ジュディ・コリンズ Judy Collins 青春の光と影 both sides now
「青春の光と影」(Both Sides, Now)は、シンガーソングライターのジョニ・ミッチェルが作詞作曲した楽曲。ジュディ・コリンズによって最初にレコーディングされ、以後多くのミュージシャンにカバーされた。
1967年3月、ミッチェルは飛行機の中で「青春の光と影」を書き上げた。「I've looked at clouds from both sides now」という歌詞はソール・ベローの小説「雨の王ヘンダソン(Henderson the Rain King)』(1959年)からインスパイアされた。彼女は次のように述べている。
「私は飛行機でソール・ベローの『雨の王ヘンダソン』を読んでいた。本の初めで雨の王ヘンダソンもちょうど飛行機に乗っていた。彼はアフリカに向かう途中で、下に広がる雲を眺めていた。私は本を置き、同じように窓の外の雲を見た。それからすぐさま曲を書き始めた。」
ただし、1966年11月17日のジョニ・ミッチェルのライブでこの曲がラジオ放送されているので、実際にはこれ以前に完成していたとみられる。
1967年10月発売のジュディ・コリンズのアルバム「Wildflowers」に初めて収録された。その1年後の1968年10月にシングルカットされ、コリンズのバージョンは12月21日付のビルボードで8位を記録した。彼女のバージョンは1969年2月公開のアメリカ映画『Changes』(邦題:青春の光と影)に使用された。
ジョニ・ミッチェルは、ジュディ・コリンズのバージョンを嫌っていた。
ジュディ・コリンズは1939年ワシントン州シアトル生まれ。
ロサンゼルスとデンヴァーで幼少期を過ごす。ポピュラー音楽に接しながらもクラシック・ピアノやミュージカルの教育を受けるなど、多彩な音楽を体験する。学生時代に教会での演奏活動を通じ、トラディショナル・ミュージックに触れ、フォークに目覚め、フォーク・ソングに没頭するようになる。
20歳で、コロラドのパブで演奏活動を始め、ニューヨークのクラブに辿りつき、グリニッジ・ヴィレッジで活動する。22歳で自らエレクトラ・レコードに売り込み、新しいフォークの流れも取り入れたトラディショナル・ソングをメインにしたファースト・アルバムをリリースした。
ジュディはレナード・コーエンの歌を最初にカヴァーしたシンガーであり、レナードの現代的な歌詞とジュディの美しい声のコントラストは最高のマッチングといわれた。
また、ジョニ・ミッチェルがまだどのレコード会社とも契約がない時に彼女の才能を見抜き、1967年発表の「ワイルドフラワー」で彼女の作品を2曲収録。うちの1曲が「青春の光と影」であり、ジュディにとってもジョニにとっても初めてのトップ10ヒットとなった。
以降、スティーヴン・スティルス、ライ・クーダーを始め、様々なアーティストと交流を持ち自らの世界を完成させて行く。
クリントン元大統領の娘の名前「チェルシー」は、ジョニ・ミッチェルの楽曲「チェルシーの朝」をカバーしたジュディ・コリンズが1969年4月にリリースしたシングルバージョンをクリントン夫婦がロンドンのチェルシー地区を散策しているときに聴いて命名したという。
クロスビー・スティルス・&ナッシュの「青い瞳のジュディ」は、当時スティブン・スティルスの恋人だった彼女をモデルにした曲というのは有名な話らしい。
日本でヒットしたのは、1968年12月ないし1969年春ごろであろう。ラジオを聞いていた音楽好きの青少年から好まれた曲で、1970年代に発行されたポップスの歌集にはたいてい収録されていた。
ジョニ・ミッチェルを知るきっかけとなった。