松川浦大橋。松川浦漁港の北東端から。福島県相馬市尾浜追川。
2024年5月25日(土)。
松川浦大橋は、全長520m。1995年に完成し、尾浜地区と磯部地区を結んでいる。交通の要所であるとともに松川浦観光のシンボル的存在である。
相馬中村城跡の見学を終え、相馬市歴史資料収蔵館で貰ったマップを参考に万葉集にも詠われたという景勝地の松川浦へ向かった。なぜ、マップを貰ったのかというと、松川浦の観光ポイントがネットを見ても判然としなかったからだ。西岸の「文字島」あたりの風景が良さそうだが、駐車場やアクセス道路の案内はしっかりしていない。
松川浦は、福島県相馬市原釜と磯辺の間にある潟湖(せきこ、ラグーン)で、砂州により太平洋と隔てられている。カタカナの「フ」の字形で、長さ7km、幅1.5kmほどである。最大水深は5.5m。大小の島や岩が点在する風光明媚な風景は日本三景の松島になぞらえて「小松島」とも評され日本百景の一つに数えられ、松川浦県立自然公園にも指定されている汽水湖は古くは万葉集に詠われ、江戸時代には当地を治めた相馬中村藩主の行楽地であった。
ただし、東日本大震災により、景観も被害を受けたようだ。
松川浦方面へ車を進めると、松川浦環境公園への道標を見つけたので立ち寄ってみた。駐車場に着いたのが17時ぐらいで、17時には閉鎖するという案内板があった。少し湖岸方向へ歩いてみたが、水面から遠そうで、しかも松川浦の北東端である。諦めて太平洋方向へ向かってみると、桟橋らしき場所に着いた。
松川浦マリーナ付近。
さらに、太平洋方向へ進むと、松川浦漁港の北東端から松川浦大橋が見える場所に着いた。
松川浦大橋への入口を見つけて、橋を渡ると、鵜ノ尾埼灯台が立つ岬のトンネルを抜ける。出た地点に駐車場スペースがあり、数台駐車していたので車から降りてみた。一直線に形成された砂州の上を走る直線5kmの道路を挟んで左が太平洋で右が松川浦だ。
松川浦方向には小島が点々としていた。
17時30分を過ぎて疲れたので、アクセスが面倒そうな文字島は諦めて、道の駅相馬へ向かった。
福島県史跡・三貫地(さんかんじ)貝塚。背後は鹿狼(かろう)山。福島県新地町駒ヶ嶺字三貫地西。
2024年5月26日(日)。
道の駅相馬で起床。縄文人骨のDNA分析で有名な三貫地貝塚へ向かった。農地の中にある遺跡は分かりやすいが、駐車場はないので路上駐車した。案内板しかないことは分かっていたが、北西の鹿狼山との取り合わせを確認したかった。鹿狼山に登山することも検討してみたが、霊山城跡への登山と重なるため諦めた。
三貫地貝塚は、縄文時代の後期から晩期の貝塚。鹿狼山(標高430m)などの山塊からなる阿武隈高地東縁より半島状に太平洋に向かって突き出した丘陵に連続する低位段丘上に形成された。段丘の北側には沖積地が発達し、立田川が東流する。貝塚周辺部の調査が行われた結果、後期旧石器時代・縄文時代をはじめとして近世に至る遺構が確認された。
発掘は部分調査にもかかわらず、アサリ、ハマグリを主体とした貝層をはじめ、縄文時代後・晩期の綱取式に並行する時期の土器や大洞B式土器、釣針・もりなどの骨角器、石斧・石鏃などの石器、耳飾・硬玉・ヘアピン・腰飾などの装飾品、土偶・土面・動物形土製品など数多くの遺物が出土した。
百数十件の人骨を出土し、考古学上画期的な役割を果した東北屈指の貝塚である。
埋葬された人骨の頭位が北北西を向くものが圧倒的に多く、その延長線上には手長明神の伝承が伝わる鹿狼山が存在しており、三貫地貝塚の縄文人たちによる鹿狼山信仰の可能性が指摘されている。
B52 縄文人の系譜 東京大学総合研究博物館 (諏訪 元)
初めて抽出された核DNA
縄文時代は16,000年前ごろに始まり、3000年前ごろまで日本列島中に展開していた。縄文人については、明治期以来、全国から発掘収集された古人骨標本により、多くの論考がなされてきた。その発端は、1877年のモースの大森貝塚調査に始まるが、計測可能な頭骨や全身骨が発見されたのは、1900年代に入ってからである。その後、大量発見の時代に入り、現在に至っている。本館の人類先史部門には、日本の人類学の曙期収集の人骨はじめ、数1000体分の縄文人骨が収蔵されている。大きなコレクションとしては、千葉県の姥山貝塚、愛知県の保美貝塚、それと福島県の三貫地貝塚の人骨がある。
縄文人の頭骨形態は特徴的である。専門的表現を使うと「上顎骨の前頭突起が矢状方向を向く」のであるが、鼻根部の横断面が「かまぼこ型」に隆起していると表現されることもある。さらに、典型的には眉間部が良く発達しその下縁がくぼみ、眉間から鼻根部が縦横の両方向に立体的である。一方、顔面幅が広く、眼窩と顔全体の高さが低いため「寸が詰まった」顔を持つ。計測学的には、顔の高さと幅の比が小さい「低顔」と呼ばれる。脳頭蓋は大きいが、現代日本人と比べると高さよりも幅が広く、しかも最大幅がやや下方に位置する傾向がある。
これらの特徴の一部、特に主要計測値は、アジアの南方部の古人骨と共通するため、縄文人の南方アジア起源説が提唱されてきた。逆に、近年のより包括的な数量形態比較では、縄文人と東アジア中央部集団との類似性が指摘されている。その独自性のため、アジアの人種集団の中における縄文人の位置づけは、難しい課題であり続けている。山口敏、百々幸雄ら形態学の大家たちは、縄文人は既存の「4大人種」のいずれにも属さないといった「人種の孤島」説を唱えている。
近年になり、縄文人骨を用いたミトコンドリアゲノム情報の解読が進んできた。その結果、縄文人が複数の系統から由来することが提唱されている。本館所蔵の三貫地貝塚の縄文人標本では、展示の下顎骨標本を含めた4個体からミトコンドリアDNAが抽出され、縄文人に特徴的な二つのハプロタイプ、N9bとM7aが2個体ずつ特定された。ただし、より厳密なサブハプロタイプでは、関東地方の縄文人と異なる可能性も指摘された。これらの結果は、形態的に一見均質傾向の強い縄文人の遺伝的系譜が、実際には複雑であったことを示唆している。さらに、展示の下顎骨標本を含む2個体から、縄文人の核DNAが初めて抽出された。予報では、「人種の孤島」説と整合する解析結果が発表されている。
一方、旧石器考古学の膨大な成果からは、38,000年前ごろ以後に少なくとも3つの経路からサピエンス集団が日本列島に移入しただろうと推定されている。これらの集団が、いずれもがアジアの基層集団から出現して間もなかったならば、彼らが混交しながら縄文人へ移行したとすると、形態とDNA情報の双方と整合する。
このあと、北西にあるという平成名水百選「右近清水」を探したが、分からなかった。通ってきた車道からはアクセス道路はないようだ。途中で案内標識があった式内社の子眉嶺(こびみね)神社は、宝賀寿男氏によれば、毛野氏同族から出た浮田国造による創建とされる。
まきばのジャージー本店。福島県伊達市霊山町石田川面。
2024年5月26日(日)。
相馬市から西の霊山方向にある「まきばのジャージー本店」は、8時30分開店なので、日曜日で混雑するかと思い、早めに着こうと考えた。
「まきばのジャージー本店」を知ったのは、NHK『ドキュメント72時間』2024年3月8日放送である。10分ほど遅れてたまたま見た番組に映し出されて人間模様に感動した。3月16日の再放送はじっくり見て、行きたい場所に選定しておいた。
NHK『ドキュメント72時間』2024年3月8日放送
「福島 真冬のアイスクリーム店で」
福島県の山中、厳しい冬でも人気のアイスクリーム店がある。牧場のオーナーが30年前に開店して以来、搾りたてのミルクで作るアイスが地元の人に愛されている。ここには、さまざまな人が訪れる。ツーリングの途中に立ちよった人、温泉に行った後だからと、外で食べる人、子どもの時に家族と来たと思い出を語る人。30年にわたって福島の人々を見つめてきたお店で3日間、訪れる人々の声に耳をかたむける。
まきばのジャージー本店では、自社牧場にジャージー牛たちが、現在、親牛が14頭、子どもの牛が14頭いるのですが、毎日、自分たちの手で愛情いっぱいに大切に育てています!
そして、自社の最大の特徴は、自分たちの手でジャージー牛たちを育てていることと(←他の品種よりも、大変濃厚で後味すっきりとしたミルクが搾れることが大きな特徴です!)、この牛たちを、春から秋にかけて11haという広大な牧場で放牧して飼育しているところです。
その当牧場で、自分達の手でジャージー牛のミルクを絞り車で10分程の場所にある、まきばのジャージー本店で、アイスクリームやホワイトソースなどを販売しています!
【重要なお知らせ・再開】2024/03/24
いつも、当店をご利用いただきまして誠にありがとうございます。
この度、テレビ放映の影響でネット販売とともに注文が殺到しまして原材料のジャージーミルクが不足してしまい、販売可能なメニューを限定させていただいておりましたが、ジャージーミルクが確保出来る状態となりましたため3/24(日)より、通常通りのメニューにて販売を再開させていただきます。
この度は、ご迷惑をおかけいたしまして心よりお詫び申し上げます。そして、多数の励ましのお言葉をありがとうございました。今後とも、変わらぬご愛顧の程よろしくお願いいたします。
有限会社 片平ジャージー自然牧場
ナビに指示して向かうと、東北中央自動車道の無料通行区間を走行してくれたので、相馬玉野インターから国道115線に降りると、あっという間に8時前に着いてしまった。開店30分前なので、1台もいなかったので、ロープ前に駐車して、テレビで見た風景を撮影した。10分ほどすると、客の車と男性職員の車が来て、ロープを外したので駐車場に駐車した。10人近くの男女の若い職員と5台ほどの客の車が来て、8時30分の開店を迎えた。
一番に入店してまずワッフルコーンのソフト&アイス400円で会計を済ませ、注文コーナーに行き、ミルクとブルーベリーを注文すると、アイスクリームダブルコーンになって370円で30円安いですよと返金してくれた。今思うとソフトクリームでないと、本当の味の評価はできない。
このあと、霊山城跡への登山へ向かった。