チェルノブイリ(チョルノービリ)の事故から36年なのだそうだ。
俺は何故か、○○から36年という数字に感慨を抱いてしまう。
何故か、と言ったが、理由は知っている。理由と言うか切っ掛け。
小学生のある夏の日。
それは夏祭りかなんかのイベントで、街中をパレードする日だったと思う。
その日流れていたニュースで、終戦から36年、と言っていたのだ。
終戦から○○年というフレーズはそれこそ今でも毎年使われているのだが、俺の中であの1981年(小5の年)の「36年」が、夏の昼間の空気感と一緒にパッケージされて記憶に強く印象づけられた。
あれ以来、何かから36年という言い方に触れるたび、あの夏の日を思い出す。
ある種のパブロフの犬状態だろうか。ちょっと違うか。
チェルノブイリから36年。
早いのか、そうでもないのか。時の流れ。
小5の時、36年前の終戦(敗戦)という出来事は想像もつかないくらい昔のことだと感じていた。
人がセコセコ動くようにみえる、モノクロの記録映像の世界。
そして今、36年前の原発事故という出来事は、そんな遥か昔の話とは感じない。
ついこの間とは言わないまでも、当時の記憶を追体験出来るリアルな事象だ。
もちろんカラー映像で記憶されている。
考えてみれば当たり前で、事故当時の俺は1945年と違って実際にそれをニュースなどで見聞きしていたのだからね。
それにしても。
小5の時感じた「36年前」と、今感じる「36年前」。
同じ時間経過の筈なのにこんなにも感じ方が違うんだな。面白い。
大人の時間と子供の時間、感覚の違いってこういうことなのかな。
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