私と大河ドラマについて整理しますと。
滝田栄さんの徳川家康から始まって、山河燃ゆやいのちを経て。
後藤久美子オタだった高校2年。独眼竜政宗。
その後しばらく疎遠になり、何故か全話見通したのが葵徳川三代。2000年。
そこからはずっとずっと空いたね。
そして2022年。
とある理由で戦国時代に対する興味関心が高まっていた頃で、ちょうど始まったのがどうする家康。
20年以上ぶりの大河視聴であった。
そして今年2024年。光る君へ。
いやー
正直そこまで期待はしていなかった。
合戦ないんでしょ?みたいな。
それでも、どうするで1年間続いた日曜夜の習慣が途絶えることが寂しく。
初回放送観たよね。
そしたらなんと。意外と言ったら失礼か。
家康より寧ろ楽しく次回が待ち遠しいくらい。
平安の上級及び下級貴族の日常の話なのに、何故か惹き込まれて。
まひろの子役が魅力的だったということもあるが、これってもしかして、「自分がよく分かっていない時代」のせいかも知れない、と。
徳川家康や豊臣秀吉の生涯なら、ある程度わかってる。
ましてや、大河で言うと傑作(と私は断言する)の葵の存在があり、嫌でも比較してしまうんだよね。
「こうじゃない」「なぜこれを描かない」「知ってる「史実」と違う」
所詮フィクション作品なので、創作は許容されるべきなのだが、どうしても自分の価値判断として許せる許せないのせめぎ合いが生じてしまう。
それでも自分はどうする家康に寛容であったと思うよ。
瀬名の平和の国思想とかムロ秀吉の髪型とかいろいろ不満はあったとしても。
しかし、どうしても過去の作品の影が評価に影響を与えてしまうんだよなー。
それで、光る君へ。
藤原道長が絶対権力を振るったよねくらいの、小学生レベルの知識しかないので、厄介な既成概念が邪魔しない。
素直な気持ちで、次の展開を期待してしまう。楽しい。
脚本も、変に奇を衒っていないことが分かる。
奇を衒っちゃね、興が冷める事もあろうよ。
光る君へ。おもしろい。
平安絵巻に嵌っている自分がいる。
さっき、録画データ一気に消してしまったけどね。間違って。ショックよね。
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