2021年 4月 京都童心の会 通信句会結果
【選評】後半
○青島巡紅選
特選
73 花屑が風に巻かれるわたくしの行き先 金澤ひろあき
石畳に舞い散った桜の花びらが風に吹き込まれ渦を作ってどこかへ飛んで行く。どこへ行くのだろう。それと同じで現状の人間のこれからどうなるのだろう。コロナ禍に対する人間の不安と疑心暗鬼をさらりと力むことなく表現されている。通常なら美しい場面なのに、美しいものには棘以上のものがあると言っている。お見事。五輪中止判断なら日本に賠償請求の可能性もあるとか、感染状況次第なのに、こんなごり押しをしてくる団体には国際何某とついている筈だが、金銭問題の前ではコロナ禍の感染問題はどうでもいいと言うのだろうか。コロナ禍で全て左下りになる可能性大の「行き先」ですね。「わたくしの行き先」となっていますが、当然、「わたくし」を初めということでしょう。大きいことをコンパクトにしています。
並選
① 5 春隣あしたの先のプラットホーム 野谷真治
季語に続く中下句が生きています。小中高大の生徒たちにとっては「明日」は続く新学期だったり、学年だったりしますが、「先のプラットホーム」は卒業式を経て行く上の学校だったり、社会だったりします。明日よりもその先に確かに行ける処がある。まだ来ていない春は気配から状態に変化していくのですから。成人だと頑張らないといけない日々の暮らしの変化が「明日」となるでしょうか、嫌ですね、「その先のプラッタホーム」となればもう老いしかありません。
② 12 入学児ヒップに跳ねるランドセル 中野硯池
背丈に対して大きすぎるランドセルがずり落ちてくる。それが気になってお尻をちょっと突き出してランドセルの位置を直そうとしてすっと飛び跳ねる姿が良く捉えられています。
③14 霾や周恩来の詩碑めぐる 中野硯池
季語に続く中下句がハマりすぎています。中国から飛んでくる黄砂で霞んでいる中を嵐山にある「周恩来の詩碑巡る」というのですから。
④ 26 のんびりと生きてても一日春の昼 木下藤庵
誰かに言われると自分も重い荷物を降ろしてホッコリしてしまう言葉、そういう雰囲気を持つ句です。他人は他人、自分は自分、だからと言ってせかせか生きることを否定していない。どちらも肯定要素はある。ただ今日、或いは毎日の過ごし方はスロウライフで良いと思うという自分に正直な告白です。
⑤ 32 コロナ過よテレビの旅で我慢しな 木下藤庵
「コロナ過」→「コロナ禍」。人に向かって「テレビの旅で我慢しな」と言っているのでがなく、「コロナ禍」そのものに対して言っているところがユニークです。ファンタジー系の物語では、ニュースキャスターや中継場所がテレビの中に入っていると異世界からの来訪者が勘違いして驚くというギャグがありますが、そのような閉鎖空間或いは次元牢獄に閉じ込めてしまいたいですね。
⑥ 46 花は葉に遅れとらじと渡り鳥 三村須美子
桜の花びらが勢いよく散って行く様子を「渡り鳥」に見立てていて、臨場感があります。正に「花と葉」の世代交代を眼前で見ているようです。
⑦ 55 偏頭痛茗荷の角のつんつくつん 三村須美子
「偏頭痛」の状態を中下句で感覚的にメタファーで述べています。「茗荷」の先端は尖っていて「角」に見えますね。それを人差し指か何かで何度も突っつかれている様子を擬音で表しています。ユーモアがあって面白いです。蛇足ですが、ベートーベンの運命の導入部は彼の激しい頭痛を模写していると言われているところからすると、我慢出来なくはないものなのでしょうか。歯の痛みにも例えられますよね、激しい場合は。ちなみに彼のピアノ曲「月光」は偏頭痛に効くと言われているとか。
⑧ 69 春一番石ころころころ鬼ごっこ 金澤ひろあき
風と石の「鬼ごっこ」という状況がすでに御伽噺。「ころころ」という擬音から斜面か坂道を小石は速さを増して転がって行く様と同時にそれでも追いつけない「春一番」の脚力も暗示しているようで面白いと思います。「石ころ・ころころ」語呂もいいですね。コミカル。
⑨ 70 桜は咲いたが相変わらずのわたしたち 金澤ひろあき
季節は動いたが、人間の生活状況はコロナ禍のために前進していない。匍匐前進さえも出来ない。桜が咲いたなら、その下で酒を交わしながら花を愛でたいがそれすら出来ない。マスクは常に着用。繁華街にやや下火だと繰り出せば感染者の数はプレイバック。いやですね。そんな状況をさらっと嫌味にならず言っているクールな句です。
⑩ 80 ほつこりと残してほしい京町屋 坪谷智恵子
年々数を減らしていく「京町屋」。上句の「ほつこりと」が生きています。この言葉は疲れて一息つくとか、忙しいことが終わって安堵するというニュアンスで使われる言葉であり、民間と行政のギャップを機械的に埋めるのではなく苦労があって厳しいけれどお茶を飲んでじっくりゆったり埋めてやっていきましょう、そんな心の声になっています。実は「ほっこり」というのは元々京都弁で、身体は疲れているけれど心は満たされている、というような意味合いです。
⑪ 84 若紅葉光が当たって駆け出した 裸時
朝日か昼の日か解りませんが、日の光が木を映し出した時、かなり強い風が吹いて「若紅葉」が「駆け出した」ようにそよいでいる。写実的です。
⑫ 92 桜貝シップ貼る手があたたかい 裸時
指の爪が健康的な色合いの看護師さん(若い女性?)が湿布を貼る。湿布越しにもその手の温もりが伝わる。男ならちょっと得した気持ちになるかも知れません。
⑬ 95 難病を越えてプールにタダイマ 白松いちろう
白血病から復帰した水泳の池江璃花子選手のことですね。「プールにタダイマ」が効いてます。96、97は同じネタで右下がりになっています。
⑭ 97 やればできると夢叶う夢 白松いちろう
可能性がある夢を追いかけなければ叶わないと、96、97の流れでは言っているのでしょうが、単体で読むと逆の意味に聞こえます。
「やればできると夢叶う」で終わらず、そんな「夢」を見たと言うところが面白い。追いかけて行く過剰な努力に反比例する停滞感が無意識のうちに悲鳴を上げている。現実と理想とする局面の乖離に鬱になることがある。リアルな夢ほど厄介だ。
⑮ 107 病室から土筆が見えると父の声 野原加代子
ドラマのワンシーンのような風景画。病気か事故で入院していた「父」が回復して起き上がり窓の外に「土筆」を発見、それを口にする。「父の声」がこの上なく嬉しい。幾つになっても、子は子、親は親。親子のプラスの愛情が良く伝わって来てこちらまで貰い泣きするとまでは言いませんが、良かったですねと胸を撫で下ろさせる句です。そしていつかこの親の言葉を、子の自分が発することになるのですね。順送りです。
○野谷真治特選
67 春の虹同じ音符が鳴っている 金澤ひろあき
最近、虹を見ていない。あまり空を見上げていないのかもしれない。「同じ音符」が印象的でした。
○野原加代子特選
8 ためらひもしりごみもなし蜷の道 中野硯池
若い頃の人生模様を思い浮かべながら、思いました。ただ一直線にためらいも不安もなく明るい未来に向かうつもりで人生歩んで来た私が、蜷が動いた跡が人生の道のように残るのはこれで良かったのだと確信出来る俳句だと考えました。ためらいもしりごみもなしが力強く心に大変響きました。歳をとればとるほど蜷の道のように迷わず生きて来た事に誇りが持てたようなそんな理解を私はしました。
○宮崎清枝特選
10 へそ石の臍に銭置く彼岸かな 中野硯池
一見面白く実際におかれた事、俳句で字になって、ああお上手と感じました。
○中野硯池特選
62 坪庭をひとりじめして蕗の薹 宮崎清枝
通常坪庭というのは町屋或いは邸の中庭のことをいうのであるが、その庭の片隅には、蕗、つわぶき、木賊等を植へ、又、椿、笹竹によりその庭を彩っている。この句の庭は蕗が植えられていて、ある日蕗の薹が顔を出し、その驚きとともに春が来た思いが庭一ぱいに広がったのであろう。
並選中より
50 谷瀬音杉の木立のしゃがの蝶 三村須美子
うす暗い杉の木立の中に、しゃがの花が咲き付近を明るくしているさまは、よくある景色であるが、しゃがは本来、山野の日陰に群生する花であるので留意したい。
64 土筆つんつん津波が来た空地 金澤ひろあき
野草は強い。災害にめげず野草のように立ち上がろうという気概が秘められている。
【やまびこ欄】お便りありがとうございます。
○暉峻康瑞様より
童心の夢、貴兄はすばらしき道を創ってをられると思い候。すべての事は努力と勇気と感応道と思います。
露でなく今お今が永遠の今です。不一
句
身の内に鬼が住んでる豆を撒く
ぽっくり逝きたし節分の豆を撒く
入口も出口も一諾老いの立春
蟹は横へ人間は四方八方にさ迷える
貴方の眼差しで点火された焼野もある
青嵐孫はかごめの唄のなか
短歌
不器用に老いてゆきましょとろろ汁お月さまだって昼に出てるよ
【お知らせ】
5月句会予定は、16日(日)ですが、コロナによる緊急事態宣言が京都で続いているようでしたら、句会は中止。全面的に通信句会とします。
お互い気をつけましょう。御息災を念じております。
【選評】後半
○青島巡紅選
特選
73 花屑が風に巻かれるわたくしの行き先 金澤ひろあき
石畳に舞い散った桜の花びらが風に吹き込まれ渦を作ってどこかへ飛んで行く。どこへ行くのだろう。それと同じで現状の人間のこれからどうなるのだろう。コロナ禍に対する人間の不安と疑心暗鬼をさらりと力むことなく表現されている。通常なら美しい場面なのに、美しいものには棘以上のものがあると言っている。お見事。五輪中止判断なら日本に賠償請求の可能性もあるとか、感染状況次第なのに、こんなごり押しをしてくる団体には国際何某とついている筈だが、金銭問題の前ではコロナ禍の感染問題はどうでもいいと言うのだろうか。コロナ禍で全て左下りになる可能性大の「行き先」ですね。「わたくしの行き先」となっていますが、当然、「わたくし」を初めということでしょう。大きいことをコンパクトにしています。
並選
① 5 春隣あしたの先のプラットホーム 野谷真治
季語に続く中下句が生きています。小中高大の生徒たちにとっては「明日」は続く新学期だったり、学年だったりしますが、「先のプラットホーム」は卒業式を経て行く上の学校だったり、社会だったりします。明日よりもその先に確かに行ける処がある。まだ来ていない春は気配から状態に変化していくのですから。成人だと頑張らないといけない日々の暮らしの変化が「明日」となるでしょうか、嫌ですね、「その先のプラッタホーム」となればもう老いしかありません。
② 12 入学児ヒップに跳ねるランドセル 中野硯池
背丈に対して大きすぎるランドセルがずり落ちてくる。それが気になってお尻をちょっと突き出してランドセルの位置を直そうとしてすっと飛び跳ねる姿が良く捉えられています。
③14 霾や周恩来の詩碑めぐる 中野硯池
季語に続く中下句がハマりすぎています。中国から飛んでくる黄砂で霞んでいる中を嵐山にある「周恩来の詩碑巡る」というのですから。
④ 26 のんびりと生きてても一日春の昼 木下藤庵
誰かに言われると自分も重い荷物を降ろしてホッコリしてしまう言葉、そういう雰囲気を持つ句です。他人は他人、自分は自分、だからと言ってせかせか生きることを否定していない。どちらも肯定要素はある。ただ今日、或いは毎日の過ごし方はスロウライフで良いと思うという自分に正直な告白です。
⑤ 32 コロナ過よテレビの旅で我慢しな 木下藤庵
「コロナ過」→「コロナ禍」。人に向かって「テレビの旅で我慢しな」と言っているのでがなく、「コロナ禍」そのものに対して言っているところがユニークです。ファンタジー系の物語では、ニュースキャスターや中継場所がテレビの中に入っていると異世界からの来訪者が勘違いして驚くというギャグがありますが、そのような閉鎖空間或いは次元牢獄に閉じ込めてしまいたいですね。
⑥ 46 花は葉に遅れとらじと渡り鳥 三村須美子
桜の花びらが勢いよく散って行く様子を「渡り鳥」に見立てていて、臨場感があります。正に「花と葉」の世代交代を眼前で見ているようです。
⑦ 55 偏頭痛茗荷の角のつんつくつん 三村須美子
「偏頭痛」の状態を中下句で感覚的にメタファーで述べています。「茗荷」の先端は尖っていて「角」に見えますね。それを人差し指か何かで何度も突っつかれている様子を擬音で表しています。ユーモアがあって面白いです。蛇足ですが、ベートーベンの運命の導入部は彼の激しい頭痛を模写していると言われているところからすると、我慢出来なくはないものなのでしょうか。歯の痛みにも例えられますよね、激しい場合は。ちなみに彼のピアノ曲「月光」は偏頭痛に効くと言われているとか。
⑧ 69 春一番石ころころころ鬼ごっこ 金澤ひろあき
風と石の「鬼ごっこ」という状況がすでに御伽噺。「ころころ」という擬音から斜面か坂道を小石は速さを増して転がって行く様と同時にそれでも追いつけない「春一番」の脚力も暗示しているようで面白いと思います。「石ころ・ころころ」語呂もいいですね。コミカル。
⑨ 70 桜は咲いたが相変わらずのわたしたち 金澤ひろあき
季節は動いたが、人間の生活状況はコロナ禍のために前進していない。匍匐前進さえも出来ない。桜が咲いたなら、その下で酒を交わしながら花を愛でたいがそれすら出来ない。マスクは常に着用。繁華街にやや下火だと繰り出せば感染者の数はプレイバック。いやですね。そんな状況をさらっと嫌味にならず言っているクールな句です。
⑩ 80 ほつこりと残してほしい京町屋 坪谷智恵子
年々数を減らしていく「京町屋」。上句の「ほつこりと」が生きています。この言葉は疲れて一息つくとか、忙しいことが終わって安堵するというニュアンスで使われる言葉であり、民間と行政のギャップを機械的に埋めるのではなく苦労があって厳しいけれどお茶を飲んでじっくりゆったり埋めてやっていきましょう、そんな心の声になっています。実は「ほっこり」というのは元々京都弁で、身体は疲れているけれど心は満たされている、というような意味合いです。
⑪ 84 若紅葉光が当たって駆け出した 裸時
朝日か昼の日か解りませんが、日の光が木を映し出した時、かなり強い風が吹いて「若紅葉」が「駆け出した」ようにそよいでいる。写実的です。
⑫ 92 桜貝シップ貼る手があたたかい 裸時
指の爪が健康的な色合いの看護師さん(若い女性?)が湿布を貼る。湿布越しにもその手の温もりが伝わる。男ならちょっと得した気持ちになるかも知れません。
⑬ 95 難病を越えてプールにタダイマ 白松いちろう
白血病から復帰した水泳の池江璃花子選手のことですね。「プールにタダイマ」が効いてます。96、97は同じネタで右下がりになっています。
⑭ 97 やればできると夢叶う夢 白松いちろう
可能性がある夢を追いかけなければ叶わないと、96、97の流れでは言っているのでしょうが、単体で読むと逆の意味に聞こえます。
「やればできると夢叶う」で終わらず、そんな「夢」を見たと言うところが面白い。追いかけて行く過剰な努力に反比例する停滞感が無意識のうちに悲鳴を上げている。現実と理想とする局面の乖離に鬱になることがある。リアルな夢ほど厄介だ。
⑮ 107 病室から土筆が見えると父の声 野原加代子
ドラマのワンシーンのような風景画。病気か事故で入院していた「父」が回復して起き上がり窓の外に「土筆」を発見、それを口にする。「父の声」がこの上なく嬉しい。幾つになっても、子は子、親は親。親子のプラスの愛情が良く伝わって来てこちらまで貰い泣きするとまでは言いませんが、良かったですねと胸を撫で下ろさせる句です。そしていつかこの親の言葉を、子の自分が発することになるのですね。順送りです。
○野谷真治特選
67 春の虹同じ音符が鳴っている 金澤ひろあき
最近、虹を見ていない。あまり空を見上げていないのかもしれない。「同じ音符」が印象的でした。
○野原加代子特選
8 ためらひもしりごみもなし蜷の道 中野硯池
若い頃の人生模様を思い浮かべながら、思いました。ただ一直線にためらいも不安もなく明るい未来に向かうつもりで人生歩んで来た私が、蜷が動いた跡が人生の道のように残るのはこれで良かったのだと確信出来る俳句だと考えました。ためらいもしりごみもなしが力強く心に大変響きました。歳をとればとるほど蜷の道のように迷わず生きて来た事に誇りが持てたようなそんな理解を私はしました。
○宮崎清枝特選
10 へそ石の臍に銭置く彼岸かな 中野硯池
一見面白く実際におかれた事、俳句で字になって、ああお上手と感じました。
○中野硯池特選
62 坪庭をひとりじめして蕗の薹 宮崎清枝
通常坪庭というのは町屋或いは邸の中庭のことをいうのであるが、その庭の片隅には、蕗、つわぶき、木賊等を植へ、又、椿、笹竹によりその庭を彩っている。この句の庭は蕗が植えられていて、ある日蕗の薹が顔を出し、その驚きとともに春が来た思いが庭一ぱいに広がったのであろう。
並選中より
50 谷瀬音杉の木立のしゃがの蝶 三村須美子
うす暗い杉の木立の中に、しゃがの花が咲き付近を明るくしているさまは、よくある景色であるが、しゃがは本来、山野の日陰に群生する花であるので留意したい。
64 土筆つんつん津波が来た空地 金澤ひろあき
野草は強い。災害にめげず野草のように立ち上がろうという気概が秘められている。
【やまびこ欄】お便りありがとうございます。
○暉峻康瑞様より
童心の夢、貴兄はすばらしき道を創ってをられると思い候。すべての事は努力と勇気と感応道と思います。
露でなく今お今が永遠の今です。不一
句
身の内に鬼が住んでる豆を撒く
ぽっくり逝きたし節分の豆を撒く
入口も出口も一諾老いの立春
蟹は横へ人間は四方八方にさ迷える
貴方の眼差しで点火された焼野もある
青嵐孫はかごめの唄のなか
短歌
不器用に老いてゆきましょとろろ汁お月さまだって昼に出てるよ
【お知らせ】
5月句会予定は、16日(日)ですが、コロナによる緊急事態宣言が京都で続いているようでしたら、句会は中止。全面的に通信句会とします。
お互い気をつけましょう。御息災を念じております。