田中克彦「言語学者が語る漢字文明論」

2018年01月14日 17時58分28秒 | 巻十六 読書感想
naruhodone..

orenanka ha mou kanji daisukidasi
kanji wo tukaukotode
nihonjin ha monogoto wo rironteki ni
subayaku haakusurukoto ga
(bou hanguru koku yorimo)
(tada sore ha imahayari no kenkan tekina imi janakute)
dekiruto sinjiteru node
masani tyosya no hinan suru tokoro ni iru noda.

nihongo kara kanji wo sutesari
kana mosikuha ro-maji de hyoukisubesi toiu keturon ni tuiteha
yahari sandou sigatai.

ということで、
各所にうなずけるところがあるけれども、
著者が言わんとすることは、
少なくとも千年以上沁みついた伝統を捨て
新たな日本語(エスペラントのような人工語に等しいと思う)を、というに等しいのだと思う。

まあ、過激だしなかなか受け入れられないだろうね。。

漢字に頼らず、かなもしくはローマ字でしっかり伝わるように表記するためには、
同音異義語が多い漢語に頼らず、
やまとことば(でいいのか?)でいろんな概念を表現する必要があろう。

理屈上は不可能ではないだろうが、
もはやそれこそ敷居の高い言語を作り出すことになってしまう。

だから、これはおねがいなのだが
是非この著作を漢字に頼らずに再現してほしい。
もちろん、単に仮名文字化するんじゃなくて
万人に理解しやすい手法(言い換え)で。

ぜったい不可能だよね。現実的には。

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ウラルアルタイ諸語の話とか、読んでいてとっても面白かった。
ただし結論は受け入れることが出来ない。
そんな、ワクワクする書物であった。
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