山科の疎水
金澤ひろあき
若葉の中を琵琶湖疎水沿いに歩きます。山科の東で疎水はトンネルに入り、見えなくなります。四ノ宮あたりでトンネルは終わり、疎水が再び現れます。そこに昔の船着き場がありました。昔は船で行き来していたんですね。
船着き場の近くに一灯園があります。一灯園を見て、自由律俳人尾崎放哉を連想しました。もっとも放哉の頃の一灯園は、左京区の鹿ケ谷にあったので、場所は違いますが。
大正十二年、満州での生活再建に失敗した放哉は、妻と別れ、一人で一灯園に入ります。
「ソコデ、万事ヲ抛ツテ、小生ハ無一文トナリタレバ、一灯園ノざんげ生活に入リ、過去ノ罪ホロボシ、並ニ社会奉仕ノ労働ニ従事シテ借金セシ友人、其他知己ニ報恩スルタメ、自分ノ肉体ヲムチ打ツ事にキメ、」(大正十三年十二月十五日 佐藤呉天子あて書簡)などと引用すると大げさになりますが、決意して一灯園に入ります。しかし、「一人で静かに生きたい」と願うようになり、別の終の棲家を探すようになります。
四ノ宮の一灯園は新緑に包まれ、おばあさんが一人その中に入っていっただけでした。
放哉さんに和して
わたくしも大空のました帽子なし ひろあき
新緑の大空のました帽子なし
金澤ひろあき
若葉の中を琵琶湖疎水沿いに歩きます。山科の東で疎水はトンネルに入り、見えなくなります。四ノ宮あたりでトンネルは終わり、疎水が再び現れます。そこに昔の船着き場がありました。昔は船で行き来していたんですね。
船着き場の近くに一灯園があります。一灯園を見て、自由律俳人尾崎放哉を連想しました。もっとも放哉の頃の一灯園は、左京区の鹿ケ谷にあったので、場所は違いますが。
大正十二年、満州での生活再建に失敗した放哉は、妻と別れ、一人で一灯園に入ります。
「ソコデ、万事ヲ抛ツテ、小生ハ無一文トナリタレバ、一灯園ノざんげ生活に入リ、過去ノ罪ホロボシ、並ニ社会奉仕ノ労働ニ従事シテ借金セシ友人、其他知己ニ報恩スルタメ、自分ノ肉体ヲムチ打ツ事にキメ、」(大正十三年十二月十五日 佐藤呉天子あて書簡)などと引用すると大げさになりますが、決意して一灯園に入ります。しかし、「一人で静かに生きたい」と願うようになり、別の終の棲家を探すようになります。
四ノ宮の一灯園は新緑に包まれ、おばあさんが一人その中に入っていっただけでした。
放哉さんに和して
わたくしも大空のました帽子なし ひろあき
新緑の大空のました帽子なし