宗主による青の焔の処置が終わると…入れ替わりに有が痛んだ滝川の身体を入念に治療し始めた…。
西沢は落ち着かない様子でそれをじっと見ていたが…不意に大きく息を吐くと…腰を抜かしている少年と『時の輪』の方に向き直った…。
宗主がさり気なく…西沢の行動を見張った…。
完全に怒りの焔が消えたかどうか…それを確認するために…。
少年は怯えきった眼を向けていた…。
『時の輪』は…固まって動けない少年を庇うように自分の背中にまわした…。
「おやじ…運がいいな…。
おまえだけは逃がすまいと思っていたのに…。 」
押し殺した抑揚のない口調で西沢は淡々と話しかけた…。
「見たところ…おまえ以外にはHISTORIANの後始末を任せられる者はいないようだ…。
不本意だが…見逃してやる…。
仲間を引き連れて…この国を立ち去れ…。
誤った教理など早々に破り捨てて…進むべき道を正せ…。
二度と愚行を繰り返すな…。
我々エナジーは世界中どこにいてもおまえの動きを見張っている…。
何ごとかあれば…今度は…容赦はしない…。
それを忘れるなよ…。 」
『時の輪』は辺りを見回した。
つい先程まで空間の壁を補強していたエナジーたちがすでに持ち場を離れて…なにやらざわめいている…。
『時の輪』に対して警告を発しているようにも聞こえる…。
彼等に口というものがあるのなら…だが…。
姿は見えないが『時の輪』にも強大なエナジーの気配だけは感じられる…。
西沢は我々…と言った…。
これまで相対していたものが…西沢の中の魔物だけではなく…この強大なエナジーたちだとしたら…考えるまでもなく勝ち目はない…。
ましてや…捕まえて利用するなどできようはずがない…。
虚しく転がるふたつの骸に眼をやりながら…『時の輪』は力なく項垂れた…。
やがて…ノエルの空間フレームも消え…もとの静かな町に戻った…。
町はほとんど無傷だったが…添田の屋敷は燃え尽きたまま…裏の林にも破壊の痕跡が生々しく残っていた…。
西沢が破壊したはずの民家は何事もなかったかのようにそこに在り…あちらこちらに力を抜かれたHISTORIANたちが転がっていた…。
空間が消えてしまうと…屋敷の焼け跡からお伽さまが姿を現した…。
添田と磯見…そして…すんでのところで三人を助け出した智明と三宅もそこに居た…。
敢えてどこかに隠れていたというわけではないが…意図的に空間の外に移動したものは空間の中からは見えないのかもしれない…。
お伽さまは宗主の前へ出るとそっと一礼した…。
「御大親のお導きにより…新天爵さまと庭田衆が駆け付けてくださいました…。
お蔭さまで事なきを得ました…。 」
お伽さまの無事を確認して…宗主は嬉しそうに眼を細め頷いた…。
この国に潜伏していたHISTORIANのほとんどがその力を失い…彼等を動かしていた首座とその弟が倒されて…屋台骨の折れた組織は急激におとなしくなった…。
あの少年の他にも、数人の子供たちが将来の首座候補として世界各地に送り込まれてはいたが、何れもそれほどの力の持ち主ではないことが判明した…。
『時の輪』の告白によれば…このところHISTORIANの内部では急速に能力の退化が進み…組織自体が弱体化してきたために…急ぎ勢力の拡大と教理に示された建国の実現を図ったのだという。
過去に敵対していた天爵ばばさまの魂…がこの国に存在するらしい…ということをアカシックレコードから読み取った首座兄弟は何としても…この国を渡すまいと考えたようだ…。
後に王弟の記憶まで登場して…さらに執着を深めた…。
首座の弟に…生物個体の特異性を強調させる能力があり…ワクチン系の同士を作り上げるには…DNAそのものを直接操作せずとも内在するプログラムの特異性を刺激すれば事足りるらしい…。
だとすれば…三宅が業使いの力で…オリジナル系を発症させたのと大差ないわけだ…。
但し…ノエルの時のように胎児にも影響が及ぶ虞があり…来人がワクチン系の完全体として生まれたのも偶然とは言い難い…。
幸いと言うべきか…はるか超古代にプログラムを組み込んだ力そのものは…すでにHISTORIAN自体からも消滅しており…最早…彼等自身の能力を以って新たにプログラムを組み込むことは不可能となっていた…。
飯島病院の特別室…今やここは西沢家専用の病室のようになっている…。
宗主と有の治療を受けた後…滝川は仲間たちの手でここに運ばれた…。
攻撃を受けたわけではないから魂が燃えてしまうことはないにせよ…青の焔が体内に入ったために消耗が激しく…回復には時間がかかりそうだった…。
西沢は滝川の傍に付っきりで…滝川の目覚めを待っていた…。
ようやく自宅に戻ってきた子供たちとも…まだ顔を合わせていなかった…。
「ノエルが心配してたよ…。 紫苑…寝てないんじゃないかって…。
どうして…みんなの手を借りないの…? 交代で付き添えばいいじゃない…。 」
子供たちを連れて仕事に出かけたノエルに代わって…非番の亮が着替えを届けに来ていた…。
西沢は軽く微笑んだ…。
「傍に…居てやりたいんだよ…。
恭介は…ね。 僕にとって大切な人だから…。 」
紫苑…やっぱり先生のこと好きなんだ…?
西沢の本心を確かめるように亮は…その表情を伺った。
実の兄だとは知らなかった頃に…同じ質問をした覚えがある…。
あの時と同じように…西沢はクスッと笑った…。
「僕には…どこかで…自分を捨ててしまっているようなところがあるんだ…。
自分を愛せなくて…大切にもできなくて…。
誰も本気で…僕のことなど愛してはいない…と…そう思い込んでいるようなところがね…。 」
そんな西沢を包み込むように…滝川は何度も囁き続ける…。
愛してる…愛してるよ…紫苑…。
自分の存在の意味を模索する西沢に…ひとつだけは必ず…答えを用意しておいてくれる…。
お前が居なくなれば…僕も消える…。
僕等は…ふたつの身体を持つひとつの存在…。
生きて…紫苑…僕のために…。
「恭介が居なければ…とうに僕は壊れていた…。
強くて頼りになる紫苑…みんなはそう思っているけれど…恭介が蔭で僕を支えていてくれるからこそ…なんだ…。 」
僕ひとりでは…何もできない…。
西沢はそう言って溜息をついた…。
紫苑…。
不意に滝川が声を発した…。
目覚めた…これで意識的に自己回復を始める…。
西沢の表情が華やいだ…。
「あの子は…? 」
滝川が身体を張って西沢の暴走を止めようとした直接の目的…少年の命…。
気にかかっていた…。
「大丈夫…殺さずに済んだよ…。
先の見通しが立つまで…智明が…天爵ばばさまが預かって教育し直すと申し出た。
教理の過ちを正せるのは天爵さまだけだから…。 」
それを聞いて安心したように滝川は頷いた…。
「僕は…後始末にはタッチしていない…。 上の方が動いているから…。 」
そうか…滝川は少し微笑んだ…。
様子がおかしい…と西沢は感じた…。
「恭介…どうした…? 何故…こっちを見ない…? 」
そう問われて…滝川は西沢の声のする方へと顔を向けた…。
遠くを見つめるようなその眼…。
「見えてないのか…? 見えないのか…恭介? 」
滝川の両頬を掌で挟んで…西沢はその眼を覗き込んだ…。
「全然…という…わけじゃないよ…紫苑。 治療師の眼は…働いてる…。
大丈夫…なんとかやっていけるさ…。 」
安心させるように滝川はまた微笑んだ…。
西沢の両目から涙が溢れ出た…。
「恭介…ごめん…ごめんな…。 僕のせいだ…。」
西沢の受けた衝撃は…その取り乱した姿からも容易に察せられた…。
滝川の眼…写真家としての滝川の命…。
それを奪ってしまった…。
滝川には西沢の動揺が手に取るように分かった…。
自分に何かあればそうなるだろうということも…ある程度予測していた…。
けれど…子供の命を奪ってしまうよりは…傷は浅くて済む…と考えた…。
おまえのせいではないよ…紫苑…。
僕が勝手に…やったことなんだから…。
有さんが止めるのも聞かずにね…。
その場でふたりを見ていた亮は…この状況に置かれても比較的落ち着いている当の滝川よりも…西沢の受けた精神的な衝撃と痛手を案じた…。
有の診たところでは滝川の眼にも脳にもなんら異常はなく…むしろ…見えないことの方が不思議だった…。
飯島病院の眼科の医師も…何かの衝撃による一時的な症状ではないか…と考えた。
しかし…治療方法や解決策に関しては…よく分からなかった…。
身体の方は自己回復を始めるとあっという間に全快したが…何故か視力だけが戻らない…。
見えない…というよりは見える対象が普通のものではなくて…常時…内視鏡でものを見ているような状態に陥っていた…。
とうたん…行ってきま~ちゅ…と食器を洗う水音に混じってキッチンの方で声がする。
毎朝のお出かけの挨拶…。
ばたばたと幾つもの小さな足音が近づいて来る…。
「先生…行ってきま~ちゅ…。 」
吾蘭の声が耳元で聞こえた…。
ちっちゃな手が三つ…滝川の手に触れていく…。
吾蘭…来人…絢人…それぞれノエルと輝について出かけていく…。
「行っといで…。 気をつけてな…。 」
滝川は笑顔で…そう答えた…。
玄関の扉を閉める音がすると…よっこらしょっと居間のソファから立ち上がり…洗面所に向かう…。
夕べ寝しなにかけておいた洗濯物を取り出す…。
上手く乾燥されているかどうかを確認しながら籠に入れる…。
居間へ持ち帰り…手探りでたたむ…。
最近の朝の習慣…。
見え方が妙なだけで…そこにものが存在すること自体は分かるから…家に籠もって生活する分にはさほど不自由を感じていない…。
写真が撮れないだけ…さ…。
死ぬ覚悟で紫苑を止めに入ったのだから…命が在っただけでも有り難いと思わなければ…。
僕は…そう思ってるんだけどな…。
こちらへ近づいて来る西沢の気配を感じながら…滝川は思った。
「恭介…コーヒー…。 熱いから…気をつけて…。 」
居間のテーブルの上にそっとカップを置く…。
病院から戻って…はや一週間…症状は改善されないまま…。
けれど…有も…有の恩師である宗主専属の治療師も…悲観的な見方はしていない。
滝川は今…常に治療師の能力を使っている状態にあるだけで…何か…きっかけさえあれば…ちゃんと見えるようになると言っていた…。
それでも西沢は立ち直れない…。 完全にどん底…。
滝川が悪戯を仕掛ければ…無抵抗にされるがまま…。
まるで…そうすることが自分に与えられた罰だ…とでも思っているかのよう…。
紫苑…嫌なことは…嫌だって言わなきゃ…。
放っとくと…調子に乗っちゃうぜ…。
こうなると…滝川の方が溜息もの…。
従順なお人形さん相手にゲーム仕掛けても…面白くないぜ…紫苑…。
なあ…いつものおまえに戻れよ…。
怒れってば…。
発作を起こした英武の暴力に痛めつけられていた頃のように、西沢は何をされても唯、黙って耐えるだけ…。
英武が治療を受けて発作を起こさなくなってから、少しずつ消え始めていた自虐傾向が再び甦りつつある…。
悪い兆候…と滝川は感じた。
その原因となっているのが滝川自身であることに…少しばかり複雑なものを覚えた…。
次回へ
西沢は落ち着かない様子でそれをじっと見ていたが…不意に大きく息を吐くと…腰を抜かしている少年と『時の輪』の方に向き直った…。
宗主がさり気なく…西沢の行動を見張った…。
完全に怒りの焔が消えたかどうか…それを確認するために…。
少年は怯えきった眼を向けていた…。
『時の輪』は…固まって動けない少年を庇うように自分の背中にまわした…。
「おやじ…運がいいな…。
おまえだけは逃がすまいと思っていたのに…。 」
押し殺した抑揚のない口調で西沢は淡々と話しかけた…。
「見たところ…おまえ以外にはHISTORIANの後始末を任せられる者はいないようだ…。
不本意だが…見逃してやる…。
仲間を引き連れて…この国を立ち去れ…。
誤った教理など早々に破り捨てて…進むべき道を正せ…。
二度と愚行を繰り返すな…。
我々エナジーは世界中どこにいてもおまえの動きを見張っている…。
何ごとかあれば…今度は…容赦はしない…。
それを忘れるなよ…。 」
『時の輪』は辺りを見回した。
つい先程まで空間の壁を補強していたエナジーたちがすでに持ち場を離れて…なにやらざわめいている…。
『時の輪』に対して警告を発しているようにも聞こえる…。
彼等に口というものがあるのなら…だが…。
姿は見えないが『時の輪』にも強大なエナジーの気配だけは感じられる…。
西沢は我々…と言った…。
これまで相対していたものが…西沢の中の魔物だけではなく…この強大なエナジーたちだとしたら…考えるまでもなく勝ち目はない…。
ましてや…捕まえて利用するなどできようはずがない…。
虚しく転がるふたつの骸に眼をやりながら…『時の輪』は力なく項垂れた…。
やがて…ノエルの空間フレームも消え…もとの静かな町に戻った…。
町はほとんど無傷だったが…添田の屋敷は燃え尽きたまま…裏の林にも破壊の痕跡が生々しく残っていた…。
西沢が破壊したはずの民家は何事もなかったかのようにそこに在り…あちらこちらに力を抜かれたHISTORIANたちが転がっていた…。
空間が消えてしまうと…屋敷の焼け跡からお伽さまが姿を現した…。
添田と磯見…そして…すんでのところで三人を助け出した智明と三宅もそこに居た…。
敢えてどこかに隠れていたというわけではないが…意図的に空間の外に移動したものは空間の中からは見えないのかもしれない…。
お伽さまは宗主の前へ出るとそっと一礼した…。
「御大親のお導きにより…新天爵さまと庭田衆が駆け付けてくださいました…。
お蔭さまで事なきを得ました…。 」
お伽さまの無事を確認して…宗主は嬉しそうに眼を細め頷いた…。
この国に潜伏していたHISTORIANのほとんどがその力を失い…彼等を動かしていた首座とその弟が倒されて…屋台骨の折れた組織は急激におとなしくなった…。
あの少年の他にも、数人の子供たちが将来の首座候補として世界各地に送り込まれてはいたが、何れもそれほどの力の持ち主ではないことが判明した…。
『時の輪』の告白によれば…このところHISTORIANの内部では急速に能力の退化が進み…組織自体が弱体化してきたために…急ぎ勢力の拡大と教理に示された建国の実現を図ったのだという。
過去に敵対していた天爵ばばさまの魂…がこの国に存在するらしい…ということをアカシックレコードから読み取った首座兄弟は何としても…この国を渡すまいと考えたようだ…。
後に王弟の記憶まで登場して…さらに執着を深めた…。
首座の弟に…生物個体の特異性を強調させる能力があり…ワクチン系の同士を作り上げるには…DNAそのものを直接操作せずとも内在するプログラムの特異性を刺激すれば事足りるらしい…。
だとすれば…三宅が業使いの力で…オリジナル系を発症させたのと大差ないわけだ…。
但し…ノエルの時のように胎児にも影響が及ぶ虞があり…来人がワクチン系の完全体として生まれたのも偶然とは言い難い…。
幸いと言うべきか…はるか超古代にプログラムを組み込んだ力そのものは…すでにHISTORIAN自体からも消滅しており…最早…彼等自身の能力を以って新たにプログラムを組み込むことは不可能となっていた…。
飯島病院の特別室…今やここは西沢家専用の病室のようになっている…。
宗主と有の治療を受けた後…滝川は仲間たちの手でここに運ばれた…。
攻撃を受けたわけではないから魂が燃えてしまうことはないにせよ…青の焔が体内に入ったために消耗が激しく…回復には時間がかかりそうだった…。
西沢は滝川の傍に付っきりで…滝川の目覚めを待っていた…。
ようやく自宅に戻ってきた子供たちとも…まだ顔を合わせていなかった…。
「ノエルが心配してたよ…。 紫苑…寝てないんじゃないかって…。
どうして…みんなの手を借りないの…? 交代で付き添えばいいじゃない…。 」
子供たちを連れて仕事に出かけたノエルに代わって…非番の亮が着替えを届けに来ていた…。
西沢は軽く微笑んだ…。
「傍に…居てやりたいんだよ…。
恭介は…ね。 僕にとって大切な人だから…。 」
紫苑…やっぱり先生のこと好きなんだ…?
西沢の本心を確かめるように亮は…その表情を伺った。
実の兄だとは知らなかった頃に…同じ質問をした覚えがある…。
あの時と同じように…西沢はクスッと笑った…。
「僕には…どこかで…自分を捨ててしまっているようなところがあるんだ…。
自分を愛せなくて…大切にもできなくて…。
誰も本気で…僕のことなど愛してはいない…と…そう思い込んでいるようなところがね…。 」
そんな西沢を包み込むように…滝川は何度も囁き続ける…。
愛してる…愛してるよ…紫苑…。
自分の存在の意味を模索する西沢に…ひとつだけは必ず…答えを用意しておいてくれる…。
お前が居なくなれば…僕も消える…。
僕等は…ふたつの身体を持つひとつの存在…。
生きて…紫苑…僕のために…。
「恭介が居なければ…とうに僕は壊れていた…。
強くて頼りになる紫苑…みんなはそう思っているけれど…恭介が蔭で僕を支えていてくれるからこそ…なんだ…。 」
僕ひとりでは…何もできない…。
西沢はそう言って溜息をついた…。
紫苑…。
不意に滝川が声を発した…。
目覚めた…これで意識的に自己回復を始める…。
西沢の表情が華やいだ…。
「あの子は…? 」
滝川が身体を張って西沢の暴走を止めようとした直接の目的…少年の命…。
気にかかっていた…。
「大丈夫…殺さずに済んだよ…。
先の見通しが立つまで…智明が…天爵ばばさまが預かって教育し直すと申し出た。
教理の過ちを正せるのは天爵さまだけだから…。 」
それを聞いて安心したように滝川は頷いた…。
「僕は…後始末にはタッチしていない…。 上の方が動いているから…。 」
そうか…滝川は少し微笑んだ…。
様子がおかしい…と西沢は感じた…。
「恭介…どうした…? 何故…こっちを見ない…? 」
そう問われて…滝川は西沢の声のする方へと顔を向けた…。
遠くを見つめるようなその眼…。
「見えてないのか…? 見えないのか…恭介? 」
滝川の両頬を掌で挟んで…西沢はその眼を覗き込んだ…。
「全然…という…わけじゃないよ…紫苑。 治療師の眼は…働いてる…。
大丈夫…なんとかやっていけるさ…。 」
安心させるように滝川はまた微笑んだ…。
西沢の両目から涙が溢れ出た…。
「恭介…ごめん…ごめんな…。 僕のせいだ…。」
西沢の受けた衝撃は…その取り乱した姿からも容易に察せられた…。
滝川の眼…写真家としての滝川の命…。
それを奪ってしまった…。
滝川には西沢の動揺が手に取るように分かった…。
自分に何かあればそうなるだろうということも…ある程度予測していた…。
けれど…子供の命を奪ってしまうよりは…傷は浅くて済む…と考えた…。
おまえのせいではないよ…紫苑…。
僕が勝手に…やったことなんだから…。
有さんが止めるのも聞かずにね…。
その場でふたりを見ていた亮は…この状況に置かれても比較的落ち着いている当の滝川よりも…西沢の受けた精神的な衝撃と痛手を案じた…。
有の診たところでは滝川の眼にも脳にもなんら異常はなく…むしろ…見えないことの方が不思議だった…。
飯島病院の眼科の医師も…何かの衝撃による一時的な症状ではないか…と考えた。
しかし…治療方法や解決策に関しては…よく分からなかった…。
身体の方は自己回復を始めるとあっという間に全快したが…何故か視力だけが戻らない…。
見えない…というよりは見える対象が普通のものではなくて…常時…内視鏡でものを見ているような状態に陥っていた…。
とうたん…行ってきま~ちゅ…と食器を洗う水音に混じってキッチンの方で声がする。
毎朝のお出かけの挨拶…。
ばたばたと幾つもの小さな足音が近づいて来る…。
「先生…行ってきま~ちゅ…。 」
吾蘭の声が耳元で聞こえた…。
ちっちゃな手が三つ…滝川の手に触れていく…。
吾蘭…来人…絢人…それぞれノエルと輝について出かけていく…。
「行っといで…。 気をつけてな…。 」
滝川は笑顔で…そう答えた…。
玄関の扉を閉める音がすると…よっこらしょっと居間のソファから立ち上がり…洗面所に向かう…。
夕べ寝しなにかけておいた洗濯物を取り出す…。
上手く乾燥されているかどうかを確認しながら籠に入れる…。
居間へ持ち帰り…手探りでたたむ…。
最近の朝の習慣…。
見え方が妙なだけで…そこにものが存在すること自体は分かるから…家に籠もって生活する分にはさほど不自由を感じていない…。
写真が撮れないだけ…さ…。
死ぬ覚悟で紫苑を止めに入ったのだから…命が在っただけでも有り難いと思わなければ…。
僕は…そう思ってるんだけどな…。
こちらへ近づいて来る西沢の気配を感じながら…滝川は思った。
「恭介…コーヒー…。 熱いから…気をつけて…。 」
居間のテーブルの上にそっとカップを置く…。
病院から戻って…はや一週間…症状は改善されないまま…。
けれど…有も…有の恩師である宗主専属の治療師も…悲観的な見方はしていない。
滝川は今…常に治療師の能力を使っている状態にあるだけで…何か…きっかけさえあれば…ちゃんと見えるようになると言っていた…。
それでも西沢は立ち直れない…。 完全にどん底…。
滝川が悪戯を仕掛ければ…無抵抗にされるがまま…。
まるで…そうすることが自分に与えられた罰だ…とでも思っているかのよう…。
紫苑…嫌なことは…嫌だって言わなきゃ…。
放っとくと…調子に乗っちゃうぜ…。
こうなると…滝川の方が溜息もの…。
従順なお人形さん相手にゲーム仕掛けても…面白くないぜ…紫苑…。
なあ…いつものおまえに戻れよ…。
怒れってば…。
発作を起こした英武の暴力に痛めつけられていた頃のように、西沢は何をされても唯、黙って耐えるだけ…。
英武が治療を受けて発作を起こさなくなってから、少しずつ消え始めていた自虐傾向が再び甦りつつある…。
悪い兆候…と滝川は感じた。
その原因となっているのが滝川自身であることに…少しばかり複雑なものを覚えた…。
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