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オホーツクミュージアムえさし。枝幸町三笠町。
2022年6月18日(土)。
(岩屋洞窟遺跡出土の擦文式土器 高畠孝宗 枝幸研究7・8 2017)
枝幸町における擦文時代の遺跡分布。枝幸町内にはホロナイポ遺跡をはじめとして約 40 ヶ所の擦文時代の遺跡が残されており,その多くは.オホーツク海に注ぐ河川の河口域に海岸線に沿って広がって立地している.特に現在の「枝幸市街地」,「北見幌別川河口域」,「徳志別川河口域」の3つの領域に遺跡が多く集中している一方で,内陸部の擦文時代の遺跡は,現在のところ,北見幌別川本流に沿った領域でしか確認されていない.中でも岩屋洞窟遺跡は,その最上流域にあたる。
枝幸町内では,ホロナイポ遺跡(佐藤 1980:1981),ウエンナイ2遺跡(佐藤 1983),落切川左岸遺跡(佐藤 , 高畠 1999)で,擦文時代後期の集落遺跡を発掘している.
集落遺跡は 30 ~ 50 軒規模のものが多いが,100 軒を超える大規模なものも珍しくない.
枝幸市街地付近では,ホロナイポ遺跡(130 軒)ウエンナイ竪穴群(636 軒),モウツ竪穴群(400軒以上),北見幌別川の河口域で,幌別原野遺跡(約400 軒)などが上げられる(佐藤 1983).
一方,海岸線から転じて内陸に目を向けると擦文時代の遺跡は激減する.内陸の歌登地区に存在する擦文時代の遺跡としてはペンケナイ1遺跡があげられる.この遺跡は,北見幌別川右岸の低位段丘面に立地しており,北見幌別川とその支流ペンケナイ川との合流点に近い.竪穴式住居跡は確認されていないが,これまでに 10個体以上の土器片が得られており,一定の利用があったようだ.
18 線遺跡については,「埋蔵文化財包蔵地カード」には記載がないが,表採資料に擦文式土器が1片含まれていることから,擦文時代の遺跡に加えた.北見幌別川本流の左岸段丘上に立地する.
ホロナイポ遺跡。
ポロナイポ遺跡は、枝幸郡枝幸町字幌内保にある擦文時代の集落跡で、約130軒の竪穴式住居跡が確認されている。
枝幸町市街地の交通緩和を目的に建設されたバイパス工事に伴い昭和53年、54年の2ヵ年をかけて発掘調査が行われ、50軒に及ぶ擦文時代の竪穴式住居跡をはじめ、多数の遺物が出土している。
鉄製品の刀子も3点出土しており、日常的に使用されていたことをうかがわせる。
出土品の中で特に注目されるのが2カ所の土壙より出土した5点の羽口である。この内の3点には擦文式土器に施されるような文様が描かれており、擦文時代を担った人により製作されたことが明瞭にわかる資料である。
竪穴式住居跡内からまとまって出土した一括土器は、いずれも表面に独特の刻線文様が描かれており、大きさも、高さ6㎝ほどの小型の土器から40㎝にも及ぶ大型土器までさまざまなものがあり、用途に応じて製作・使用されていたことが分かる。
擦文時代の雑穀栽培。