S海くんと月一度の他流試合。S海くんはエレキギター、私がウクレレというので
他流試合と私は呼んでいる。
今回は、ほぼ2時間全て「上を向いて歩こう」。
最後の頃になって、なんか声を張り上げて歌っている風に感じるのは、キーが高すぎる
のではないか、と私の提案でかなり下げてみたところ、これが結構いい。しかしながら
このキーだと、S海くんは歌いずらいらしい。今頃になって、お互いのキーの違いを
認識するというお粗末。
来月からは、この二人に尺八も加わる予定である。
実はわけあって、来月からは練習撤退を表明したのだけど、S海くんは、やっと調子
が出て来たところで、それはないでしょうと、撤退を撤回させられ、来月は更に尺八
という他流試合が三つ巴になる予定。
練習の最後に「フラガール」を演奏。かなりいい感じで、もう一度やろうとしたら途中で
指が止まり、チャン!チャン!これも後遺症ですかな。
練習の後は、反省会。明日は出勤なのであまり遅くは無理だよ、と言ってあったのに
23時近くなってしまった。最近ようやくユニットらしく、モノが言えるようになって
きたのかも。
今朝は、なんとか江ノ島に行く気もあったが、ぐずぐずしてるうちに昼を過ぎてしまった。
ウクレレをポロポロしながら、過ごすことに方針転換。
ここのところ毎日忙しく、寝不足もあり、疲れをいやすことに専念する。ああ、だらしがない。
しかしながら、こういう日も必要なのだ。無理は禁物。
そのうち、やる事を思いついてくる。そういえば、再来週はヤヘイさんの還暦祝いで会津まで
行くことになっている。そこで、ダイゴローさん、大阪のM崎さんとウクレレで宴を盛り上げ
なきゃ。ということで、ヤヘイさんの大好きな唄は「手のひらを太陽に」。これは、もうすでに
二人には送ってあって、その他の曲はなにがいいだろう、と楽譜集をめくる。
この楽譜集は、1961年~日本のヒット曲が、ほぼ網羅されており非常に便利。
ヤヘイさんの10歳~22歳ころの曲を6曲選ぶ。
手のひらに太陽を 1961年
学生時代 1964年
お嫁においで 1966年
ブルーシャトー 1967年
結婚しようよ 1971年
赤ちょうちん 1973年
そして、わがヨット部で“「告歌」(こっか)斉唱”と言えば、この唄
ロッド・スチュワートの
SAILING
この曲、実は歌いずらかったので「2音」下げてみました。FからDへ。
ヤヘイさんの還暦祝のしおりを作ってたら、すっかり寝る時間になってしまった。
今朝起きて雨戸を開けたら、梅が見頃になっていた。先週はまだちらほらと咲いていただけ
だったが、季節は確実に移ろうもの。
しだれ梅の見頃は、まだ先のようですが…
最近、どうなんだろう?と思うところは、私の運転免許のこと。医師から暫くは運転はやめる
ようにと言われてます。最初は1年半くらいかな、と医師も言っていたが、そのころになると
2年待つように、と言われ、さらに警察の所定の診断書用紙を貰ってくるように、との指示も
受けた。
確かに、そういう頭の怪我・障害で事故を起こしたら大変だ。しかし、免許証には、そういう
記載を書かれたりしていない。「医師の許可が出るまで免許停止」という記載でもあれば、
絶対だめと分かりやすいが、こういう人が事故を起こすまで、そこまで分からないというのは、
いかがなものかな。
自分の自由な意思を尊重する、という意味なのか、もしくは運送業、旅客行の運転手が困る
ということなのか。またまた、プライバシーということなのか?
いやいや、そういう運転手を別の仕事に回す位のことは、企業責任でできるはず。プライバシー
に関しては、免許自体が顔、住所、生年月日の記載されたプライバシーそのものだから。
企業が保護できないフリーの運転手がそんなに多いのだとしたら、その方が問題。
結局は、そういう原因(かもしれない)の事故が多発したため、運転制限を医療機関や警察が
求められ、それに対応しているのでしょう。
だから、こういう心身が原因で運転停止の、明確な法的規定が、まだ追いついていない、
ということなのではないかな。
私はまもなく2年です。運転できなくても、仕事に支障が出ている訳ではありませんし、
その他日常に困っていません。
しかし、私には、医師から言われた「事故おこしても保険が下りないかもしれない」
という言葉だけで、十分にストッパーになってますが。
そんなの、ストッパーにならない人もいるかと思うと、道路上は危険極まりない処です。
そういう車もいるかもしれないので、回りに気をつけなくては、と最近、つらつらと思うのです。
だったが、季節は確実に移ろうもの。
しだれ梅の見頃は、まだ先のようですが…
最近、どうなんだろう?と思うところは、私の運転免許のこと。医師から暫くは運転はやめる
ようにと言われてます。最初は1年半くらいかな、と医師も言っていたが、そのころになると
2年待つように、と言われ、さらに警察の所定の診断書用紙を貰ってくるように、との指示も
受けた。
確かに、そういう頭の怪我・障害で事故を起こしたら大変だ。しかし、免許証には、そういう
記載を書かれたりしていない。「医師の許可が出るまで免許停止」という記載でもあれば、
絶対だめと分かりやすいが、こういう人が事故を起こすまで、そこまで分からないというのは、
いかがなものかな。
自分の自由な意思を尊重する、という意味なのか、もしくは運送業、旅客行の運転手が困る
ということなのか。またまた、プライバシーということなのか?
いやいや、そういう運転手を別の仕事に回す位のことは、企業責任でできるはず。プライバシー
に関しては、免許自体が顔、住所、生年月日の記載されたプライバシーそのものだから。
企業が保護できないフリーの運転手がそんなに多いのだとしたら、その方が問題。
結局は、そういう原因(かもしれない)の事故が多発したため、運転制限を医療機関や警察が
求められ、それに対応しているのでしょう。
だから、こういう心身が原因で運転停止の、明確な法的規定が、まだ追いついていない、
ということなのではないかな。
私はまもなく2年です。運転できなくても、仕事に支障が出ている訳ではありませんし、
その他日常に困っていません。
しかし、私には、医師から言われた「事故おこしても保険が下りないかもしれない」
という言葉だけで、十分にストッパーになってますが。
そんなの、ストッパーにならない人もいるかと思うと、道路上は危険極まりない処です。
そういう車もいるかもしれないので、回りに気をつけなくては、と最近、つらつらと思うのです。
本日の夕方17時15分過ぎに家を出て、由比ヶ浜へ向かう。日没時間を最近は気にしてないので
間に合うか、もう既に日没後か、それすら分からないでいた。でも、明るさからは、日没前
の感じが濃厚に漂っていた。
海岸へ出ると、ギリギリ日没に間に合った。鎌倉では、17時29分で日没でした。
太陽の位置も、北寄りに大分変わっており、春がそこまで来ているというのが実感できる。
丁度、富士山の方向。やや富士山より南寄りだ。そういえば、富士山の真上に降りる日没は
この時期、逗子マリーナから狙うのにいい時期になっているはず。何日だろう、後で調べて
みよう。
今日は稲村ケ崎の上から落ちたが、どんどん坂の下の方へ北上していくはずだ。
来週はウクレレ練習日だが、土曜の午前は出勤になりそうな気配である。でも、昼に銀座を
出て午後には、大船に戻るつもりです。
間に合うか、もう既に日没後か、それすら分からないでいた。でも、明るさからは、日没前
の感じが濃厚に漂っていた。
海岸へ出ると、ギリギリ日没に間に合った。鎌倉では、17時29分で日没でした。
太陽の位置も、北寄りに大分変わっており、春がそこまで来ているというのが実感できる。
丁度、富士山の方向。やや富士山より南寄りだ。そういえば、富士山の真上に降りる日没は
この時期、逗子マリーナから狙うのにいい時期になっているはず。何日だろう、後で調べて
みよう。
今日は稲村ケ崎の上から落ちたが、どんどん坂の下の方へ北上していくはずだ。
来週はウクレレ練習日だが、土曜の午前は出勤になりそうな気配である。でも、昼に銀座を
出て午後には、大船に戻るつもりです。
2月27日(水)2時間残業した後、部下のT賀さんと「いけだ」に。
いつもYさんと一緒に行き、大人しく小さくなっている、という感じの店でしたが
この日は、自分達が主役。聞けばYさんは、もう2カ月も来ていないとか…
まあ、その詮索は後にして、とにかく呑む。
牡蠣酢、油淋鶏、カルパッチョ。
初めて、この職場で部下と二人で呑みました。初めて、何故この部署に変わったのか
私の口から聞いて、凄く驚いていました。
久々の、夜中の鎌倉。
翌日、ちょっと重い頭を抱えて、会社へ。信じられない位、いい天気。
2月28日は月末だったんだね。銀行行ったら、凄く混んでて、用事をすませず。
まあ、どうしてもこの日に振り込まないと、という訳でもないのだから。
この日の晩は、息子が泊まって行った。仕事が毎日のように忙しく、この日も家に
10時ころ到着。息子と家人は待っていてくれて、こんなに遅いのにビールを飲む。
翌日も、仕事が忙しく、しかも残業監視当番。ビルで最終退出。
京橋のビルを出るときは、バケツをひっくり返したような雨。気温は生ぬるい。
「銀三」のネオンさんさん。その先の「ラ・ヌイユ」も何人か入っている。
もう、遅いし鎌倉で「袈裟丸家」に行くか。という、方針をその場で立てる。
鎌倉では、雨は殆ど上がりかけていた。
「袈裟丸家」は客が雨のせいか、夜遅いせいか、入ったときは私だけ。
いつものように、生ビールとホタルイカの沖漬け。えだまめ、牛筋の煮込み。
焼酎の「小松帯刀(こまつたてわき)」が置いてあるのが、気に入っている店だ。
いまは、焼酎は飲めないけど。ここの主人は博多出身で、博多の話や、小松帯刀の
話=品川の立ち食い蕎麦屋とか「薩摩屋敷」の話とか、他に客がいないので、
いつになく色々話す。
仕上げは、ラーメンが重いのでというと、じゃあスープだけでも、と出してくれたこの
スープが、旨かったなあ。
夜は、ラーメンじゃなくて、このラーメンスープがいいかも。
いろいろ気遣ってくれる袈裟丸さんは、私の大事なお店です。
明日は、もしかすると仕事かなと思ったが、なんとか部下たちの頑張りで仕事がはけて
休める事になった。良かったわい。そうでなきゃ、ブログもまた更新できないところ
だった。
いつもYさんと一緒に行き、大人しく小さくなっている、という感じの店でしたが
この日は、自分達が主役。聞けばYさんは、もう2カ月も来ていないとか…
まあ、その詮索は後にして、とにかく呑む。
牡蠣酢、油淋鶏、カルパッチョ。
初めて、この職場で部下と二人で呑みました。初めて、何故この部署に変わったのか
私の口から聞いて、凄く驚いていました。
久々の、夜中の鎌倉。
翌日、ちょっと重い頭を抱えて、会社へ。信じられない位、いい天気。
2月28日は月末だったんだね。銀行行ったら、凄く混んでて、用事をすませず。
まあ、どうしてもこの日に振り込まないと、という訳でもないのだから。
この日の晩は、息子が泊まって行った。仕事が毎日のように忙しく、この日も家に
10時ころ到着。息子と家人は待っていてくれて、こんなに遅いのにビールを飲む。
翌日も、仕事が忙しく、しかも残業監視当番。ビルで最終退出。
京橋のビルを出るときは、バケツをひっくり返したような雨。気温は生ぬるい。
「銀三」のネオンさんさん。その先の「ラ・ヌイユ」も何人か入っている。
もう、遅いし鎌倉で「袈裟丸家」に行くか。という、方針をその場で立てる。
鎌倉では、雨は殆ど上がりかけていた。
「袈裟丸家」は客が雨のせいか、夜遅いせいか、入ったときは私だけ。
いつものように、生ビールとホタルイカの沖漬け。えだまめ、牛筋の煮込み。
焼酎の「小松帯刀(こまつたてわき)」が置いてあるのが、気に入っている店だ。
いまは、焼酎は飲めないけど。ここの主人は博多出身で、博多の話や、小松帯刀の
話=品川の立ち食い蕎麦屋とか「薩摩屋敷」の話とか、他に客がいないので、
いつになく色々話す。
仕上げは、ラーメンが重いのでというと、じゃあスープだけでも、と出してくれたこの
スープが、旨かったなあ。
夜は、ラーメンじゃなくて、このラーメンスープがいいかも。
いろいろ気遣ってくれる袈裟丸さんは、私の大事なお店です。
明日は、もしかすると仕事かなと思ったが、なんとか部下たちの頑張りで仕事がはけて
休める事になった。良かったわい。そうでなきゃ、ブログもまた更新できないところ
だった。