一青窈「&」
1 Banana millefeuille
2 ホチKiss
3 うれしいこと。
4 かざぐるま
5 影踏み
6 指切り
7 アンモナイト
8 Oh la la
9 ピンクフラミンゴ
10 &
11 さよならありがと
雑誌のインタビューによれば、
7曲目以降は「指切り」をつくったあとに一気に出来たらしい。
そして、一青さん自身、
5曲目までと6曲目以降ではA面B面ほどの色合いの違いがあると認めている。
「指切り」のあとは、自分の気持ちを解放する方法論を見つけた、というようなことも言っていた。
聴いてみると確かにそんな感じがする。
でもそれなら、その解放された気持ちでつくった曲で全て統一してもよかったのかな?とか考える。
というのは、
1曲目はまぁイントロダクションとしてわかるとして、
そのあと既発表の曲が「影踏み」まで続く。
それも「かざぐるま」も「影踏み」もどちらかというと解放感とは逆のベクトルの、
こみ上げる感情を抑えつつ歌い上げるというか、
そっちの方向である意味到達点を見た曲だと思う。
だから、1曲目から順に聴いていくと、「指切り」に達するまでの違和感がちょっとある、気がする。
一青窈さんの曲を全然知らないひと、または
「影踏み」以降のシングルを聞いたことのないひと、が
このアルバムを聴いたら、どう感じるのか興味がある。
自分なんかは、シングル曲(カップリングの「ホチKiss」「うれしいこと。」含む)を繰り返し繰り返し聴いているから、
ほかの未発表曲と同列に真っ更な気持ちで聴けてないのかも、知れないから。
「かざぐるま」「影踏み」というシングル曲をムリに押し込んだ?なんてことまで言うつもりはないけれど、
前半の既発表曲が妙に浮いて感じる感がして、
ちょっと生意気なことを書いてしまった。
---------- キリトリ -----------
もう一方の考え方。
1曲目で一青さんは、
「あたしひととよう」!と高らかに宣言している。
だとしたら、このアルバムは「ひととよう」今現在の、
厳密には「ハナミズキ」後の一青さんのありのままを綴った作品、という見方も出来るのかな。
それは、過去の作風イメージとか「らしさ」にある意味もがきながら、
「自己の解放」というひとつの到達を果たすまでの、全てのプロセス。
それを率直に(時系列的に?)並べたのだとしたら、
このアルバムに自分が感じた不統一感みたいなものも
ある意味当然のもの、なんだろう。
それは葛藤の足跡でもあるのだから。
---------- キリトリ -----------
最近は携帯プレーヤーで複数のCDをシャッフルプレーすることが多く、
単体作品として一枚のアルバムを聴くことが少なくなった。
でも、アルバムの構成・曲順というのは
大抵の場合製作者により吟味された結果であって、
その考え抜かれた「かたち」を含めて聴くことは、大事なこと、だと思う。
だから自分は自分に対して、当面の間「&」のシャッフルを禁じている。
そのなかで、また違った感想なんかがもたげてくるのかも知れない。
だから、上でダラダラ書いたことは、
あくまでも「イマ現在」の、自分の気持ち。
保証期限は、ない。
---------- キリトリ -----------
自分にとって、「解放」後の一青窈さんは今まで以上に聴いていて心地よい。
この路線変更?がどれだけ支持されるのかどうか、わからない。
そもそも路線変更といえるほどの劇的変化ではないのかもしれない。
そして、今後一青窈さんがどっちの方向に行ってしまうのか、もちろん自分には見当もつかない。
それでも、いや、それだからこそ、
この「&」を、このような「&」として発表された一青窈さんの「&」を、
少しの違和感なんかも感じつつ、
それでもなお、
しっかりと受け止めたい。
個別の曲についてもいろいろ感じたので、
そのうち書いていくかも。
1 Banana millefeuille
2 ホチKiss
3 うれしいこと。
4 かざぐるま
5 影踏み
6 指切り
7 アンモナイト
8 Oh la la
9 ピンクフラミンゴ
10 &
11 さよならありがと
雑誌のインタビューによれば、
7曲目以降は「指切り」をつくったあとに一気に出来たらしい。
そして、一青さん自身、
5曲目までと6曲目以降ではA面B面ほどの色合いの違いがあると認めている。
「指切り」のあとは、自分の気持ちを解放する方法論を見つけた、というようなことも言っていた。
聴いてみると確かにそんな感じがする。
でもそれなら、その解放された気持ちでつくった曲で全て統一してもよかったのかな?とか考える。
というのは、
1曲目はまぁイントロダクションとしてわかるとして、
そのあと既発表の曲が「影踏み」まで続く。
それも「かざぐるま」も「影踏み」もどちらかというと解放感とは逆のベクトルの、
こみ上げる感情を抑えつつ歌い上げるというか、
そっちの方向である意味到達点を見た曲だと思う。
だから、1曲目から順に聴いていくと、「指切り」に達するまでの違和感がちょっとある、気がする。
一青窈さんの曲を全然知らないひと、または
「影踏み」以降のシングルを聞いたことのないひと、が
このアルバムを聴いたら、どう感じるのか興味がある。
自分なんかは、シングル曲(カップリングの「ホチKiss」「うれしいこと。」含む)を繰り返し繰り返し聴いているから、
ほかの未発表曲と同列に真っ更な気持ちで聴けてないのかも、知れないから。
「かざぐるま」「影踏み」というシングル曲をムリに押し込んだ?なんてことまで言うつもりはないけれど、
前半の既発表曲が妙に浮いて感じる感がして、
ちょっと生意気なことを書いてしまった。
---------- キリトリ -----------
もう一方の考え方。
1曲目で一青さんは、
「あたしひととよう」!と高らかに宣言している。
だとしたら、このアルバムは「ひととよう」今現在の、
厳密には「ハナミズキ」後の一青さんのありのままを綴った作品、という見方も出来るのかな。
それは、過去の作風イメージとか「らしさ」にある意味もがきながら、
「自己の解放」というひとつの到達を果たすまでの、全てのプロセス。
それを率直に(時系列的に?)並べたのだとしたら、
このアルバムに自分が感じた不統一感みたいなものも
ある意味当然のもの、なんだろう。
それは葛藤の足跡でもあるのだから。
---------- キリトリ -----------
最近は携帯プレーヤーで複数のCDをシャッフルプレーすることが多く、
単体作品として一枚のアルバムを聴くことが少なくなった。
でも、アルバムの構成・曲順というのは
大抵の場合製作者により吟味された結果であって、
その考え抜かれた「かたち」を含めて聴くことは、大事なこと、だと思う。
だから自分は自分に対して、当面の間「&」のシャッフルを禁じている。
そのなかで、また違った感想なんかがもたげてくるのかも知れない。
だから、上でダラダラ書いたことは、
あくまでも「イマ現在」の、自分の気持ち。
保証期限は、ない。
---------- キリトリ -----------
自分にとって、「解放」後の一青窈さんは今まで以上に聴いていて心地よい。
この路線変更?がどれだけ支持されるのかどうか、わからない。
そもそも路線変更といえるほどの劇的変化ではないのかもしれない。
そして、今後一青窈さんがどっちの方向に行ってしまうのか、もちろん自分には見当もつかない。
それでも、いや、それだからこそ、
この「&」を、このような「&」として発表された一青窈さんの「&」を、
少しの違和感なんかも感じつつ、
それでもなお、
しっかりと受け止めたい。
個別の曲についてもいろいろ感じたので、
そのうち書いていくかも。