ひと昔以上前なら、俺が買って読んだ米澤先生の本を、小学生の息子に貸していた(勝手に読まれていた)ものだが。
気がつけば立場逆転。
彼が自分で買った本を、恭しく貸していただく。
老いては子に従うべし。
(ネタバレは無いがそれに近いものはあり。)
ありふれた感想ではあるけれど、さすが米澤穂信さん。
細かな描写、さりげない描写にも意味があり。
張り巡らされた伏線。
それらが次第に解きほぐされていく感覚は爽快。
個人的には、この半年以上戦国時代に尋常ならざる関心があって。
なので、今がこの作品を読むタイミングとしてよかったのかもしれない。
恥を忍ばず言えば、荒木村重も黒田官兵衛も雑賀衆も本願寺についても、去年までは知識がほぼ皆無だったのだ。
年齢を幾ら重ねても、学びに遅すぎることはないと思いたい。
お陰で、読んでいても様々な人物造形が具体的にイメージしやすかった。
まあ、その造形(外形)が主にゲームのキャラグラフィックであることも事実だが、、
なお、全く予備知識なしで読んでいたらどうだったんだろう、とも考える。
それはそれで新鮮な感覚だっただろうか。
それとも、珍紛漢紛で御手上げだったろうか。
米澤さんの時代ものとして思い浮かぶのが、「折れた竜骨」。
あちらはどちらかと言うとファンタジー寄りだったと記憶するが、この「黒牢城」はとても泥臭く、全編通して映像的な印象はモノトーン。
殺陣の場面も、非常に淡々と冷徹に、切った張ったを描く。
これ、映像作品にするとどんな感じなのだろう。
そんな話が持ち上がっているのかどうかは知らない。
ま、映像化がこちらの勝手な読後イメージを損なわないとも限らないからね。
どうでもよい。
それにしても、黒田官兵衛。
究極の、まさにこの上ない究極の「安楽椅子探偵」だ。
しかも、官兵衛が直接事件を解決するわけではない。
それは、ヒントの提示。
そのヒントを、荒木村重が恐るべき洞察力(と、敢えて言う)で読み解き、事の次第を明らかにしていく。
そして、事件が解決すればするほど、村重の置かれた状況の苦しさが明確になっていくという仕掛けだ。
このほの暗さこそ、米澤さんの真骨頂か。
ああ、とても楽しかった。
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