マーラー 交響曲第9番

2005年09月18日 20時08分03秒 | 巻九 マーラーが私に語ること
ベートーヴェンをはじめとする
偉大なる作曲家たちが
第9番という交響曲を最後にこの世を去った。
そして彼グスタフ=マーラーは
自らの9番目の交響曲に付番することなく
「大地の歌」と名づけて世に送る。
9という数字に運命的なものを感じ。

そして彼が次に作曲した、
10番目の「交響曲」。
それに彼は「第9番」と名づける。
これこそが、完成体としては最後となってしまった、
交響曲第9番ニ長調。

そんなことを思いながら
運命論なんて信じたくないくせに
運命論を空想し
酒なんか入ってしまうと
第1楽章からすでに泣いてしまうこともしばしば。
…イマ現在もそんな感じ。

マーラー論というのはたぶん
世に数多(アマタ)あって
俺はあんまり深く知ろうとも思わないけど
この第9番。
溢れ出る諦観と過去への望念。
自分の辿った道をたどり
自分の辿り得なかった路を辿る。

若かりし頃に第1番と名づけられて世に送られるような作品ではない。
そういう意味で
マーラーの第1番はほんとに第1番だし
マーラーの第9番はまさに第9番
…ってことは言えちゃうのかな。

「おお、わが消え去った青春の日々よ、
 おお、わが消費された愛よ」

 (第1楽章展開部に対する作曲者自身の言葉
  音楽之友社「名曲解説ライブラリー:マーラー」より)

生憎。
俺の青春はまだ消え去っちゃいない。みたい。
消費された愛?
俺に愛なんてものを抱く力があるのならば
恐らくはいくら発散しても放射しても
必ずたぶん半永久的に
枯渇することなく
いつでもココロの中の受入基地に
いつもいつも充填されてるよ。

46メガジュールの熱量となって。

絶えることのない溢れるチカラ
迸る漲るオモイ

9月、だね。
9だよ。9。
運命の数字、九。
セプテンバー。
竹内まりや?
アース・ウインド&ファイヤー?
どっちでもいーけど。

そういやわが敬慕する
ドミトリィ=ドミトリィヴィチ=ショスタコーヴィチ大先生は
交響曲第9番として
とてつもなく軽薄な音楽をば書き上げた。
軽薄っていうのは極論めいた比喩なんだが。
時あたかも大祖国戦争に勝利した時分。
戦勝気分昂揚しまくりにしたいスターリン。
その思惑をてんで無視。
こんな交響曲第9番もあっていい。
ベートーヴェンとか
ブルックナーとか
ドヴォルザークとか
マーラーとか
深刻とか人生とか壮大とか
そんなものとは無縁そうに見える第9番。
だから何があってもいいんだよ。九月。
いいことがあろうがなかろうが。
こうやって一夜に音楽聴いて
すべてを忘れてメール撃って
時たま何かから逃げて
逃げたまんまで戻らなくて
それでも
たぶん明日も生きている。

阪神優勝までは
生きているすくなくとも。

ってなんの話だっけ…。

あ マラ9ね。

来月
仙台フィルハーモニーの定期演奏会は
マーラー。
交響曲第9番。


いきますよ。
いきゃ委員でしょ。
いきます。
一人で。
いや
ふたり分くらいの想いを込めて。
ふたり分くらいの消費されし愛を抱いて。
消え去ることのない青春のともし灯を
胸の奥底の東っ側にもって。

マーラー、勝負だ。
マーラーさん。


左舷、弾幕薄いぞ!
何やってんの!?




俺って
しつこいのかな。
しつこいと思われようとも

































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