何年か前…子供が牛栓…牛乳瓶の紙製のふたを集めていたことがあった。
何にするのかと思っていたら…メンコの代わりにしていたらしい。
そう言えば…自分の小学校の時にも牛栓を使う子が居たな…。
勿論…牛栓は牛栓同士で戦ってたんだろうが…よくは覚えていない。
自分たちは絵の描いてあるメンコを使っていたから…牛栓は使ったことがない。
親父の代にはメンコをショウヤと呼んでいたらしく…メンコとは言わなかった。
だから…自分たちもショウヤという名で覚えている。
隣近所の遊び仲間もショウヤと呼んでいたから…時代だけじゃなくて地域的なこともあるのかもしれないなぁ…。
自分たちのは長方形の紙板だったが…円形のもあったらしい…。
牛栓組みは円形の面子を使う子たちだったのかも…。
どういう字を当てるのか分からないが…軍関係や武将などの図柄が多いとすれば…将矢だろうか…?
自分らの頃には野球関係やヒーローものだったような気がする…。
覚えている方がおいでならぜひ教えて頂きたい…。
メンコは面子だ…。
親父はショウヤの紙板にカーブをつけたり…重ね貼りで補強したりしてショウヤの威力を高める方法を伝授してくれた。
けれども…生憎…流行ったのは弟たちの代で…自分の学年ではあまりやらなかった。
消しゴムはじきみたいなことが流行っていたから…。
おはじきやお手玉…かっちん玉(ビー玉)…そんな遊びもあったけれど…それは同じ昭和でも親父たちの時代の遊びで…自分らはプラスチックの水鉄砲とか…銀玉鉄砲とかで遊んだ…。
玩具はブリキのものが多かったな…。
車とかロボットとか…。
幼児には木の積み木…。
親父はコマ回しも上手かった…。
ちゃんと紐で巻くタイプのコマで長い時間回していることができた…。
子供心に親父にゃ負けたくねぇ…とは思ったけど…大概負けた…。
考えてみれば…量産しているとは言っても当時のものは職人さんたちがちゃんとした精巧な型を手作りしてから…作られたものだったんだよね…。
玩具ひとつでも今なら逸品と言われるものがあったかも知れないんだ。
手作りと言えば…あの頃…親父がちょっと太めの枝の股を使ってパチンコを作ってくれた。
ゴムを張って小石を弾にする…。
親父たちの子供の頃はこれですずめなどの野鳥を撃ったらしい。
撃ったらしい…ではなくて…わざわざ作ってくれたのも…どうやらまた…これで撃つつもりだったようだ…。
えっ…可哀想…?
そうだね…今の時代の考え方からすると可哀想だけれど…親父たちの時代には野鳥を撃って捕まえることも魚を釣ることと同じで…遊びではあるけれど…食べるための狩りでもあったんだ…。
時代によって行為に対する世間の価値観は変わるから…それのついての良し悪しは言わないよ…。
自分の子供の頃はまだ山の方では網で野鳥を引っ掛けて捕まえ…売り物や食料にすることも行われていた…。
最近になって…野鳥保護や動物愛護の考え方が出てきたために禁止になったけれど…それはこの国に…そうしたことを考えるだけの物質的な余裕がでてきたってことなんだろうね…。
他にいくらでも食べられるものがあるのに…美味しいものが溢れているのに…わざわざ可愛い鳥を捕まえて殺さなくてもいいじゃない…可哀想だから…ってことなんだろう…。
親父のパチンコは時代とともに的を変えた…。
自分ら兄弟は鳥を撃つようなことはしなかったから…。
それでも十分楽しく遊べたよ…。 ゴムがゆるゆるになるまでは…。
親父がパチンコを作ってくれたように…自分もよく木を削ってナイフなどを作っていた…。
それを見ていたわけでもないのに…子供も小学生の時にはパチンコをつくり…やがて…割り箸で弓矢を作り…竹の箸を尖らせて飛ばした。
お蔭で我が家の襖は穴だらけ…。
子供の作った弓が強力で…襖紙を越えてベニヤを貫くんですな…これが…。
人や生き物には絶対向けるなよ…と言いながら襖を見ては嘆く…。
襖…高いんだぞ…。
誰に似たのかねぇ…。
やっぱり親父の血かねぇ…この過激さは…。
えっ…自分…?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
そうかもねぇ…。
何にするのかと思っていたら…メンコの代わりにしていたらしい。
そう言えば…自分の小学校の時にも牛栓を使う子が居たな…。
勿論…牛栓は牛栓同士で戦ってたんだろうが…よくは覚えていない。
自分たちは絵の描いてあるメンコを使っていたから…牛栓は使ったことがない。
親父の代にはメンコをショウヤと呼んでいたらしく…メンコとは言わなかった。
だから…自分たちもショウヤという名で覚えている。
隣近所の遊び仲間もショウヤと呼んでいたから…時代だけじゃなくて地域的なこともあるのかもしれないなぁ…。
自分たちのは長方形の紙板だったが…円形のもあったらしい…。
牛栓組みは円形の面子を使う子たちだったのかも…。
どういう字を当てるのか分からないが…軍関係や武将などの図柄が多いとすれば…将矢だろうか…?
自分らの頃には野球関係やヒーローものだったような気がする…。
覚えている方がおいでならぜひ教えて頂きたい…。
メンコは面子だ…。
親父はショウヤの紙板にカーブをつけたり…重ね貼りで補強したりしてショウヤの威力を高める方法を伝授してくれた。
けれども…生憎…流行ったのは弟たちの代で…自分の学年ではあまりやらなかった。
消しゴムはじきみたいなことが流行っていたから…。
おはじきやお手玉…かっちん玉(ビー玉)…そんな遊びもあったけれど…それは同じ昭和でも親父たちの時代の遊びで…自分らはプラスチックの水鉄砲とか…銀玉鉄砲とかで遊んだ…。
玩具はブリキのものが多かったな…。
車とかロボットとか…。
幼児には木の積み木…。
親父はコマ回しも上手かった…。
ちゃんと紐で巻くタイプのコマで長い時間回していることができた…。
子供心に親父にゃ負けたくねぇ…とは思ったけど…大概負けた…。
考えてみれば…量産しているとは言っても当時のものは職人さんたちがちゃんとした精巧な型を手作りしてから…作られたものだったんだよね…。
玩具ひとつでも今なら逸品と言われるものがあったかも知れないんだ。
手作りと言えば…あの頃…親父がちょっと太めの枝の股を使ってパチンコを作ってくれた。
ゴムを張って小石を弾にする…。
親父たちの子供の頃はこれですずめなどの野鳥を撃ったらしい。
撃ったらしい…ではなくて…わざわざ作ってくれたのも…どうやらまた…これで撃つつもりだったようだ…。
えっ…可哀想…?
そうだね…今の時代の考え方からすると可哀想だけれど…親父たちの時代には野鳥を撃って捕まえることも魚を釣ることと同じで…遊びではあるけれど…食べるための狩りでもあったんだ…。
時代によって行為に対する世間の価値観は変わるから…それのついての良し悪しは言わないよ…。
自分の子供の頃はまだ山の方では網で野鳥を引っ掛けて捕まえ…売り物や食料にすることも行われていた…。
最近になって…野鳥保護や動物愛護の考え方が出てきたために禁止になったけれど…それはこの国に…そうしたことを考えるだけの物質的な余裕がでてきたってことなんだろうね…。
他にいくらでも食べられるものがあるのに…美味しいものが溢れているのに…わざわざ可愛い鳥を捕まえて殺さなくてもいいじゃない…可哀想だから…ってことなんだろう…。
親父のパチンコは時代とともに的を変えた…。
自分ら兄弟は鳥を撃つようなことはしなかったから…。
それでも十分楽しく遊べたよ…。 ゴムがゆるゆるになるまでは…。
親父がパチンコを作ってくれたように…自分もよく木を削ってナイフなどを作っていた…。
それを見ていたわけでもないのに…子供も小学生の時にはパチンコをつくり…やがて…割り箸で弓矢を作り…竹の箸を尖らせて飛ばした。
お蔭で我が家の襖は穴だらけ…。
子供の作った弓が強力で…襖紙を越えてベニヤを貫くんですな…これが…。
人や生き物には絶対向けるなよ…と言いながら襖を見ては嘆く…。
襖…高いんだぞ…。
誰に似たのかねぇ…。
やっぱり親父の血かねぇ…この過激さは…。
えっ…自分…?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
そうかもねぇ…。
最後の結論どおりではないでしょうか(笑)
ブリキとかふつーにあったけど
今高いんだよね。。
あとぴーすけ、
グリコのおまけを
いっぱーーーーーーい持ってたのに
何年か前に(って結構前)近所の子にあげちゃったの。
今考えるとすっごくもったいないことしたなぁ…
昔のってそれこそブリキだし
木製のものもあったし
今のプラスティックのものからみたら
超豪華だったよねー・・
楽しい遊びいっぱいあった・・
道具云々ではなくあるもので
遊びを作り出していたよね!
弟のと合わせたらえらい数…。
今売ったらすごい高値…。
そんなこと知らんから…引越しの時に全部処分しちゃったんだ…。
可燃ごみの煙となってお空へ消えちゃったわけ…。
どうも金には縁がありませんなぁ…。(-_-;)
それより大きいのは「パッチ」って言って
「丸(土俵)の外に追い出したり裏返したら勝ち」
というルールだった。
おせんべいの缶にいっぱい集めていたな~
そして「ブリキのおもちゃ」といえば
おつおの宝物は「2階だての赤いロンドンバス」で
どこに行くにも持っていっていたな~
それを剥がして…洋服の上に王冠を当てて…洋服の裏からコルクを差し込む。
するとビール瓶の王冠が光るピンバッチみたいになるわけ。
そんな遊びもしていたなあ…。
意味は違うけどバッチで思い出しちゃった。