マキオくんの本(『君について行こう』)のとなりにあって、なんとなく手に取った本。
すごかった!衝撃!!
「食べる」(食べれない)ことが、死とつながる行為だとは、全く考えた事がなかった。こんなに基本的な事なのに、当たり前に食べてきた。ふつうにおいしいと思って食べる事もあれば、「とにかく腹に入ればいい」くらいのいい加減な気持ちで食べている事も多い(職場での食事がまさにコレ)。もちろん、特別においしいものを、とってもしあわせな気持ちで食べる事もある。
明日の食べ物を心配した事がない。ひもじい思いをした事がない。
でも、そういう人は、世界にたくさんいて、どうやら日本にもたくさんいる。
いや、その事は知ってたよ。
でも、そのことばを知っていただけで、それがどういう状態なのか、きちんと考えたり、感じたりしてなかった。
明日、食べる物が手に入る予定がない。明後日も、明々後日も、食べれないかも知れない。もしそうなったら。初めて想像したかもしれない。でも、果たして、そんな事が今後無いと言えるだろうか?これから死ぬまでのあいだに、もしかしたらそういう日が来るかもしれない。
そういう気づきをくれた本。他にも色々いっぱい、沢山の気づきをくれた。
金持ちの残した食事が、ヒトの食事として売られているバングラデシュ。数日経ってすえた臭いがするモノでも売られている。
「食いものの恨み」の本当の意味。あぁ、これは、自分の楽しみにしていたデザートを誰かに食べられちゃった時に言うようなセリフでは無かったのか。もっと、鬼気迫る「食いものの恨み」がある。
フィリピンの残留日本兵の人食い。それも、どうやら「止むに止まれず死体の肉を食った」とは受け止められない記述。
〜村人たちは口々に言ったのだ
「母も妹も食われました」
「私の祖父も日本兵に食われてしまいました」
「棒に豚のようにくくりつけられて連れていかれ、食べられてしまいました」〜
38人も!!ただ、日本兵に、日本に恨みを持っている、とは読んでいて感じない。日本政府には補償を求めたいとは言っているが、個々人に恨みはないとも言っている。食べる・食べられるを超える、何かがあるのだろうか。
日本に出荷する猫缶をつくるタイの工場で働く女の子。猫缶1つの金額と、彼女の1日の食費がほぼ同額。それが社会問題にされると困るという。働く場所がなくなっちゃうから。ペットの食事がどこでどのように作られているかなんて、考えた事も無かった。
ベトナムの夜行列車。硬座車両にはベンチの下にも人がいる。ベンチの下でバインザイなるたべものを買って食べる人がいる。その、文化。
ケバブとネオナチの関係。
「本当のネオナチっていうのは…貧しいスキンヘッドじゃなくて、ほら、立派な背広を着て、革のソファーに座ってるみたいな、上流のドイツ紳士の心の中にもあるんじゃないかな」
戦争?紛争?の攻撃で破壊つくされた、無人なはずの村に住む老婆。夫も息子も死に、味を感じなくなり、食欲がない。著者に「何か食べた方がいい」と言われ、料理を作り始めるが「今日は食欲がない。明日スープにするから、飲みに来るかい?」「明日またきてくれるだろうね?」。老婆にとって、著者は久しぶりの暖かい、再開したい存在だったんだろうな。
宗教と食の関係。本当に必要なのは何?
ソマリア。栄養失調で動けない少女。「ごめんよ、ごめんよ。突き動かされ、そう言うしかなかった。拝むしか無かった。」軍事支援の外国の軍人の豪華な食事。
93年度分のソマリアの復興・人道援助は1億6千600万ドル、これに伴う国連の軍事活動には15億以上かかるという。どうにも解せない。と、著者。
エイズが蔓延する村。妊娠中に夫がエイズで死んだ30才の女性。本人も感染している可能性がたかいが、赤ちゃんに母乳をあげている。安全なミルクを買うお金が無いから、危うい母乳を飲ませてでも、さしあたり今を生かすしか無い。
チェルノブイリ原発の近くの村。立ち入り禁止区域だが、高齢者ばかり疎開先から戻ってきて住んでいる。土地で採れたものを食べている。体調不良がおきている。でも、土地のものを食べている。それしか食べるものがないから。
食べるものに困る事が続く毎日の中で、食べる・食べないはその日の生死につながる。ならば、それがその後の健康にどういう影響を与えようが、今日を生きるために、食べるしかない。
そういう状況があるなんてね。
さいご、韓国の従軍慰安婦3名の話。驚いた。従軍慰安婦のありようが、1日に20人〜50人もを受け入れることだったとは。朝食後に一般兵士ら、昼食後に下士官ら、夕食後に将校たち。コンドームも自分で1日何十個も洗う。特攻隊相手だとコンドームも使わないから、側溝の水で股間を洗う。
3人はソウルの日本大使館の前で自殺しようとして取り押さえられた。「生きていても苦しいだけ」「毎日、思い出が苦しい。忘れられない」彼女たちの言葉を嘘とは思えない。
『日本側はことばでは昔のことをやっと謝るようになったんだけれど、反省のきもちをほんとうに肌で感じたことは一度もないのよ』
これが、日韓の従軍慰安婦問題が一向に解決しない原因なんだと思いますよ。では、どうすれば良いのか。
大使館前での自殺を止められて尚、「またやりますよ」という彼女たちに、著者は「もうやらないで下さい」としか言えない。そして、彼女たちの話をきく。繰り返し言う。「やらないで下さいよ」。彼女たちが移動すると、著者もいっしょに移動する。そして、彼女たちの記憶の話をきく。彼は「(自殺を)やめてくれ」を繰り返す。
そして最後には著者の「死ぬのはもうやめてください」に3人とも「約束しますよ」と応えるのだ。
どうか、日本政府にはそれをして欲しい。きっと補償の問題ではないんだと思う(そりゃ貰えるもんは貰いたいって思いがあるだろうけど。だって、それって誰にでもある気持ちだよね)。真摯に、相手が満足するまで、話を聞くことをして欲しい。
従軍慰安婦の話の中にも食の話は出てくるけど、省略。記憶と食の結びつきの話だけど、私にとってはそれよりも、著者と慰安婦たちの交流の方が意味が大きかった。
さて、これは1994年に出された本である。だから、今とは大分変わっているんだろう。でも、変わっていない所もあるだろうな。場所が変わって同じ事が起きているかもな。
日本だって、戦中戦後、食べるに困った人たちがいたんだ。それって、私の父親と同世代だったりするよ。
いや、今の日本にでさえ、食べるに困っている人たちがどうやらいるらしい。
食べることをよく考えもせずに、45年間食べ続けてきた私という人間がいる一方で。
さて、この本を読んだからとて、私の食事に対する姿勢が変わるかといえば、多分大きくは変わらない。だろうなー。でも、なんか、ちょっと、食事に向き合う気持ちができたかも。続かないかもだけど。