徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

一番目の夢(第三十一話 藤宮のうわさ)

2005-06-15 13:53:58 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 透たちが術のこつを掴みはじめ、ようやく修練も軌道に乗り始めた頃、藤宮の隠居所には再び主だった同志が集まった。この頃になると、三左の藤宮に、特に笙子に対する嫌がらせが頻繁になり、藤宮としても黙って見過ごすわけにはいかなくなってきた。

 「笙子のことだから大事はないが、藤宮としても手をうつことにした。修も気がかりだろうからな。」
いつでも穏やかな人だが今日はとりわけ機嫌のよい輝郷の言葉に次郎左も満足げに頷いた。

 「ご高配痛み入ります。」
修が頭を下げ礼を述べた。なぜか貴彦だけが渋い顔をしていた。
 
 藤宮の人たちが何か妙に愛想のいいことに透も雅人も違和感を覚えた。後ろに座っている悟と晃を振り返ると、彼らがそれぞれに耳打ちした。

 『聞いてないのか?修さんと笙子さんの結婚話だよ。』『知らねえよ。』
 『本人同士はまだ決めてないらしいんだけどね。』『お祖父さまたちが乗り気でさ。』
 『聞いてないよ。』

 「こら。坊主たち。うるさいぞ。今日はおまえたちには特に話はないから、あっちで遊んできなさい。」
 輝郷がまるで幼い子供を嗜めるようにそう言ったので、四人は隠居所を後にした。



 悟は透たちを自分の部屋に案内した。
部屋へ入り際、晃が廊下を見回して誰も近くにいないことを確認した。
 
 「訊きたいだろ?」
悟が笑いながら言った。透も雅人もうんうんと頷いた。

 「三左の馬鹿が修さんの気を君たちから逸らさせるために、藤宮との結婚話を持ち込んだんだよ。相手は僕らの従姉で、修さんの幼馴染、笙子さんというんだ。」
すぐ後を引き継いで晃が言った。

 「その笙子さんというのが大変な人でさ。藤宮でも一、二を争うすごいパワーの持ち主なわけ。
性格も容姿もすごくいい人なんだけどさ。ちょっと問題が。」
晃は話を止めて皆を見回した。

 「両刀使いらしいんだな。しかも結構遊び好きであっちこっちに付き合ってる姉ちゃんだの兄ちゃんだのがいるらしくてさ。」

『ええーっ!』
透も雅人も思わず叫びそうになるのをやっと堪えた。

 「これは藤宮だけのうわさだよ。うわさ。世間じゃ、浮いた話一つないお嬢さまで通ってるから。」
悟が念を押した。

 兄弟の話では、藤宮としては不名誉なうわさが世間に出る前に笙子を嫁に出してしまいたいというのが本音で、紫峰家から話があった時には渡りに船、例え、あの三左の申し出でも表向きには宗主からの話ということ、一族あげて大乗り気らしい。

 『修さんはそのことを?』
透が訊こうとするのを、雅人が止めた。

 「単なるうわさだ。透。修さんには何も言うなよ。おまえたちもだ。」

 「なんでさ。そんな人と結婚したら…。」
透が雅人に食って掛かった。

 「透。これは修さんの問題だ。僕らが口を出していいことじゃない。」
雅人は皆に有無を言わせなかった。『何か知ってるな。』透はそう感じた。

 「あっ…それはそうとさ。おまえたち調子はどうなの?」

 「そうそう。今日、儀式の日が決まるんだろ?僕たちまた手伝いに行くことになってるんだ。」
二人が気まずくなりそうなので藤宮の兄弟は急いで話題を変えた。

 「それがさ…マジやべえの。」

 透も雅人も『よくぞ訊いてくれました。』と言わんばかりに勢い込んで話し始めた。日頃愚痴もこぼせない彼らにとってはいい鬱憤晴らしだった。
勿論、相伝の内容や修の過去に触れることはしなかったが。 



 隠居所では最終儀式の段取りと立ち合う長老衆の名前などが決められていた。例のこともあって藤宮側は終始和やかだった。

 「これで大方決まったな。後はあのお二人さんのがんばり次第ということだ。」
輝郷が言った。一同はほっと息をついた。

 「今一度、大叔父さまにお伝えしておかなければならないことがあります。」
修が次郎左のほうに向き直った。

 「何ごとかな。」
次郎左はただならぬものを感じ取った。こういう時の修には有無を言わさぬ迫力がある。
大叔父次郎左といえど姿勢を正さざるをえないほどの威圧感を感じる。
その場の皆に緊張が走った。

 「三左は悪人とはいえ、大叔父さまにとっては血を分けた兄弟です。親しくなさっていなくともそれなりに情がおありでしょう。

 もし、眠れる一左を救い出すことができれば、三左の魂はその時点で行き場を失います。
うまく冥界へ行けばよし。そうでなければ奴のことだ。また他のものに憑依する。今度は一族のものとは限らない。

 紫峰家の奥儀が門外不出なら、紫峰家が出した悪もまた門内で絶たねばなりません。」

 「それはおまえの言うとおりだ。」
次郎左は頷いた。

 「絶つと決めた以上はたとえ相手が身内であろうと決して手加減は致しません。
その場で何が起ころうと大叔父さまにはその旨肝に銘じておいて頂きたい。
よろしいですね。」

 次郎左は完全に気圧された。『手加減をしない…。この男が本性を現すというのか。』
身のうちに震えが起こり額に汗がにじみ出た。
 修の持っているチカラが並でないことくらいは次郎左も知っている。自分よりはるかに大きなチカラだということにも気が付いている。おそらくは長老衆も…。

 だが、それに触れるのが怖ろしくて誰も確かめたことはない。確かめる必要も無かった。
穏やかな樹の御霊の存在だけで十分だった。

 樹の御霊の怒りに触れるなど禁忌のこと。

『もはや…避けられぬか。』
次郎左の胸の内に底知れぬ恐怖が渦巻きだした。 



  
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一番目の夢(第三十話 心の鍵)

2005-06-14 12:49:02 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 「すっかり遅くなっちゃった。つき合わせてごめんね。」
 後部ドアを開けて荷物を運び入れながら、笙子はソラに声をかけた。

 「何の…こちらはご馳走にありつけて満足さ。」
 ソラは笙子が用意してくれたクッションに身体を沈めながらニタニタ笑った。

 「ねえ。食べる?」
 運転席に座るとソラの方を振り向いて、笙子はチョコレートを一粒差し出した。ソラは大きな口を開けた。

 「お味はどう?」
 興味深げに笙子が訊ねた。ソラは神妙な顔をしていたが、やがてべえっと舌を出した。

 「この前喰わせてもらったアイスクリンはまあまあだったが、こいつはだめだ。」

 笙子は笑いながらハンドルに向かった。車はゆっくりと走り出した。

 『このお嬢さんはいい人だが、俺の好みを分かってないな。』とソラは思った。
考えてみれば透も冬樹もいろんな種類のドッグフードを買ってきては食べさせてくれたが、それほどに美味いとは思わなかった。『おれは犬じゃねえから。』 
 
 『まあ、この時代の人間に俺のことを理解しろってほうがどだい無理なんだよな』
  
 そんなことを考えていた矢先、ソラは誰かの大きな悪意を感じて車の外を見た。ソラの乗っているこの車じゃないことは確かだ。前、後ろ、右に他の車が走っている。ソラは三台をそれぞれ探った。後ろの一台がやたらふらふらと妙な運転をしている。

 「お嬢さん気をつけろ!後ろの車だ。」
大声で注意を促した。

 「分かってる。運転手を探って。状態は?」

 「運転手意識なし…奴だぜ!」

 こんな混雑した所で何かあれば周り中を巻き込んだ大事故になる。どこか逸れる道は…。
笙子は先のほうに小さな交差点を見つけた。

 後ろの車はどんどんスピードを上げてくる。あわや接触というところで左折できた。
しかし、後ろの車がさらに接近してくる。こちらに車を停める時間さえ与えてくれない。

 「ソラ、次の信号。覚悟しておいて。衝撃が来るわよ。」

 笙子が落ち着いた声で言った。前方の信号が赤になった。後ろの車が笙子の車に追突したその時、笙子の身体から凄まじい光が放たれた。相手の車が横転し傍を通りかかった別の車に接触した。笙子の車は歩道に乗り上げてはいたが大破はしていなかった。

 近くにいた人たちが駆けつけてきてくれて、車を降りた笙子に声をかけてくれた。
『大丈夫です。有難う。』そう応えながら笙子が110番に連絡しようとすると、誰かがすでに連絡していたらしく、パトカーや救急車の音が遠くに聞こえた。

 ぶつけられた笙子ともうひとりの運転手には幸いなことにたいした怪我はなかった。
横転した車の運転手は意識がなく、救急車で早々に運ばれていった。状況や目撃者の証言から警察では例の運転手が、居眠りしていたか、何かの病気で意識を失っていたかだと判断された。
大事をとって笙子たちも救急車に乗せられて病院へ搬送されることになった。
笙子は可愛そうな犠牲者であるあの運転手が無事であるようにと祈った。



 笙子が例の運転手の車をひっくり返したその時、三左は同時にその衝撃波によって吹っ飛びそうになった。思ったより藤宮の姫は腕が立つ。
 失敗だと分かって舌打ちしたものの、このことが修の耳に入れば修の動揺を招くだろう。
それは三左にとっては愉快この上ない話だ。 
 小さな動揺でも数重なれば大きな不安となる。修の目を逸らすためには効果的な方法と言えるだろう。 
『ちょくちょく苛めてやるかの。』
修の困り果てた顔を想像して三左は笑い転げた。  




 「無罪放免よ。ソラ。」
病院の玄関で待っていたソラに笙子は笑いながら声をかけた。

 「何事も無くてよかったな。お嬢さん。」
そう言いながらソラは駐車場の方をあごで示した。修が迎えに来ていた。
 
 「あなた連絡したの?」
不思議そうに笙子は訊いた。

 「黒田だよ。眠れる一左から信号が来たんだと。」
そう言うとソラは一目散に修の所へ駆けて行った。修が腰をかがめてソラをなでているのが見えた。
 笙子を車に乗せる時に『大丈夫か?』と訊いた後、修は無言のままで、笙子の話に相槌は打つものの、何かずっと他のことを考えているように感じられた。


 
 笙子は普段、仕事場に近い所で一人暮らしをしている。実家は紫峰家の近隣にあり、修は大事をとってそちらに送っていこうと思っていた。
『でもね。明日が大変だから…。』
笙子がそう言うので仕方なく彼女のマンションへと向かった。 

 黒田は藤宮本家にも連絡を入れたらしく、手回しよく事故後の処理が済んでおり、マンションの管理人の所へ笙子の車の中の荷物が届けられていた。
 笙子が話好きの管理人に捉って事故について話をしている間に、修は管理人から受け取った荷物を笙子に代わって部屋へと運んだ。

 「なんだかんだ言いながら、あんた鍵持ってんだ。」

ソラは意味有りげににんまりと笑った。修はソラに一瞥をくれただけで、奥の部屋まで荷物を持っていった。

 「ごめんね。修、ありがとう。いまコーヒーでも入れるね。」

笙子が玄関から声をかけた。玄関からキッチンへ入る所で笙子を出迎えた修は躊躇わず笙子を抱きよせた。

 「悪かった。僕が…考えなしに君の名前を出したために…。」

修の腕の中で笙子は微笑んだ。

 「言ったでしょ。私は大丈夫。それに考えなかったわけじゃないでしょう?
笙子なら何とかしてくれるだろうって…そう思ってたでしょう。」

 『図星…だ。敵わないね。君には…。』心の中で修は呟いて笙子から腕を離した。

 「他に言うことはない? 修? あなたが黙り込む時は、たいてい、言いたいことがあっても口にできないでいる…。」

 『それも…あたり。でもね…。』修は何もないというように首を横に振った。『本当に言いたいことは…今は言えない。』

 「相変わらずね。」

笙子がいきなり修の顔を引き寄せ唇に軽くキスした。

 「いいこと。あとはおあずけよ。どうせ泊ってはいかないんでしょう。」

 「笙子…そういうことじゃなくて…。僕は…。」

うろたえている修の顔を見て笙子はくすくすっと笑った。

 「冗談よ。もっと肩から力を抜きなさいな。あなたは真面目すぎるわ。」

そう言いながらも笙子は急に真顔になった。

 「修。何があってもあの子たちから目を放してはだめよ。今のあの子たちではまだ三左には太刀打ちできない。相伝を終えて自分たちの本当の力を知るまではね。
 それまで私のことは忘れていて。頭から消しといて。黒田さんにもわざわざ連絡しなくていいと私から言っておくわ。
あなたはあの子たちの親なんだから。」
 
 笙子の気持ちを有難いとは思う。笙子の力を信じないわけでもない。こんなふうに笙子を護りたいと思うことはただの自己満足だと分かっている。でも…。
 
 「帰る。」

修は静かに言った。 

 「気をつけてね。今日は有難う。このワンちゃん借りとくから。」

笙子がそう応えた時、すれ違いざまに修はもう一度笙子を抱き寄せた。

 「好きだよ笙子…好きだけど…今は忘れる。」

修が耳元で囁いた。笙子は微笑んだ。

 「初めて聞いたわ。さあ…帰りなさい。」

笙子は両手でパンパンと修の背中を軽く叩いた。
笙子から離れると、修はそれ以上振り返ることもなく、『じゃあな…。』と言って部屋を後にした。



 修のいなくなった玄関先で、力が抜けたように笙子はへたり込んでいた。

 「あれでよかったのかよ。お嬢さん。鍵を渡した仲なのにさ。」

ソラが心配そうに訊いた。

 「いいのよ。あの鍵は修の心の鍵なの。修はあの鍵を開けてここに来るたびに他の人に言えないことを、ここで少しだけ私に話していくの。ほんの少しだけね。
でも…今日は珍しく…口をすべらせたみたい…。」

ソラをなでながら笙子はまた優しい笑みを浮かべた。




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一番目の夢(第二十九話 託された思い)

2005-06-11 15:25:59 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 三日目に入っても透も雅人も相変わらず珍奇なアート作品を作り続けていた。

 修としてはどこをどうするとガーベラがこのようなわけの分からない物体に変化するのか不思議に思うところではあるが、まあそれはそれとして一笑に付すしかない。二人が気付くまで。
 

 可笑しな様相を呈するガーベラを前になにやら真剣に考えていた雅人が、閃いたと言わんばかりに透の肩を叩いた。

 「透。あのさ…おまえが前修行してた時に精神修養以外に何か教えてもらった?」

透は三日間の修行を思い出し、断片的ながら詳しく雅人に伝えた。

 「…で、修さんの波長と僕の波長を融合させて…。」

 「それだ!」

どれだという目で透は雅人を見たが、雅人は浮き浮きした様子で話し出した。

 「透。それだよ。ガーベラの波長に僕らの波長を合わせてみよう。」

 「合った時点で相手を引っ張り出すのか!」

 雅人の合図で二人はいっせいにガーベラに向かった。静かに呼吸を整え、相手の波長を探り始めた。ところが、ガーベラの波長に合わせようとした瞬間、凄まじい衝撃を受け二人とも弾き飛ばされてしまった。
 

 驚いて起き上がると修が血相変えて二人の間に立っていた。修は力が抜けたようにその場にがっくりと腰をおろした。
 
 「気をつけなきゃだめだ…。おまえたちは今お互いの魂を抜こうとしていたんだよ…。」

 まるで全力疾走した後のように息を切らしていた。

 修に言われて自分たちがとんでもない間違いを犯すところだったことにぞっとした。

 「おいで…。二人とも…。言っておかなければならないことがある。」

 修はまだ動悸が収まらないようだった。二人はしおらしくうなだれて修の前に座った。



 二人を前にして、修はまだ迷っているようだったが、やがて口を開いた。

 「この前、雅人が訊いたね。五歳までにマスターできたかと…。そのとおりだよ。
僕は正確には三歳頃に相伝を受けた。成長するまで待ってる時間がなかったんだ…。
父も母もいつ殺されるかわからないことに気付いていたから。
 
 前修行なんかない。事前の修練もない。僕はたった三歳。
そんな状態なのに、僕の相手はガーベラなんかじゃなかった…。」

 修の身体が震えているのが分かった。二人は息を飲んだ。

 「僕の最初の相手は可愛がっていたペットたちだった。最初から成功なんてするはずがない。
僕はこの手で大事な友達たちを殺してしまったんだ…。
悲しくて、苦しくて、逃げ出したかった。でも…許されるはずもない。

 そんな僕の心の弱さを見抜いたのか、次に僕の相手になったのは父だった。」

 透と雅人の唇から呻くような声がもれ出た。修の恐怖が自分たちにも伝わってくるのがはっきり分かった。

 「他のものに殺されるならおまえに殺された方がましだと父は言った。
 僕がペットたちを死なせてしまってから何分も経っていないのに、どうして父を相手にこんな危ないことができる?

 泣いて頼んだよ。やめさせて欲しいと…。

 『時間がないんだ…。おまえにすべてを伝えておかなければ、一族が滅ぼされてしまう。紫峰家だけの問題じゃない。 このままほうっておけば、無関係な人々まで巻き込むことになるんだよ。
 おまえはその力で皆を護っていかなくてはならない。おまえのその力の礎になるなら俺は死んでもいい。俺を殺しても決して後悔するな。これは俺が望んだこと…。』

 …だけど僕に何ができる?」

 あまりの悲惨な光景に透も雅人も言葉を失った。
 
 「祈るしかなかった…。全身が震えた。怖ろしくて…。
三歳児の記憶がこんなにはっきりしているところを見るとその恐怖も相当なもんだったんだろう。
 極限状態に追い込まれた僕は樹としての記憶を蘇らせた。どうにか…父を殺さずに済んだよ。」

 修は大きく溜息をつくと二人を見つめた。  

 「おまえたちは今やっと方法を見出したが相手を選別することを忘れた。
最初に言ったとおり相手にしているのは命だということを忘れてはいけない。少しでも間違いがあれば相手の命を奪い、相手だけでなく対象外の誰かを殺すことだってある。
 
 逆に相手が強ければ自分が死ぬことだって有りうる。それほど危険なことなんだよ。
 
 慌てなくていい。あせる必要は無い。くれぐれも細心の注意を払うこと。
これから先、植物から動物へと対象を変えていく。もし、おまえたちが命に敬意を払わないようであれば、或いは真剣さが足りないようであれば、僕がおまえたちの相手になる。

 僕は本気だからね。」

 ガーベラの成れの果てに目を向けながら、『それだけは絶対に嫌だ。』と二人は思った。
それまでだってふざけていたわけではないが、対象が植物ということで軽く考えていたのは確かだ。そのためにもう少しでお互いに殺し合うところだった。

 ことに透は前修行を受けたにも拘らず、その成果が身についていなかったことを思い知らされて情けなかった。修さんや皆にあれだけ手助けしてもらったのに…と。

 雅人は…別のことを考えていた。
紫峰家が代々宗主を立ててこの術を継承し、門外不出として封印してきたのは、この危険な術を世間の目から隠し、悪用されるのを避けるためだったのだろう。では、なぜ…完全に排除してしまわなかったのか。この世から消してしまえば何の問題もなかったのではないか。

 「そうだね…。その答えは相伝の中にある…おまえにも分かるよ…時が来ればね。」

雅人の心を読んだのか修は穏やかにそう言った。
 

 
 
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一番目の夢(第二十八話 相伝開始)

2005-06-10 16:05:30 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 紫峰家の祈祷所の封印が再び解かれ、透と雅人は相伝のための修練を開始することになった。
前修行の時とは違い、今度はおおっぴらにこの建物を使うことができる。
透と雅人はやや緊張した面持ちで扉を開けた。

 前修行を行った祈祷室の脇にあるもう一つの修練場で修が待っていた。勿論、今回は修も実体のままだ。修の前には三つ一輪挿しが置かれてあって、それぞれにガーベラの花が挿してあった。

 「ここから先はもう前修行ではない。すでに相伝を開始したものと心得なさい。」
二人の顔を交互に見ながら修は静かに語り始めた。二人は姿勢を正した。

 「雅人は前修行をしていないが、前修行の目的は精神面の足りない部分を補うことにある。人によって修行内容が違うのは当前のこと。
だから正式ではないが、あの長老会議の夜に…終わらせたと言えなくはない。」

 雅人は顔を赤らめて視線を落とした。胸の中に押し込めておいたものを吐き出すように、思いっきり泣いたことを言っているのだと分かった。透が何も言わないでいるのはすべてを知っているからなのだろう。透のチカラならそんなことは朝飯前だ。



 「ここに活けてある花を見ておいで。」
修はそう言うと静かに目を閉じた。

 修の前に置かれている三本のガーベラのうち、修に一番近いものがあっという間にしおれ、枯れ、ついには茶色く干からびてしまった。

 透も、雅人も、この程度ならいけそうだと秘かに思った。

 やがて、二人の目の前でガーベラは再び復活を始めた。まるで時を戻しているかのようにみずみずしさを取り戻し、色づき、花をもたげ…。

 「いま、おまえたちはこのくらいのことなら自分たちにもできると感じているだろう。
それはそれでいい。それだけのチカラがなければ相伝など問題外なのだから。
 ただし、これから起こることとの現象の違いをよく観察しておきなさい。」
修は目を開くと、彼らの心を見透かしたかのように言った。 

 修は深く呼吸をすると再び目を閉じた。今度は片手をガーベラにかざしている。

 ガーベラは頭を垂れることもなく、枯れることもなく、外見的には変化が見られないように思えた。しかし、形はそのままなのに生きた花という感じがしなくなり、まるで造花のように輝きを失った。

 『魂を抜かれた。』と二人は感じた。

 修が手のひらを上に向けるとかすかに揺らめく光のようなものが見えた。それはガーベラの方にスーッと吸い込まれていき、作り物のようだったガーベラに生気が宿った。

 二人は息を飲んだ。『こんなことできるだろうか。』
幽体離脱という現象は、宗教における修練や科学的な刺激を脳に与えることによって可能であると聞いている。現に修が前修行の時にやって見せた。

 だが、それはあくまで自分自身の魂を自分でコントロールする能力や、特殊な装置があってのことで、自分以外の何者かの魂をどうこうするというものではない。

 透も雅人もちょっとしたいたずらで誰かを転ばしたような経験はあるが、そんなお遊び程度の能力とは次元が違い過ぎる。

 「さあ、そこにある花を使ってやってみなさい。慎重にね。どんな相手に対しても御霊には礼を尽くすこと。更に気をつけなければならないことは相手から抜いた御霊を無くさないこと。
おまえたちが扱っているのは命だということを決して忘れないこと。」

 修にそう促されてガーベラを前にしたはものの、二人とも初っ端から戸惑っていた。
雅人が先に始めたが方法が掴めず、どうしてもガーベラが枯れてしまう。それは透も同じだった。
繰り返し繰り返し何度も何度も試みるが、修が見せてくれたような結果には到らなかった。

 修は黙ったままじっと二人の修練する姿を見ていた。二人がどれほど同じ失敗を繰り返そうと、はたまたとんでもない現象を引き起こそうと、怒りもしなければ、それ以上教えようともしなかった。



 「初日は…まあ…こんなものだな…。」

 二人のさんざんな失敗のおかげでピカソ張りのアート作品に仕上がったガーベラを一瞥しながら修は呟いた。

 「修さんは…こんな難しいことを本当に…五歳までにマスターしたの?」
肩で息をしながら雅人が訊いた。疲れてひっくり返っていた透も半身を起こして修の顔を見た。

 何かのショックを受けたように突然修の肩が震え出した。二人は驚いて顔を見合わせた。

 「僕には…時間がなかった…。失敗なんて…許されなかった…。」

 下唇を固く噛み締め、思い詰めたように床に視線を落としていた。
透たちには、修が何か過去のことを思い出しているように見えたが、それは決して楽しいものではなかったようだ。

 和彦が亡くなるまでの修の過去については誰も知っているものはいなかった。どのような環境で、どのような教育を受けて育ったのか一切謎だった。

 過去に触れられただけでこれほど動揺する修の姿を、生まれたときから一緒に暮らしている透でさえ見た事がなかった。いらぬことを思い出させてしまったと雅人は後悔した。
    
 しばらくして不安そうに自分を見つめている二人の視線に気付いた修はようやく我に返った。

 「ああ…ごめん…考え事をしてた。」

何事も無かったかのようにいつもの穏やかな笑みを浮かべた。
 
 透も雅人もその場ではほっとしたものの、この相伝という儀式が修に何か想像を絶する苦しみを与えたのだということだけは察せられて、不安な気持ちを完全には消し去ることができなかった。 




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一番目の夢(第二十七話 藤宮の女傑 )

2005-06-09 12:57:43 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 「説明してもらいましょうか?」
怒気を帯びた声で笙子が言った。

 黒田が部屋の隅で意味ありげにニタニタ笑っていたが、すぐに部屋を出て行った。
昼間、携帯に怒りを込めた笙子からのメールが入っていた。『話があるから出て来い。』と言わんばかりの内容で。

 『まずい。』と修は思った。
笙子の名前を勝手に使ったことをすっかり忘れていた。他人のいる場所で事情説明というわけにもいかず、黒田のオフィスを借りたのだった。

 「ああじれったい。もういい。手を出して。」

 笙子は修の手を取ると修の意識を読んだ。ただ相手の意識を読むだけならどこにも触れる必要は無いが、どこかに触れていればより正確に素早く読み取れる。特に意識の防御壁の高い能力者に対しては…。

 しばらくするとはっとしたように修の顔を見た。

 「藤宮にとっても…由々しき事態だわ。」
そう言うと手を離した。

 「私の方は…。」

 「分かってる。やられたな…。逆手に取られた。」

 修も笙子の方の事情を読み取っていた。三左は笙子の両親に笙子を修の嫁にと申し出たのだ。両親は乗り気で大喜びしている。ぬか喜びとも知らないで。
 この時期に護らねばならない相手が増えるのは、正直、修にとって頭が痛い話だ。透と修からは絶対に目を放すわけにはいかない。一族にも目を光らせていなければならない。

 「修には浮いた話のひとつもなかったからね。仕事ばかりで。これでカムフラージュができてよかったかもね。 
まあ…私の方もこれからは要らざる縁談話が来なくて済むわ…。」

あははと声をあげて笙子は笑った。

 「ごめん。巻き添え喰わせて。」

 心からそう詫びた。三左が笙子を的と決めた以上、笙子にどんな災いの手が及ぶかしれない。それもこれも修の責任だ。しかし、今の修に笙子を護りきる余裕があるかどうか。

 「次郎左お祖父さまの一家が関わっているなら、これは藤宮の問題でもある。私が何かの役に立つならそれでいい。」

 修の意識を読んだのか、笙子はさらに続けて言った。

 「見くびらないでね。あなたに護ってもらうほど藤宮の領袖は無能ではないから。」

 確かに笙子の持つ力は藤宮一族では最強のレベルだし、修と比べてもなんら遜色ないと分かっている。それでも修が心配するのは、もう誰も失いたくないという気持ちの表れだった。
 
 笙子は両の手のひらで修の頬を優しく挟んだ。

 「修…後悔するなら最初から私の名前なんて使わないことね。
すべてをひとりで護ろうとすること自体が思い上がりなのよ。そんなこと人間にはできやしない。
 誰かのチカラを借りることは決して恥ずかしいことじゃないわ。私に手助けを頼んだと思いなさい。」

 いつもそうだった。子供の時からお互いに助け合ってはきたけれど、おおらかな笙子の性格がどれほど修の心を救ってくれたか分からない。真面目な性格ゆえにすべてを抱え込んでしまう修の心をそっと緩めて解放してくれる。

 修はそっと笙子を抱きしめた。    

 「笙子…すまない。君を護ると言ってあげられなくて…。」

 二人はまるで恋人同士のようにしばらく抱き合っていたが、笙子が元気づけるように修の背中をパンパンと叩いたのを合図にあっけなく身を離した。

 
 「おや、おまえ来てたのか…。修。あんたの犬が来てるぜ。」
誰かと話す黒田の声がした。二人に気を使って隣の部屋に引っ込んでいた黒田がソラを連れて戻って来た。  
 
 「何これ?犬じゃないでしょ?」
ニタニタ笑う不思議な生き物にさすがの笙子も一歩引いた。

 「闇喰いだよ。これから先、君のボディガードを務めてくれる。ソラというんだ。大丈夫。このでかい図体は他の者には見えない。」

 修はソラの頭をなでながら紹介した。

 「お嬢さん。よろしくな。」
ソラはサモエドのような愛嬌たっぷりの顔で挨拶した。

 「わりと紳士的なようだわ。あなたその雲のような毛皮が素敵よ。」
笙子は恐る恐る手を伸ばしてソラをなでてみた。ふんわりといい感触だった。

 ソラはこのお嬢さんが気に入ったようで、修にもよくするように足元に擦り寄った。

 「ソラ…頼むよ。」
修がソラに言った。

 「任せな。あんたの大切な人だ。俺も気入れるぜ。」
ソラが応えた。


 黒田が食事を用意してくれていたが、笙子には次の約束があるらしく、黒田に侘びを言うとソラを従えて慌しく帰っていった。その逞しく凛々しい後ろ姿を見て、まさに藤宮の女傑と呼ばれるにふさわしいと黒田は思った。
 
 修は笙子がこのままずっと無事であるようにと祈っていた。
笙子の温もりがまだ腕に残っているような気がした。





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一番目の夢(第二十六話 不幸の真相 )

2005-06-08 17:10:00 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 「よく降るなあ…。」
貴彦が自分の背後にある大きな窓を振り返って溜息をついた。この窓は防音になっているが激しい勢いで窓を叩く雨を見ていると、今にも音が聞こえてきそうである。
終わったばかりの会議資料に再度目を通していた修も窓の外を見つめた。
『雨…か。』
数年前のあの日、やはりここで貴彦と雨を見ていた。
忘れもしないあの日…。



 大学を卒業してすぐに貴彦の勧めで留学することになり、二年間だけ貴彦宅に透と冬樹を預けた事がある。二人と離れて生活するのは気楽なようで、むしろ気がかりなことが多かった。
毎日のようにメールを送り、長期の休みには必ず帰国し、二人が寂しくないように心砕いた。
 それでも初めて自分の時間を持てたわけだし、誰も自分のことを知らない自由な場所での生活は結構楽しかったと言えるだろう。

 だが、それも黒田が修を訪ねてくるまでのことだった。
黒田は衝撃的な情報を運んできた。

 『紫峰家の宗主一左は自分自身の身体の中に封印されている。今、一左の身体を動かしているのは三左という男だ。』

それは俄かには信じがたいものだった。眠れる一左が黒田の夢を通じて信号を送ってきたのだ。

 実は修も、両親や徹人、豊穂から宗主の言動には十分気を付けるようにと忠告されていた。しかし、一左が偽者だと知らされたのはそれが初めてだった。

 過去の経緯から黒田は紫峰家には寄り付かなかったせいもあって、一族からもほとんど忘れられた存在だった。それだけに動きやすい立場にあったのは確かで、本物の一左が彼を選んだのもあながち間違いではない。
 ただ、黒田自身も三左のことはよく知らず、これほど何年も経ってから信号を送ってきた一左の真意も量りかね、迷った挙句、修が海外に出たのをきっかけに訪ねて来たのだという。

 急に帰国すれば何事かと勘ぐられてもまずいので、取り敢えずは修が予定通りに留学を終えて帰国するのを待ち、貴彦とも相談して計画をたてようということになった。黒田は先に帰国し、可能な限り一左と三左が入れ替わったと思われるその接点を調べておくと言った。


 留学を終えるなり、矢のように飛んで帰った修は、偽一左に帰国の報告をするのももどかしく、急ぎ貴彦を訪ねたのだった。

 貴彦の驚きと嘆きは想像以上で、事情を聞くなり絶句して椅子にへたり込んだまましばらく動けなかった。

 雨が絶え間なく窓を濡らし、貴彦と修の心を濡らし…。二人はただ呆然と雨を見ていた。

 どのくらい経ったのか、黒田が訪ねてきたおかげで二人は我に帰ることができた。
黒田は当時の様子を知っている人たちから聞き出した話をできるだけ要約して報告した。

 黒田の報告に、貴彦の記憶と修の記憶を重ね合わせていくと、家族を失い続けた理由がおぼろげながら見えてきた。

 次郎左が言っていたように、入れ替わったのは三左が野垂れ死にしたとの連絡を受けて一左が遺体を引き取りにいった時に違いない。その頃にいた使用人の話では、帰宅してからの一左はまるで人が変わったようだったという。

 蕗子が殺されたのは長年連れ添った夫婦の勘で三左の正体に気付き始めたからではないか。蕗子が生前に『あれはお父さまではない。』と呟いたのをはるが耳にしていた。

 修と両親は、両親が結婚した時に偽一左が母屋の近くに新築した別館で暮らしていた。徹人がせつとの婚約を決めたので、別館を新婚夫婦に明け渡し母屋に戻ることにした矢先、相次いで亡くなった。偽一左は一族の中で最も大きなチカラを持つ二人に正体が暴かれるのを怖れ、同居を避けるために殺したのだろう。

 徹人と豊穂の場合はどちらも後継として相伝を受けていなかったが、相伝を知らない三左にはどうすることもできず切羽詰っての犯行と思われる。偽一左にとって必要だったのは次に自分が乗り移るための身体、つまり徹人夫妻の子供だけだった。


 
 あの日修たちは紫峰家を不幸に陥れてきた闇の正体を知った。それ以来、辛抱強く、慎重に水面下での戦いを続けてきた。
 しかし、宣戦布告した今、何事も無くこのまま相伝の儀式までたどり着けるとは思えない。三左は気付き始めている。必ず何か手をうってくる。

 『僕が本当に樹なら、なぜ彼らを護れなかった?』

冬樹とせつ…。その疑問が今も修を責め苛む。

 『もう誰も死なせない…。』

滝のように激しく流れ落ちる雨の壁を見つめながら修はそう心に誓った。

 
 


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一番目の夢(第二十五話 悪巧み )

2005-06-06 17:56:48 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 六回目の寝返りでベッドから落ちそうになったのを雅人はかろうじてこらえた。時計はまだ夜の9時を過ぎたばかり、いつもならまだ風呂にも入ってない時間だ。
 透と顔をあわせているのがなんとなく気まずくて、早々に部屋に引き上げてしまったが、何をする気にもなれないのでベッドの上でゴロゴロしていた。

『何か飲んでこようかな。』と思った時、扉の外で修の声がした。

 「起きてるか?」

 「うん。」

 返事をしながら雅人は起き上がった。扉を閉めれば部屋は窓から入ってくる月明かりだけだったが、修はあえて明かりをつけようとはせず、そのままベッドまで来るとゆっくりと腰を下ろした。
 窓からの光だけで修の端正な顔を見ていたRPG好きの雅人は、修が人間だということをつい忘れそうになった。いけ好かない長老連中倒すごとにポイント+5、いや+10は欲しいかな…。

 「せっちゃんは本当にいい人だったよ…。」

 唐突にそう言われて、雅人は『えっ?』と現実に戻った。せっちゃんというのは雅人の母のことだとすぐに分かったが、修が母をちゃん付けで呼ぶのを初めて聞いた。

 「面倒見がよくって働き者だった。徹人さんはのんびりしてたから、せっちゃんのそういうところに惚れたんだろう。」
修は懐かしそうに言った。

 「修さん。覚えているの?まだ小さかったのに?」
雅人は不思議そうに訊ねた。

 「なぜだろうね。断片的にいろんなことを思い出すんだよ。僕の記憶というよりは、樹の記憶かもしれないけど。」
修は笑った。

 雅人は母を思い浮かべた。修の言うとおり働き者だった。
冬樹が亡くなって間もない頃、突然の事故で亡くなってしまった。ひょっとしたらそれも三左のやったことかもしれないと雅人は秘かに思っている。
 独りぼっちになった雅人を迎えに来てくれた時、囮になってくれと修は言ったが、本当は雅人の自尊心を傷つけないようにという修の心配りだったのかもしれない。

 『透も冬樹もこういう気遣いの中で育ったわけね。そりゃ自立心無くすわな。』
軽い反発心から、ほんのちょっと修に意地悪をしてみたい気持ちになった。

 「眠れないんだけど…。修さん抱っこしてくれないかなあ?」
雅人はからかうように言った。修はきっと笑うだろう。でかい図体して何馬鹿言ってるんだって。

 だが…修は笑わなかった。

 「いいよ…おいで。」

『マジかよ。冗談だぜ。』
雅人はたじろいだ。
 
 月明かりの中で修が笑みを浮かべたような気がした。あっと思った瞬間、力強く雅人の手を引き抱き寄せた。『冗談、修さん、マジ冗談だから…』と喉まで出かかったとき、修が搾り出すような声で言った。
 
 「悔しかったなあ…雅人。」

 修の一言で雅人の心の何かかはじけた。修の胸の鼓動が聞こえた時、不覚にも涙が溢れ出した。見られたくなくて顔を上げられなかった。声を出すまいと堪えても嗚咽の声は唇の端から漏れ出でた。身体だけは人一倍大きい雅人。強がってばかりで弱みを見せたがらない。けれども彼はまだ十六歳。大人たちの心無い中傷にによく耐えた。
 
 「もう…いいよ…。修さん。ありがと。」
泣くだけ泣いてしまうと、雅人は深呼吸して修から離れた。
 「ひとりで大丈夫だから…心配しないで。」

 修はそっと立ち上がり、軽く雅人の頭をなでてやるとその場を離れた。ドアノブに手を掛けた時、背後から雅人の声が追って来た。

 「母さんのこと覚えていてくれてありがとうね。」

修は振り返らず、お休みとでも言うように手を振った。

 



 三十年近く宗主として紫峰家に君臨してきた男は、いま、自分の入り込んでいる一左の身体が思うようにならないジレンマに苦しんでいた。必要が無くなればいつでも追い出せると思っていた一左の魂はびくとも動かず、自分の方がこの身体を捨てるためには新しい身体が必要だ。

 三左が欲しかったのは宗主としての一左の知識だったのだが、一左は自らを封印することによってそれを防止した。
 
 おまけに今になって、一左の孫たちが反旗を翻し、一族もそれを後押ししている。これほど長い年月の後にまさかとは思うが、自分の正体を誰かに見抜かれているようで、三左は薄気味悪さを感じていた。

 誰かが…とすれば考えられるのは修だ。しかし、修は生まれてから一度も本物の一左には会ったことがない。誰かが入れ知恵しなければ疑うこともしなかっただろう。

 では、いったい誰が…。次郎左か…?あの男なら或いはとも思うが、これまでずっと疎遠だったのに、そう簡単に気付くだろうか。

 貴彦…にはほとんど会ったことのない叔父と父親を完全に見分けるチカラはないし、黒田なんぞは、今日の今日まで敵同士だったはずだ。

 もし、眠れる一左が誰かに信号を送っていたとしたら…?誰に…?
考えれば考えるほど、相手の特定ができなかった。

 『まあいいだろう。相手が誰であろうと全員あの世へ送ってやれば済むことだ。
それには早く雅人の身体を手に入れなければならん…。どうやって?』
 
 冬樹を落とすのはわけないことだった。せつを殺すのも簡単だった。奴らには何のチカラも備わってなかったからだ。だが雅人は馬鹿だが冬樹ほど無力ではない。いざとなったら何が起こるか分からない。冬樹の遺体を封印したのは修だろう。雅人の時にもきっと何か手をうってくる。

 修の注意を雅人からそらすための何か。透や雅人に並ぶほどの心動かす何か…。

 そう考えた時、三左の頭に浮かんだのは例の藤宮の笙子の顔だった。
『ああ、これなら…上手くいくに違いない。あの姫を使えば…の。』
 
三左はひとりほくそ笑んだ。修の困惑した顔が目に見えるようだった。

『わしがちょっとばかし手助けしてやろうぞ。修よ…。』

ニヤニヤと厭味な笑みを浮かべながら三左は受話器を手にした。





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一番目の夢(第二十四話 心意気)

2005-06-03 10:42:31 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 「それでは、紫峰の奥儀継承者として申し上げる。」

 修の口から『奥儀継承者』という言葉が語られると、長老衆は姿勢を正し、目礼し、一左の時とは全く違った態度で神妙に聞き入った。長老衆の集まる会合には初めて立ち会った透や雅人にも、修が紫峰家の重鎮たちに特別な存在として受け入れられていることが分かった。

 一左が驚愕のあまりものも言えないでいるのが傍目にも明らかだった。宗主として紫峰家に君臨しながら、修が相伝を終えているということに全く気付いていなかったのだ。しかも、そのことを自分以外の長老格が皆知っていて、宗主たる自分を差し置いて話を進めようとしている。一左にとっては耐えがたい屈辱だった。


 「そもそも、紫峰の宗主とは伝えられた奥儀を決して外へ出すことなく、ひたすら世間の目から遠ざけるために存在するもの。封印された扉の鍵であって、それ以外の何ものでもありません。

 もし悪用するものがあれば、この世にどれほどの弊害をもたらすか分からぬほどのものゆえに、鍵となる者は当然それ相応の力の持ち主でなければならない。

 しかし、正面に強力な鍵が一つ存在したとしても、それを補佐するものがなければ到底、背面、側面からの進入には耐えられない。
 ここに後見の意義があるのです。宗主と同等、或いはそれ以上の力を持つものが周辺を警護することによって、鍵は安心して鍵の役割を果たすことができる。」


 修はここで一息ついた。長老衆も緊張を解いた。修には隣にいる一左の身体が怒りに震えているのが感じられた。『その怒りのすべてをできれば僕に向けてくれ。』と修は願っていた。

 「では…おまえが鍵になると何が不都合だと言うのだ?」
次郎左が訊ねた。一同の目が修に集まった。


 「大叔父さま…仮にこの場から僕が宗主を受け継いだとして、今の透や雅人に、或いは悟や晃に後見が務まるとお思いですか?」
 修は穏やかに訊き返した。次郎左は返答に窮し、長老衆は互いに顔を見合わせながらぼそぼそと囁きあった。
 いかにこの先長生きしたとしても次郎左がそのまま後見を務めるには無理がある。
かといって、貴彦や黒田の世代には後見として相伝を受けたものがいない。和彦の後見として相伝を受けたのは後に和彦の妻となる咲江だった。すでにこの世の人ではない。

 「逆に透や雅人が宗主なら僕が後見にたてば済む。極めて効率的だと思いますが…。」
修の意見に長老衆は言葉を失いただ唸った。もはや誰も修に宗主継承を無理強いすることはできなかった。『では誰に…』と長老衆の目が透と雅人の方へと戻された。

 
 
 末席で成り行きを窺っていた黒田には、一瞬修が不敵な笑みを浮かべたような気がした。だれも気が付いてはいないが修はまだ何か企んでいる。

 黒田がそう感じた途端、修は一同の前に手を付き深々と礼をした。その場に緊張が走った。


 「長老衆…宗主継承について、お許しを願いたきことがございます。
このたびの相伝については異例のことなれど、透、雅人両名に行いたいと思っております。
 
 ご存知のように紫峰家では多くの者が早世し、このようなことが後にまで続くようであれば、家の存続にも支障をきたすことになります。
 
 どちらが後継となるかは別として、いざという時に代わりを務められる者が必要なのです。
宗主として恥ずべき者にならぬよう修一身に代えて二人を育て上げます。

 どうか、修の我儘をお聞き届けください。これは亡き徹人、豊穂夫妻そして黒田に対する修の心意気と思し召して。」


 修は頭を下げ続けた。透と雅人も思わず一緒に平伏した。
その場の者が皆凍りついたかのように、しんと静まり返っていた。長老衆が完全に修に気を呑まれていることは疑いもなかった。

 「いや、なに、おまえがそうしたいと言うのであれば俺に異存はないが…。」
次郎左がまず気を取り直したように言った。

 「わしにも異存はない。修の好きにしたらよかろう。」
岩松も賛同した。

 「もともとわしらは修に紫峰を任せると決めておったからの。」
赤澤老人も頷いた。

 その場に集まった紫峰の重鎮たちは皆修に全権を委ねることに同意した。長老衆を味方につけ、今や修は名実ともに一族の頂点に立った。もう仮の当主ではない。
 こうなると一左は形だけの宗主ということになる。しかも、その地位も間もなく透か雅人に譲らなければならなくなる。『早々に手をうたなければ』と一左は考えた。

 怒りを抑えきれぬ一左は無言で立ち上がり、修を憎々しげに睨み付けた。修はいつものように目を伏せることもなく、受けて立つと言わんばかりに一左の顔を見返した。一左は手に持っていた扇子を修めがけて投げつけ、怒りに身体を震わせながらその場を後にした。

 一左が消えてしまうと進行役の貴彦が用意させてあった祝い膳を運ばせ、修は雅人や透とともにそれぞれの席を廻り、ひとりひとり客人をもてなした。
 黒田の席に来た時、黒田は誰にもに気付かれぬように修の手を握った。
『やったな!』と黒田の目が語りかけた。修は笑みを浮かべて頷きながら、黒田の手をしっかりと握り返した。

 客たちは一左の暴挙でしらけたその場の雰囲気を消し去るかのように和やかに歓談を始め、何も知らないまま、饗された酒や膳を楽しみ、紫峰家のもてなしを満喫した。





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一番目の夢(第二十三話 受け継ぐもの)

2005-06-02 13:50:00 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 「まあ、僕のことはどうでもいいです。そんなことを話しに来たわけじゃないんだから…。
冬樹の喪も明けた事ですし、そろそろ雅人のお披露目をしたいと思いますが、招待客はこれでよろしいですか?」

 修は先ほどソラに見せた一族の招待客リストを一左に差し出した。一左はリストを見ていたが、その中に気に喰わない名前を見つけた。

 「あの黒田を呼ぶのか?」
老眼鏡の上から探るように修を見た。

 「いけませんか?黒田家も紫峰の血族です。無視できない家柄ですよ。」
修から平然とそう言われると、さすがの一左もだめだとは言えなかった。
 「仕方あるまい…の。」

 「それから、皆さんに召し上がって頂く料理ですが、いつもの吉祥の料理長に…。」
不機嫌な一左を無視して、修は淡々と話を続けた。
 「ああ、もういい。後は任せる。いいようにしてくれ。」

 一左が面倒くさそうに言いながらリストを投げてよこしたので、修は一礼して一左の部屋を後にした。雅人のお披露目会に露ほども疑いを持っている様子はない。
そのまま自分の部屋に戻ると、修は急ぎ貴彦、輝郷、黒田に向けてメールを送った。
『商談成立』と…。



 その日、紫峰家の駐車場はさながら高級車の展示会のようだった。外庭に面した広間では正装した一族の者たちが集い、久々の再会に挨拶を交わしながら思い思いに会話を楽しんでいた。修が手配した一流の料理などが饗されて、客たちは最高のもてなしを受けてはいたが、そこにいたのは一族の中でも遠い関係の人々で、重鎮たちは中庭を臨む奥の間に集まっていた。

 上座中央に一左が、その両脇に雅人と修、透は修の横に。彼らを挟んで血族の代表が国構えに並び、宗主一家に注目していた。貴彦が進行役を勤め、挨拶をした後、一左が雅人を血族に紹介した。

 「これがわしの後継となる雅人じゃ。」
上機嫌で一左がそう言ったとき、次郎左の向かいに座っていた長老格の岩松が不満そうに訊ねた。

 「一左よ。今度こそ嫡孫である修を選ぶものと期待しておったが、これはどうしたことかの?」

すると、その隣の赤澤老人もそれに続いた。

 「そのとおりじゃ。修がだめなら透もおる。両親ともに紫峰の血を受け継ぐ者。何の問題もないはずじゃが?」

二人の長老に詰め寄られて一左は一瞬たじろいだ。

 「雅人は、わしの跡継ぎだった徹人の子じゃ。何の支障があるかの?」
修と透のことについてはあえて触れず、逆に、二人に訊き返した。

 「徹人の子といっても雅人の母親は使用人ではないか。」
岩松が吐き捨てるように言い放った。

 透は思わず雅人を見たが、雅人は微動だにしていなかった。じっと目を伏せ屈辱に耐えていた。

 「私らも同意見だ。岩松にしてみれば娘の豊穂が産んだ透が、使用人の子より下に置かれるなんぞ耐えられんことだろう。黒田の一族にしたって侮辱されたようなものだ。」

 それまで黙っていた他の血族たちが次々騒ぎ出した。場は騒然となった。なんだかんだと反論はしているものの、血族の予想外の反応に一左の動揺は隠せなかった。
 興奮した一族の代表たちは一左を非難するだけでなく、雅人とその母親に対してもいわれのない誹謗、中傷を容赦なく浴びせた。


 透は再び雅人を見た。雅人は表情一つ変えずにいた。こんな事態になるとは思っても見なかった。いつもならすばやく対処する修もなぜか黙したまま動かず、偽一左は激して役に立たず、このままでは騒ぎが収まりそうになかった。
 互いの声さえ聞き取れないほどになった時、透はドンと背中を押されたような気がした。『止めよ!』と言う声が聞こえたようで、修の方を見たが修は知らぬ顔を決め込んでいた。

 「お静まりください!」
透の口から唐突に言葉が飛び出した。透自身が驚いた。途端に周囲の目が透に集中した。『ええい、なるようになれだ。』透は腹をくくった。

 「岩松のお祖父さま。どうか雅人を侮辱するような発言はお控えください。雅人と僕の間には貴賎などはないのです。樹の御霊の御心に背くような恥ずべきことを口にしてはなりません。」
まるでどこかの宗教本のようだと思ったが、樹の名は周りの大人たちを黙らせるには十分な効果を上げた。

 「おお。これはわしが悪かった。おまえの言うとおりじゃ。」
岩松は感心したように目を細めて孫を見た。最長老の岩松が黙ったので、いきり立っていたほかの連中も穏やかさを取り戻した。

 騒ぎが収まったのを見計らってか、それまで何も語らずにいた次郎左がその場の同意を得るように皆を見回した後、修の方に向き直った。

 「修…おまえの考えを聞こうか…。この二十年余り紫峰家はおまえが取り仕切ってきた。
一左がなんと言おうと、そのことはこの場の皆が知っている。
実質、おまえが紫峰の主であったわけだが、今更、宗主になるのを辞退するのはなぜだ?」

 次郎左の突然の行動は修のシナリオにはなかった。おそらく、根回ししたときに長老たちと目論んだに違いない。一族の総意としては、やはり修を宗主にというところなのだろう。
皆の前で貶された形となった一左の怒りと驚きが手に取るように分かる。

 修が宗主になると言えば長老連中は安堵し、この場は収まる。だが、怒りにわれを失った三左が皆に対してどんな行動に出るか分からない。次郎左に少し揺さぶられただけで躊躇いも無く、長年共に暮らしてきた肉親冬樹を殺した男だ。長老連中にもチカラは備わってはいるが、一左を押さえ込んだ三左のチカラは侮れない。

 いまの修はこの場にいる全員を人質に取られているようなものだ。さすがの次郎左も兄一左が封じ込められていると分かっていながら三左と戦うことはできないだろう。透や雅人も同じこと。
 修が情を断ち切れば、たとえ犠牲者が何人か出たとしても容易に三左を倒せるかもしれないが、その場合には本物の一左の命も無いものと考えた方がいい。

 それに…自分が宗主になることには、それほどの意味が無いと修は思っている。
頭の固い長老衆に自分の意見をどこまで理解してもらえるか…。
大きく息をすると修は、伏せていた顔を上げ、待ち構える紫峰の重鎮たちと対峙した。




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