三条通全踏破ウォーキングの後半戦は、 あれから約10日後に実行となりました。
天候は薄曇りで幾分肌寒い日でしたが、好天の日を待って日にちが開くと、サボり症が出てなかなか実行し難くなりそうなので、勢いのあるうちに…、と、行ってきました!!
前回の終了地点だった三条京阪まで、地下鉄東西線に乗車して再スタート。三条大橋の川縁には、駅伝発祥の地の記念碑を見つける。このあたりはしょっちゅう来るけど、これは初めて気付きました。(画像ミスって削除してしもうたので…参考リンクを)1月に行われる「全国女子駅伝」は京都市内を走るけれども、ここ三条大橋はコースに入っていないので、発祥の地、と、言われてもいまいちピンと来なかったりします。
又、東海道五十三次の終着点でもある。更にここには、古くから営業され、中華そばや、ここ独特のメニュー「皿盛り(和風カツカレー)」が評判な「篠田屋」があるが、今日は皿盛りは食さず素通り。非常に残念であります。
今しがた乗ってきた地下鉄東西線が開通するまでは、ここから山科の御陵まで、京阪京津線の路面区間があった。考えたら三条通はその昔の京都市電は通ってなかったが、嵐電と京津線の2種類の路面電車が走っていて、しかも嵐電は今もしっかり生き残って“癒やしの嵐電”として大活躍していることはなかなかすごいこと興味深いことだと言える気がします。(とくに東西線太秦天神川延長開業で新たな乗り継ぎルートが形成されて、乗降人員がほぼ倍増したのですから大活躍と呼ぶに相応しいでしょう。)
三条京阪周辺から進むとしましょう。東山三条までは今は車が片側1車線で広い歩道が整備されてあるが、京津線が走っていた時代には、路面の軌道と上下1車線の車道、さらに歩道部は白ラインで区切られた狭い歩道だった。京津線(路面区間)廃止で、歩道だけは良くなったことになる。
東山三条から三条通りをちょっと南に下ったところに、マルシン飯店って中華料理屋さんがあります。麻婆丼がおいしいって聞いていますが、ここも今食事にするには早すぎるのでスルーせざるを得ません。深夜まで営業しているらしいので、そんな時間に来た方が趣がありそうです。更にこの先には、京都のブランドものの、一澤帆布(休業中)及び暖簾“分かれ”で話題となった一澤信三郎帆布もあります。
…観光客向けの案内地図見てるだけなら、まだもめてるっぽい。。。
(因みに、ウィキペディアによる現状です。)
南にちょっと寄り道しましたが、ここらで三条通りに復旧。
東山三条から先、通りはちょっと広くなって、三条神宮道付近は平安神宮と八坂神社の間になるので、観光の人たちで賑やかです。その三条神宮道の手前の疎水縁(べり)に北に入っていく細い路地裏の光景は、静かな古い京都の光景が残っていて、風情ありでした。
そんなとこをちょろっと垣間見て、改めて本題の三条通りに出ると、蹴上に近づくにつれて「ウェスティン都ホテル」の巨大な建物が迫ってくる。京都市内の景観条例とかのおかげだろうか、上に高い建物じゃないけど、東西に長くて、陸にあがった大型フェリーの様な巨大さを湛えている。
蹴上のインクラインが見えてくると、その裏手には、南禅寺の敷地が広がっているが、私は未だ行ったことがなかったので、&“聖地”でもあるので、ちょっと大きく寄り道です。
さて、南禅寺の“聖地”と言えば、今一番の旬は、アニメ「けいおん!」(尚、最新の第二期の放送は「けいおん!!」^^;)においての水路閣が一番なようですが、このあたりは、サスペンスドラマにも良く登場することで、その筋でも“聖地”扱いされているらしい。
和の古色ただ中の南禅寺境内敷地内にあって、西洋様式でありながら重厚な水路閣は、今やいろんな意味で京都観光のかおと言えそう。
(観光に来てた外人さんたちが、トンネル横で、何気に「♪ガチでスバらし」の部分みたいなメ[ズで撮ってて“けいおんごっこ”してるみたいでおかしかった。(^_^;…但し画像はそのシーンに間に合わずでした。。。)
蹴上から水路閣の入口の、疎水下の歩道トンネルは、とくに大きな案内看板も出てないけれど、「ねじりまんぽ」って言う(この珍妙な名前でVOWネタにもなったこともある)、珍しい工法と言うか手法で造られていて、トンネル内壁の煉瓦が緩い螺旋状に組まれていて、中を歩くと平衡感覚に狂いが生じそうなトンネルです(…って、ここの画像もうまく撮れなかったので、参考リンク参照で(^_^;)。入り口の写真で“ねじり”を認識できますでしょうか?。
その、ねじりまんぽ入り口の写真に出てるように、路面の温度計の表示は気温8度。早朝が5度位からあんまり気温が上がらない。この寒空の下ですが、ここから九条山日ノ岡峠を越えにかかります。蹴上浄水場の門のあたりから京都市内を見返ると、空色も寒々としている。
今4車線ある道路の西沿い2車線分は、京阪京津線の軌道跡になるけどもその痕跡は見あたらない。登り続けて、峠部の向こう側には何んらかの痕跡を見つけられんかなー、と、探しながら歩いていたが、唯一見つかったのは、京津線の台車!!…ではなくて、鉄道もない程の昔、旧東海道の三条通りにあった牛車道にあった溝付きの敷石を使ってモニュメントとしたものでした。牛車の溝は、峠を上下しやすくする轍(わだち)になる訳ですが、まるで軌道を彷彿していておもしろいですね。
敷石モニュメントは、このほか日ノ岡の市街地側にも、塔状のものを見ることができました。
日ノ岡の市街地から御陵までは、また京津線が路面区間を走り、更に御陵交差点から専用軌道区間になっていたのですが、ここから東海道線の近くまでは、その軌道跡を遊歩道として整備してある。旧御陵駅のスペースが広場になっていて、駅ホーム跡の空間に、ホームの屋根を彷彿させる日除けが設置されていて、何となくそれとわかるように作られている。こちらのブログ様の記事がわかりやすそうです(…ここらは確実に撮った記憶があるのに残っていない…何らかのデジカメ不調かも…)。
元踏切の交差点から三条通りに戻ります。山科のJRの大築堤を潜って暫く歩くと、京都薬科大学の横を過ぎたところに、五条別れって名の交差点になる。地図上で辿っていくと、ここから五条通りの旧道に通じているようである。
この五条別れまで来ると、最終目的地まではほぼ真っ直ぐの道のりであるが、時間はもう午後2時前で、さすがに腹減ってくる。この近辺にはチェック入れてるお店もないので、もぅホンマに何でもええわ…って状況だったので、たまたま現れた“すき家”に入って昼食とした。超安上がりに、並牛丼おしんこセットで済ました。安いけど、米国牛の心配不安は無いのでちょっとは安心して食せます。
空腹感をガッツリ満たしたところで、あと残りは距離2㎞を割っている程度の筈。もう一ふんばりです。
山科周辺から四宮にかけては、交差点名にも三条の名がよく使われている。
ラクト山科の大きなビルに囲まれた交差点は、外環三条。人も車も多い。
四宮周辺から、三条通りの終了地点と思われる国道1号線合流地点までだけでも、三条通りを表す表示が結構見られます。
四宮(四ノ宮)交差点あたりから見える前方の、逢坂山の緑が近づいてきたら、最終目標の国道1号線合流地点です。
最終地点になる、この国道1号線合流地点は、京都市と滋賀県大津市の境でもありますが、ここは旧東海道も通っている場所でもあるのでした。そう思うと、このウォーキングは嵐山渡月橋をスタート地点としましたが、三条通りの始まりは、むしろこの場所の方と思うのが正解なのじゃないか、とも思いました。
…計画的に朝早めから歩き出せば、1日で踏破出来そうな距離を、2回に分けて歩き切る、と言う、なかなか長閑で非効率な行動でしたが、京都市の東西を全踏出来たのは、いい体験になりました。
次には、どれか南北の通りを制覇してみたいなー、と思っています。
…因みに、体重の減少については、…あんだけ食っちゃえばダメですなぁ…って感じで全くもって影響なしなのでありました。。。(^ー^;
天候は薄曇りで幾分肌寒い日でしたが、好天の日を待って日にちが開くと、サボり症が出てなかなか実行し難くなりそうなので、勢いのあるうちに…、と、行ってきました!!
前回の終了地点だった三条京阪まで、地下鉄東西線に乗車して再スタート。三条大橋の川縁には、駅伝発祥の地の記念碑を見つける。このあたりはしょっちゅう来るけど、これは初めて気付きました。(画像ミスって削除してしもうたので…参考リンクを)1月に行われる「全国女子駅伝」は京都市内を走るけれども、ここ三条大橋はコースに入っていないので、発祥の地、と、言われてもいまいちピンと来なかったりします。
又、東海道五十三次の終着点でもある。更にここには、古くから営業され、中華そばや、ここ独特のメニュー「皿盛り(和風カツカレー)」が評判な「篠田屋」があるが、今日は皿盛りは食さず素通り。非常に残念であります。
今しがた乗ってきた地下鉄東西線が開通するまでは、ここから山科の御陵まで、京阪京津線の路面区間があった。考えたら三条通はその昔の京都市電は通ってなかったが、嵐電と京津線の2種類の路面電車が走っていて、しかも嵐電は今もしっかり生き残って“癒やしの嵐電”として大活躍していることはなかなかすごいこと興味深いことだと言える気がします。(とくに東西線太秦天神川延長開業で新たな乗り継ぎルートが形成されて、乗降人員がほぼ倍増したのですから大活躍と呼ぶに相応しいでしょう。)
三条京阪周辺から進むとしましょう。東山三条までは今は車が片側1車線で広い歩道が整備されてあるが、京津線が走っていた時代には、路面の軌道と上下1車線の車道、さらに歩道部は白ラインで区切られた狭い歩道だった。京津線(路面区間)廃止で、歩道だけは良くなったことになる。
東山三条から三条通りをちょっと南に下ったところに、マルシン飯店って中華料理屋さんがあります。麻婆丼がおいしいって聞いていますが、ここも今食事にするには早すぎるのでスルーせざるを得ません。深夜まで営業しているらしいので、そんな時間に来た方が趣がありそうです。更にこの先には、京都のブランドものの、一澤帆布(休業中)及び暖簾“分かれ”で話題となった一澤信三郎帆布もあります。
…観光客向けの案内地図見てるだけなら、まだもめてるっぽい。。。
(因みに、ウィキペディアによる現状です。)
南にちょっと寄り道しましたが、ここらで三条通りに復旧。
東山三条から先、通りはちょっと広くなって、三条神宮道付近は平安神宮と八坂神社の間になるので、観光の人たちで賑やかです。その三条神宮道の手前の疎水縁(べり)に北に入っていく細い路地裏の光景は、静かな古い京都の光景が残っていて、風情ありでした。
そんなとこをちょろっと垣間見て、改めて本題の三条通りに出ると、蹴上に近づくにつれて「ウェスティン都ホテル」の巨大な建物が迫ってくる。京都市内の景観条例とかのおかげだろうか、上に高い建物じゃないけど、東西に長くて、陸にあがった大型フェリーの様な巨大さを湛えている。
蹴上のインクラインが見えてくると、その裏手には、南禅寺の敷地が広がっているが、私は未だ行ったことがなかったので、&“聖地”でもあるので、ちょっと大きく寄り道です。
さて、南禅寺の“聖地”と言えば、今一番の旬は、アニメ「けいおん!」(尚、最新の第二期の放送は「けいおん!!」^^;)においての水路閣が一番なようですが、このあたりは、サスペンスドラマにも良く登場することで、その筋でも“聖地”扱いされているらしい。
和の古色ただ中の南禅寺境内敷地内にあって、西洋様式でありながら重厚な水路閣は、今やいろんな意味で京都観光のかおと言えそう。
(観光に来てた外人さんたちが、トンネル横で、何気に「♪ガチでスバらし」の部分みたいなメ[ズで撮ってて“けいおんごっこ”してるみたいでおかしかった。(^_^;…但し画像はそのシーンに間に合わずでした。。。)
蹴上から水路閣の入口の、疎水下の歩道トンネルは、とくに大きな案内看板も出てないけれど、「ねじりまんぽ」って言う(この珍妙な名前でVOWネタにもなったこともある)、珍しい工法と言うか手法で造られていて、トンネル内壁の煉瓦が緩い螺旋状に組まれていて、中を歩くと平衡感覚に狂いが生じそうなトンネルです(…って、ここの画像もうまく撮れなかったので、参考リンク参照で(^_^;)。入り口の写真で“ねじり”を認識できますでしょうか?。
その、ねじりまんぽ入り口の写真に出てるように、路面の温度計の表示は気温8度。早朝が5度位からあんまり気温が上がらない。この寒空の下ですが、ここから九条山日ノ岡峠を越えにかかります。蹴上浄水場の門のあたりから京都市内を見返ると、空色も寒々としている。
今4車線ある道路の西沿い2車線分は、京阪京津線の軌道跡になるけどもその痕跡は見あたらない。登り続けて、峠部の向こう側には何んらかの痕跡を見つけられんかなー、と、探しながら歩いていたが、唯一見つかったのは、京津線の台車!!…ではなくて、鉄道もない程の昔、旧東海道の三条通りにあった牛車道にあった溝付きの敷石を使ってモニュメントとしたものでした。牛車の溝は、峠を上下しやすくする轍(わだち)になる訳ですが、まるで軌道を彷彿していておもしろいですね。
敷石モニュメントは、このほか日ノ岡の市街地側にも、塔状のものを見ることができました。
日ノ岡の市街地から御陵までは、また京津線が路面区間を走り、更に御陵交差点から専用軌道区間になっていたのですが、ここから東海道線の近くまでは、その軌道跡を遊歩道として整備してある。旧御陵駅のスペースが広場になっていて、駅ホーム跡の空間に、ホームの屋根を彷彿させる日除けが設置されていて、何となくそれとわかるように作られている。こちらのブログ様の記事がわかりやすそうです(…ここらは確実に撮った記憶があるのに残っていない…何らかのデジカメ不調かも…)。
元踏切の交差点から三条通りに戻ります。山科のJRの大築堤を潜って暫く歩くと、京都薬科大学の横を過ぎたところに、五条別れって名の交差点になる。地図上で辿っていくと、ここから五条通りの旧道に通じているようである。
この五条別れまで来ると、最終目的地まではほぼ真っ直ぐの道のりであるが、時間はもう午後2時前で、さすがに腹減ってくる。この近辺にはチェック入れてるお店もないので、もぅホンマに何でもええわ…って状況だったので、たまたま現れた“すき家”に入って昼食とした。超安上がりに、並牛丼おしんこセットで済ました。安いけど、米国牛の心配不安は無いのでちょっとは安心して食せます。
空腹感をガッツリ満たしたところで、あと残りは距離2㎞を割っている程度の筈。もう一ふんばりです。
山科周辺から四宮にかけては、交差点名にも三条の名がよく使われている。
ラクト山科の大きなビルに囲まれた交差点は、外環三条。人も車も多い。
四宮周辺から、三条通りの終了地点と思われる国道1号線合流地点までだけでも、三条通りを表す表示が結構見られます。
四宮(四ノ宮)交差点あたりから見える前方の、逢坂山の緑が近づいてきたら、最終目標の国道1号線合流地点です。
最終地点になる、この国道1号線合流地点は、京都市と滋賀県大津市の境でもありますが、ここは旧東海道も通っている場所でもあるのでした。そう思うと、このウォーキングは嵐山渡月橋をスタート地点としましたが、三条通りの始まりは、むしろこの場所の方と思うのが正解なのじゃないか、とも思いました。
…計画的に朝早めから歩き出せば、1日で踏破出来そうな距離を、2回に分けて歩き切る、と言う、なかなか長閑で非効率な行動でしたが、京都市の東西を全踏出来たのは、いい体験になりました。
次には、どれか南北の通りを制覇してみたいなー、と思っています。
…因みに、体重の減少については、…あんだけ食っちゃえばダメですなぁ…って感じで全くもって影響なしなのでありました。。。(^ー^;