ことしをふりかえる1

2024年12月30日 18時03分39秒 | 巻二 起居注
どこでもやりたがる1年振り返っての重大ニュース。
社会や業界ならともかく、いち平民個人の重大ニュースなどどこにも需要はないのだが、そんなことを言い出すとここに何かを書く意味を否定することになる。


2024年かあ、、

正月早々、大災害やら飛行機事故やらどうなることかと思わせた1年だったけども、個人的にも平穏ならざる、そして節目の年になった。

中でも最大の出来事はやはり、母親の死だ。
4月のこと。

離れて暮らすようになりはや30数年。
とは言え、精神的にはどことなく依存していた部分があったのだろう。
いまだに喪失感がある。

ふと、何かのきっかけで母親を思い出すと、泣けてくるのだよな。
雑踏によく似た面影の人を見かけてドキリとしたり。

闘病生活をしていたわけではなく、その死はあまりに突然のことだった。

搬送されたとの知らせを受け、新幹線とタクシーを乗り継いで病院に駆けつけ。
その時点では既に意識はなく、数時間後には亡くなった。

しかし、これでよかったのかも知れないとは思う。
これが例えば、長患いの末に余命僅かとなって、死期を迎えての最後の別れみたいな場面になったら、私はどうしたらよいか分からない。

最後に今まで言えなかった感謝の言葉など伝えられればよいのだろうけど、そんなスマートに振る舞えるとも思えない。

そんなことをいまだに考えていたりする。

実家に帰省していると、ふとそこにいるような気がするんだよね。
私を呼ぶあの声が聞こえてもおかしくない。
いなくなったことを受け入れられていないのだろうか。
直前まであんなに元気だったからね。


前にも書いたと思うのだが、今回の母の死によって、私は自分の死を恐れる気持ちがだいぶ薄らいだ。
怖くないとまでは言わないけれども。
死ねば、死んだ先で再び会える。
そんな、合理的ではない宗教めいた感覚を抱くようになった。
あんなに宗教には懐疑的だったのに。


一生で一度しか経験しない母の死。
それが今年起きたのだ。

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