「それでは、紫峰の奥儀継承者として申し上げる。」
修の口から『奥儀継承者』という言葉が語られると、長老衆は姿勢を正し、目礼し、一左の時とは全く違った態度で神妙に聞き入った。長老衆の集まる会合には初めて立ち会った透や雅人にも、修が紫峰家の重鎮たちに特別な存在として受け入れられていることが分かった。
一左が驚愕のあまりものも言えないでいるのが傍目にも明らかだった。宗主として紫峰家に君臨しながら、修が相伝を終えているということに全く気付いていなかったのだ。しかも、そのことを自分以外の長老格が皆知っていて、宗主たる自分を差し置いて話を進めようとしている。一左にとっては耐えがたい屈辱だった。
「そもそも、紫峰の宗主とは伝えられた奥儀を決して外へ出すことなく、ひたすら世間の目から遠ざけるために存在するもの。封印された扉の鍵であって、それ以外の何ものでもありません。
もし悪用するものがあれば、この世にどれほどの弊害をもたらすか分からぬほどのものゆえに、鍵となる者は当然それ相応の力の持ち主でなければならない。
しかし、正面に強力な鍵が一つ存在したとしても、それを補佐するものがなければ到底、背面、側面からの進入には耐えられない。
ここに後見の意義があるのです。宗主と同等、或いはそれ以上の力を持つものが周辺を警護することによって、鍵は安心して鍵の役割を果たすことができる。」
修はここで一息ついた。長老衆も緊張を解いた。修には隣にいる一左の身体が怒りに震えているのが感じられた。『その怒りのすべてをできれば僕に向けてくれ。』と修は願っていた。
「では…おまえが鍵になると何が不都合だと言うのだ?」
次郎左が訊ねた。一同の目が修に集まった。
「大叔父さま…仮にこの場から僕が宗主を受け継いだとして、今の透や雅人に、或いは悟や晃に後見が務まるとお思いですか?」
修は穏やかに訊き返した。次郎左は返答に窮し、長老衆は互いに顔を見合わせながらぼそぼそと囁きあった。
いかにこの先長生きしたとしても次郎左がそのまま後見を務めるには無理がある。
かといって、貴彦や黒田の世代には後見として相伝を受けたものがいない。和彦の後見として相伝を受けたのは後に和彦の妻となる咲江だった。すでにこの世の人ではない。
「逆に透や雅人が宗主なら僕が後見にたてば済む。極めて効率的だと思いますが…。」
修の意見に長老衆は言葉を失いただ唸った。もはや誰も修に宗主継承を無理強いすることはできなかった。『では誰に…』と長老衆の目が透と雅人の方へと戻された。
末席で成り行きを窺っていた黒田には、一瞬修が不敵な笑みを浮かべたような気がした。だれも気が付いてはいないが修はまだ何か企んでいる。
黒田がそう感じた途端、修は一同の前に手を付き深々と礼をした。その場に緊張が走った。
「長老衆…宗主継承について、お許しを願いたきことがございます。
このたびの相伝については異例のことなれど、透、雅人両名に行いたいと思っております。
ご存知のように紫峰家では多くの者が早世し、このようなことが後にまで続くようであれば、家の存続にも支障をきたすことになります。
どちらが後継となるかは別として、いざという時に代わりを務められる者が必要なのです。
宗主として恥ずべき者にならぬよう修一身に代えて二人を育て上げます。
どうか、修の我儘をお聞き届けください。これは亡き徹人、豊穂夫妻そして黒田に対する修の心意気と思し召して。」
修は頭を下げ続けた。透と雅人も思わず一緒に平伏した。
その場の者が皆凍りついたかのように、しんと静まり返っていた。長老衆が完全に修に気を呑まれていることは疑いもなかった。
「いや、なに、おまえがそうしたいと言うのであれば俺に異存はないが…。」
次郎左がまず気を取り直したように言った。
「わしにも異存はない。修の好きにしたらよかろう。」
岩松も賛同した。
「もともとわしらは修に紫峰を任せると決めておったからの。」
赤澤老人も頷いた。
その場に集まった紫峰の重鎮たちは皆修に全権を委ねることに同意した。長老衆を味方につけ、今や修は名実ともに一族の頂点に立った。もう仮の当主ではない。
こうなると一左は形だけの宗主ということになる。しかも、その地位も間もなく透か雅人に譲らなければならなくなる。『早々に手をうたなければ』と一左は考えた。
怒りを抑えきれぬ一左は無言で立ち上がり、修を憎々しげに睨み付けた。修はいつものように目を伏せることもなく、受けて立つと言わんばかりに一左の顔を見返した。一左は手に持っていた扇子を修めがけて投げつけ、怒りに身体を震わせながらその場を後にした。
一左が消えてしまうと進行役の貴彦が用意させてあった祝い膳を運ばせ、修は雅人や透とともにそれぞれの席を廻り、ひとりひとり客人をもてなした。
黒田の席に来た時、黒田は誰にもに気付かれぬように修の手を握った。
『やったな!』と黒田の目が語りかけた。修は笑みを浮かべて頷きながら、黒田の手をしっかりと握り返した。
客たちは一左の暴挙でしらけたその場の雰囲気を消し去るかのように和やかに歓談を始め、何も知らないまま、饗された酒や膳を楽しみ、紫峰家のもてなしを満喫した。
次回へ
修の口から『奥儀継承者』という言葉が語られると、長老衆は姿勢を正し、目礼し、一左の時とは全く違った態度で神妙に聞き入った。長老衆の集まる会合には初めて立ち会った透や雅人にも、修が紫峰家の重鎮たちに特別な存在として受け入れられていることが分かった。
一左が驚愕のあまりものも言えないでいるのが傍目にも明らかだった。宗主として紫峰家に君臨しながら、修が相伝を終えているということに全く気付いていなかったのだ。しかも、そのことを自分以外の長老格が皆知っていて、宗主たる自分を差し置いて話を進めようとしている。一左にとっては耐えがたい屈辱だった。
「そもそも、紫峰の宗主とは伝えられた奥儀を決して外へ出すことなく、ひたすら世間の目から遠ざけるために存在するもの。封印された扉の鍵であって、それ以外の何ものでもありません。
もし悪用するものがあれば、この世にどれほどの弊害をもたらすか分からぬほどのものゆえに、鍵となる者は当然それ相応の力の持ち主でなければならない。
しかし、正面に強力な鍵が一つ存在したとしても、それを補佐するものがなければ到底、背面、側面からの進入には耐えられない。
ここに後見の意義があるのです。宗主と同等、或いはそれ以上の力を持つものが周辺を警護することによって、鍵は安心して鍵の役割を果たすことができる。」
修はここで一息ついた。長老衆も緊張を解いた。修には隣にいる一左の身体が怒りに震えているのが感じられた。『その怒りのすべてをできれば僕に向けてくれ。』と修は願っていた。
「では…おまえが鍵になると何が不都合だと言うのだ?」
次郎左が訊ねた。一同の目が修に集まった。
「大叔父さま…仮にこの場から僕が宗主を受け継いだとして、今の透や雅人に、或いは悟や晃に後見が務まるとお思いですか?」
修は穏やかに訊き返した。次郎左は返答に窮し、長老衆は互いに顔を見合わせながらぼそぼそと囁きあった。
いかにこの先長生きしたとしても次郎左がそのまま後見を務めるには無理がある。
かといって、貴彦や黒田の世代には後見として相伝を受けたものがいない。和彦の後見として相伝を受けたのは後に和彦の妻となる咲江だった。すでにこの世の人ではない。
「逆に透や雅人が宗主なら僕が後見にたてば済む。極めて効率的だと思いますが…。」
修の意見に長老衆は言葉を失いただ唸った。もはや誰も修に宗主継承を無理強いすることはできなかった。『では誰に…』と長老衆の目が透と雅人の方へと戻された。
末席で成り行きを窺っていた黒田には、一瞬修が不敵な笑みを浮かべたような気がした。だれも気が付いてはいないが修はまだ何か企んでいる。
黒田がそう感じた途端、修は一同の前に手を付き深々と礼をした。その場に緊張が走った。
「長老衆…宗主継承について、お許しを願いたきことがございます。
このたびの相伝については異例のことなれど、透、雅人両名に行いたいと思っております。
ご存知のように紫峰家では多くの者が早世し、このようなことが後にまで続くようであれば、家の存続にも支障をきたすことになります。
どちらが後継となるかは別として、いざという時に代わりを務められる者が必要なのです。
宗主として恥ずべき者にならぬよう修一身に代えて二人を育て上げます。
どうか、修の我儘をお聞き届けください。これは亡き徹人、豊穂夫妻そして黒田に対する修の心意気と思し召して。」
修は頭を下げ続けた。透と雅人も思わず一緒に平伏した。
その場の者が皆凍りついたかのように、しんと静まり返っていた。長老衆が完全に修に気を呑まれていることは疑いもなかった。
「いや、なに、おまえがそうしたいと言うのであれば俺に異存はないが…。」
次郎左がまず気を取り直したように言った。
「わしにも異存はない。修の好きにしたらよかろう。」
岩松も賛同した。
「もともとわしらは修に紫峰を任せると決めておったからの。」
赤澤老人も頷いた。
その場に集まった紫峰の重鎮たちは皆修に全権を委ねることに同意した。長老衆を味方につけ、今や修は名実ともに一族の頂点に立った。もう仮の当主ではない。
こうなると一左は形だけの宗主ということになる。しかも、その地位も間もなく透か雅人に譲らなければならなくなる。『早々に手をうたなければ』と一左は考えた。
怒りを抑えきれぬ一左は無言で立ち上がり、修を憎々しげに睨み付けた。修はいつものように目を伏せることもなく、受けて立つと言わんばかりに一左の顔を見返した。一左は手に持っていた扇子を修めがけて投げつけ、怒りに身体を震わせながらその場を後にした。
一左が消えてしまうと進行役の貴彦が用意させてあった祝い膳を運ばせ、修は雅人や透とともにそれぞれの席を廻り、ひとりひとり客人をもてなした。
黒田の席に来た時、黒田は誰にもに気付かれぬように修の手を握った。
『やったな!』と黒田の目が語りかけた。修は笑みを浮かべて頷きながら、黒田の手をしっかりと握り返した。
客たちは一左の暴挙でしらけたその場の雰囲気を消し去るかのように和やかに歓談を始め、何も知らないまま、饗された酒や膳を楽しみ、紫峰家のもてなしを満喫した。
次回へ