なぜ子どもの頃に聴いた曲はいつまでもちゃんと耳に残っているのか

2022年03月20日 10時58分00秒 | 巻十一 いろんなおんがく
近所の幹線道路沿いに、焼きいも屋の車が止まっていた。

ある事業所の敷地内で、焼きいものノボリを掲げ営業中。

とは言え、周囲は住宅が散在する地で、歩行者なんてほぼいない。
通りがかりのクルマがあのノボリに反応するのかも疑問。

そんな場所を歩いて通りすぎていたら、あることに気がついた。
スピーカーから、かなりの大音量で音楽を流しているのだ。

ああ、聴いたことがある曲だ。



何故に?何故に焼きいも屋が完全無欠のロックンローラー??
普通「いーしやーきいも~~」みたいな呼び込み流すんじゃないの??

その場でずっと聴いていたわけではないのでわからないが、ひょっとしたら「昭和ヤンキー曲集」みたいなメドレーの一曲なのかもしれない。

で、思ったのだが。


この曲、俺は無意識のうちに口ずさんでいた。

それこそ完全無欠とは言わないが、だいたい歌えてしまうのだ。歌詞が頭にこびりついている。

別に、この曲が流行っていた当時、好んで聴いていたわけではない。

ただ歌番組は好きだったので、それなりに耳にはしていただろうけど。
そんな程度で、歌詞って無意識のうちに刷り込まれちゃうものなのかね。


思えば、小学校当時のはやり歌。
氷雨とか、待つわとか、ハイスクールララバイとか、北酒場とか。ジャニーズも松田聖子も。

だいたいのヒット曲、ソラでほぼ歌えちゃうんだよな。

繰り返すが、曲自体は特別好きなわけではなくても。

こういう刷り込み?って、たぶん子どもの時分限定のような気がするんだよね。

思春期以降の世間のはやり歌、歌詞がスラスラ出てくる曲はまず無いような気がする。

不思議だ。
いかに、子どもの頃触れたものが大事であるか。そんなことも思わせる。


件の焼きいも屋。
辺りに鳴り響く完全無欠のロックンローラー。
とてもじゃないが繁盛する気配はなく。


なかなかに、シュールな風景だった。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 三國志14PK遼東征討超級劉禅 ... | トップ | やりかけゲームたち(いずれも... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿