札幌五輪「日の丸飛行隊」金
1972年札幌冬季オリンピックのスキー・ジャンプ70メートル級(現ノーマルヒル)で表彰台を独占した「日の丸飛行隊」の一員で日本人初の冬季五輪金メダリストとなった笠谷幸生(かさや・ゆきお)さんが23日午前7時35分、虚血性心疾患のため札幌市の病院で死去した。80歳。北海道出身。葬儀は近親者で行った。
笠谷さんは英雄でした。
カッコ良くて、みんなの憧れの存在でした。
私が中2の時には、学校全体で、ジャンプ競技を観に行ったくらいです。
あの日の笠谷さんは調子が悪くて、風にも恵まれず、頭を抱えながら着地しました。😅
当時は両足を揃えて飛ぶのが普通で、飛行姿勢も美しかったですよ。
今みたいにV字に変わった時には、”ええ~👀見っともない”と思ったものです。
札幌オリンピックの時には、私はバレエ記念公園「白鳥の湖」に出演したので
競技は一つも観ることが出来ませんでした。
朝の10時から夜の10時まで、毎日全幕の稽古だったので、毎朝5時には、脹脛が攣って
あまりの痛みに、足を両手で掴んで、飛び起きたものです。
12時間も扱き使われたのは、私ともう一人だけで、二人だけが全幕出演だったからです。
一幕出演者は朝10時から、次は二幕、三幕、最後が四幕の稽古だったので、
一日中踊り続けだったのです。
因みに、聖火ランナーのトリを務めたのは、私と同い年で同じバレエ研究所の
フィギュアスケートの全道チャンピオンでした。⛸
懐かしい思い出が蘇りました。
「冥福」は祈りません、何故なら、冥途は地獄だからです。
天国での幸せを祈ります。