楕円と円 By I.SATO

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気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

何かシックリしない臨時国会が終わる

2024年12月16日 | 日記
臨時国会の会期末が21日に迫る中、国会では政治資金規正法再改正や衆参政治倫理審査会開催など難題が山積し、日程は窮屈さを増していた。
自民にとっては補正予算案の12日中の衆院通過が至上命題だった。

このため、国民民主には〝103万円の壁〟の扱いで、「来年から178万円を目指して」という空証文で、立憲には「予備費の付け替えで能登復興対策を増額」で顔を立てさせ、「能登は賛成、補正は反対」というチグハグナな拠り所を与えて見事に乗り切った。


立憲・野田代表は「補正予算は水ぶくれ」と批判していたが、あっさりと通してしまったのはどうしたものか。

立憲の安住衆院予算委員長は補正予算本体の修正をもっとすべきであったが、初登板で混乱を避けたと見られても仕方ない。

これは長いことお互いに国会対策をやって来た自民の森山幹事長との水面下のやり取りで利害が一致したからであろう。
 

政治倫理審査会は公開、非公開で揉めているが変則で開催してもいいし、通常国会に先送りしてもいいので残るは政治資金規正法再改正だ。

これについては、自民、立憲の国対委員長が16日、国会内で会談し、自民は「政策活動費」を全面廃止する野党提出法案に賛成する意向を示し、一部を非公開にできる「公開方法工夫支出」を検討項目として付則に盛り込む修正は見送ることになった。つまり、成立する。

「方法を工夫する」という回りくどく、何のことやら分からない表現で附則に残しておいて、法律の施行段階で条文の中に息を吹き返らせようとするのだから、自民党はよほど〝裏金〟の温床が欲しかったのだろうが諦めたのはやはり少数与党の悲哀か。


かくして、17日に補正予算は成立し、臨時国会はすんなり21日に終わることになった。

〝奇跡の国会運営〟〝森山マジック〟と自民は浮かれるのだろうが、はたして政権交代に向けて野党はそれでよいのか。

綱渡りの政権運営を気脈の通じた与野党の元国対委員長二人が切り回しているようで気になり始めている。

年明けの通常国会で、立憲はもっと毅然と戦わなくてはダメだ。


国民民主はどこまで持ち応えられるか

2024年12月15日 | 日記
国民民主党は1月からの通常国会で審議される2025予算の成立と引き換えに〝103万円の壁〟をいくらにすることで折り合うつもりだろうか。

ガソリン税の廃止は勝ち取ったので、次の選挙用の虎の子のカードだ。
中途半端で妥協は出来ないし、突っ込み過ぎて国会を停滞させると「党利党略だ」という世間の批判の高まりが気になってくる。


現時点で国民民主の要求は178万円、自民党の回答は123万円。絵に描いたように要求の7割だ。来年から178万円を目指すらしい。

財務省と財務省出身の 古川元久 政策調査会長のメンツを賭けた戦いは興味津々である。


上げ幅の根拠を国民民主の「最低賃金上昇率」にするか、財務省の「物価上昇率」にするかの議論だが、103万円は生活する上での〝必要経費〟という考え方だから、財務省の主張が本筋である。

国民民主の古川政策調査会長は知ってか知らぬか、先の衆院選挙公約に掲げる時に不覚にも吟味が足りず、古巣の財務省に「先生、それ違いますよねぇ」と弱みを握られてしまった。

事実、財務省は「食料と家賃の上昇率」をベースに123万円をはじき出しており、ジワジワと攻めてきている。


国民民主は「最低賃金上昇率」でどこまで持ち応えられるか。
算定の根拠に〝食料と家賃〟以外に何を追加するか、方針転換をせざるを得ない状況ではないか。

落としどころが決まれば「理屈」は財務省のプロがいかようにも作るのが常だ。最後は財務省側から決着の知恵の手が差し伸べられて着地するのではないか。
官僚は〝5と3と8〟が大好きだ。7の次は〝8割回答〟で妥結か。

事実、自民党の宮沢洋一税制調査会長はゴルフに例えて「グリーンがどこにあるのか見えない」とちゃちゃを入れ始めている。


国民民主の今回の動きは、単独で抜け駆けしても根本解決には至らず、政権交代しなければ公平な税制も適正な社会保険料負担も自民党政治の疑惑解明も、何一つ根本的には実現しないことが明かになる良いケースだと思う。

これから野田立憲代表がどこで野党統一戦線構築の旗を揚げるか、注目だ。


パソコン〝かかりつけサポーター〟も必要

2024年12月14日 | 日記
1週間ぶりに気温差10℃以上の東京から帰ってきて翌日、パソコントラブルに見舞われた。

朝、2階が寒いので灯油パネルヒーターに加えて電気暖房器具2台を点けてパソコンを使っていたところ、家の電流制御ブレーカーが落ちてしまい、PCの突然のシャットダウンでインターネットが繋がらなくなってしまった。


スマホで検索しながらいろいろやってみても状況は変わらず、以前に来てもらったPC修復業者のBさんに電話してみた。

電圧の急激な変化で光回線の変換機器(ONU)が故障する場合もあるのでプロバイダーのサポートセンターに問い合わせてチェックして貰ってはとのアドバイス。
早速、照会してONUのランプの点滅状態からセッティングのし直しが必要であることが分かった。


電話リモートでONUを初期化し、PCからプロバイダーのIDとパスワードを入れ直して無事開通した。半日を要した。

サポートセンターの担当の人に、「もう一度、操作の仕方を教えてください。」と言うと、「う〜ん、難しいのでその時はまた電話してください。」と丁重なご返事。

それもそうか。以後は不注意に気をつけよう。
Bさんにもお礼の電話をしてハプニングは終わった。


身体のケアはかかりつけ医院があるが、PCを使っている間は〝かかりつけサポーター〟も必要である。



年の瀬に聴きたくなる曲 カッチーニ『アベ・マリア』


長逗留おわり

2024年12月12日 | 日記
東京6日目  12月12日(木)




長逗留したがずっと良い天気だった。
今日、寒さが増している北海道へ。
家は冷えているだろうな。

昨日は83才の兄夫婦と新宿でお昼を食べて、目黒の雅叙園ホテル東京の「百段階段」を見物した。

正確には99段の階段に沿って配置された昔の宴会場に日本画、天井画、彫刻が施されている。
随分と豪勢なものだ。

戦時中は出征の別れの宴も行われたそう。
「怪我をした。病気になった。と忌避して、絶対に帰ってこい。」と父親が涙ぐむこともあったそう。

外国人の姿が目立った。








あちこちフリータイムの一日

2024年12月11日 | 日記
東京4日目。12月10日(火)





神奈川県大和市に極地冒険家•荻田泰永さんが開いた〝街の本屋さん〟冒険研究書店がある。
行ってみた。
あいにくラジオ出演で不在。

冒険と読書はどちらも何かを探すという主体的な取り組みであり、共通点があるという。
「君」は自分かも。ゆっくり読んでみたい。




新橋のSL広場はオジサン達の待ち合わせ広場だ。
大学ラグビー部同期二人と有楽町のガード下へ。

東京出張の時は農水省の人らと昼の続きで議論した想い出の地。外国特派員、大使館の人達が日本のサラリーマンの生態を観察していたらしい。

75才にしてまだ酒場で飲めることに乾杯して別れた。





20:30 ホテル帰着。



千葉房総の東京ドイツ村に行ってみた

2024年12月10日 | 日記
東京3日目。



「はとバス」に乗って千葉房総の「東京ドイツ🇩🇪村」に行ってみた。

都心を昼前に出て、途中、ハチミツ工房と浜焼き食べ放題に寄って夕方に到着。

イルミネーションの海は見応えがあった。
週末はかなり混雑するらしい。
12,000円。







2024.12.9

法事で東京へ来た

2024年12月09日 | 日記


東京も寒い。
北海道に戻ればもっと寒いか。
もう少しいよう。




年の瀬に聴きたくなる曲

2024年12月07日 | 日記



平和のシンボルである「鳩」とベトナムを想起させる「赤い星」

1971年、アメリカが関与していたベトナム戦争に対するプロテスト・ソング的なメッセージが強く込められたクリスマスソングだった。

大学紛争の時代、「ベトナムに平和を市民連合」通称〝べ平連〟の街頭活動も盛んだった。


来年こそは戦争が消えて欲しい。





オペラ「竹取物語」

2024年12月06日 | 日記

    

 
2024.12.1  九州公演( 大分iichiko総合文化センター;九州交響楽団 )


指揮者の沼尻竜典さんが作曲したオペラ「竹取物語」がいくつかのオーケストラとの共同制作で上演されている。

月では兎が餅をついていると聞かされ、〝月からの使者〟が牛車でかぐや姫を迎えに来て、地上軍?と弓矢で合戦するシーンを想像していた幼き日々があった。
思えば遠くへ来たもんだ。


・11/23(土・祝),24(日) びわ湖ホール;日本センチュリー交響楽団
・12/1(日)北九州 iichiko総合文化センター;九州交響楽団 
・12/7(土)札幌Kitaraホール;札幌交響楽団
・12/15(土)やまぎん県民ホール;山形交響楽団

という日程で、明日(7日)は札幌公演だが法事で上京するので残念。


〝無茶ぶりスケジュールだ〟と札幌交響楽団の「ライブラリアン」さんが呟いていた。

楽譜は高価なものなので楽員が個人で所有することは稀で、楽団が購入し、ライブラリアンと呼ばれる人が一括管理している。

1日に大分で九響が演奏した楽譜が4日には札幌にないとリハーサルに支障が出る。確実性をとって、自身が全パート譜を大分から札幌に運んだとのこと。
スポーツも音楽も演劇も縁の下のプロフェッショナルが支えている。

このオペラではオーケストラからオーケストラへと楽譜がリレーされて演奏されるようだ。因みに、舞台装置の「竹」も旅をしているらしい。
もっとも、北海道には竹が無い。


やがて「竹取物語」の楽譜も各オーケストラでライブラリアンさんが管理し、物語と同じく末永く伝えられてゆくのだろう。



石橋湛山に触れた

2024年12月04日 | 日記



臨時国会が11月28日に始まった。石破内閣になって本格的な論戦が期待される。
物価高対策補正予算、能登復興補正予算、政治改革などの懸案事項を24日間の会期で処理しなければならない。

少数与党でびくびくしながらの国会運営だが野党は内閣不信任案の提出などやっている暇は無いと見越しているからか、石破首相の代表質問答弁からは今のところ政治不信を払うような姿勢を感じない。
覇気は無いが妙に強気である。


ただひとつ注目したのは、所信表明演説で石橋湛山の1957年2月4日の施政方針演説から一節を引用したことだ。

異なる意見を尊重するという民主主義の精神を述べたもので、この極めて当たり前のことが安倍、岸田の両政権では数の力で踏みにじられてきたことへの反省であればこの先少しは期待が持てるのかもしれないが、前言を簡単に翻す首相の信用度は半分程度か。


石破首相の演説を聞いた時、丁度、元衆議院議員の田中秀征氏と評論家の佐高信氏の『石橋湛山を語る』(集英社新書 2024年10月)を読み始めていた。

佐高氏は、「秀征さんは石田博英(石橋政権の官房長官)、宮沢喜一(大蔵省時代、湛山がGHQとやり合っていた時の通訳)を通して湛山を二次体験した政治家」と評している。

佐高氏が聞き役に回った対談本で、保守本流と自民党本流の存在や田中角栄が湛山に傾倒していて日中国交回復を成し遂げたこと、村山政権誕生秘話など、興味深い政治史が書かれている。


湛山思想の「小日本主義」は、戦後、資源も無く狭い日本で世界に伍してゆくためには国民の全力を学問技術の研究と産業の進歩に注ぐべしという考えから生まれていることを知った。

湛山と石破首相の接点は書かれていないが、1988年、リクルート事件の発覚に端を発した自民党の中堅、若手の議員による勉強会に鳩山由紀夫、渡海紀三郎らと名を連ねている。
「湛山研究会」の会長である石破首相の政治改革の熱情はどこへ行ったのだろうか。

菅政権の「学術会議問題」、安倍政権の「森友事件」は湛山思想とは真逆の事件であり、石破首相はどう思っているのか。

湛山は「兵営の代わりに学校を建て、軍艦の代わりに工場を設けるべし。」とも述べている。
安倍政権の集団的自衛権の拡大解釈や岸田政権の急激な防衛費の増額を〝防衛オタク〟と言われた石破首相はどう思っているのか。

読んでいくと政治が劣化して、知らないうちにこの国のいろいろな指標が世界の中で沈んでしまっていることに危機感を持った。


石破首相が噛みしめるべきは湛山が1967年、83歳の病床から綴った次の言葉ではないか。

「私が、いまの政治家諸君をみていていちばん痛感するのは、『自分』が欠けているという点である。『自分』とはとはみずからの信念だ。
政治の堕落と言われているものの大部分は、ここに起因する。
政治家のもっともつまらないタイプは、自分の考えを持たない政治家だ。
カネを集めることが上手で、大勢の子分を抱えているというだけでは本当の政治家ではない。」(「政治家にのぞむ」の一節)


見回して湛山の衣鉢を継ぐ政治家がいないのは今の選挙制度に原因がありそうだ。




第55代石橋湛山内閣(1956.12.23-1957.2.25)
岸信介 池田勇人らの顔が見える