私の掛かり付けの理髪店、夫婦二人が営んでいるお店だが、お二人とも非常にお話好きだ。
確かその話は以前ブログで書いたと思う。
昨日の散髪中の話題は、自然と先日の母親の死に及ぶことになる。
まあ、いつものように今回も私が結局聞き役になり、店主の身の上話を頷きながら聞くことになるのだが。それもまたよし。
前々から度々聞いていたように、店主さん夫妻は親御さんの介護でだいぶ苦労したらしく、それを踏まえた話として、今回の私の母親の件については「ある意味よかったのでは」という言及が注意深く行われた。
正直、それは私も思っている。
くも膜下出血の痛みなど当事者しか分からないが、恐らく母は病院に搬送された時点で意識が無い状態だったと考えられる。
もしかしたら、永眠する7時間ほどの間、さほど激しい痛みは伴わなかったのでは、と思うのだ。希望的観測込みで。
昔から考えていた。
両親が認知症になったらどうしよう。
想像したくはないが、可能性として十分あり得る未来。
息子である私のことも認識せず、覚束ない言動を目の前にしたら。
私はそれを非常に恐れていた。いや、辛いだろうな、と思っていた。
親が自分のことを覚えてないって、どんなにか切なく悲しいだろう!?
もちろん、認知症そのものについて惨たらしい憐れな状態だと思っているわけではないけれども、そんな状態をお互い経験しないまま逝ってしまった母に関しては、これでよかったのかもな、と思う。
言うまでもなくこれは勝手な感情だろう。
意識がなかろうが恍惚となろうが、生命を永らえる事こそ至高だという考え方もあると思う。
翻って私について。
先日も書いた通り、今回の母の件をきっかけに、死に対する恐れが多少薄らいだ。
不様に寿命を延ばして家族に迷惑をかけるくらいなら、とっとと逝ければどんなにか。うん。
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