現は、天国でえられるものでもなく、またカイラサ山で得られるものでもありません。
------  サイババ 「英知」

これも宗教的な言葉です。
私たちは、生まれてから死ぬまで、自分以外の人または物に依存しながら生きています。
また、世間の影響をもろに受けているのが私の心であって、世間の影響を受けぬ私の心を想像する事さえ難しいわけです。
しかし、だからといってこのサイババの言葉が全く理解不能かといえばそうでもない。
依存している事、影響を受けている事を自覚していれば、すくなくとも「一番下まで滑り落ちる事」はないように思う。
もっとも、私の場合まだ滑り落ちるほどの高さまで上った経験はないのでありますが・・・

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