《2020.11.21 16:00 サッポロファクトリー》
先日、数ヶ月ぶりに札幌に出た。お世話になった方の最後の定期演奏会があり、「不要不急」ではなかった。
「不要不急」の判断は主観的なものなので、他人からは「なにそれ」みたいなことも当事者にとっては「今しかない」ということもあると思う。
コロナ対策で「自粛」してくださいという呼びかけも、つまるところ「不要不急」の判断を個人に丸投げしているということで、誰も責任を取ら
ない、取りたくないという気持ちが透けている。
事実、政府は思い切った対策を打ち出さない。結果、医療現場が疲弊し、役所の実働部隊が疲弊し、個人にはストレスが溜まって行く。
最近はJRも運賃が高いので札幌へは車で出かける。演奏会の会場であるhitaruに近いショッピングセンターで食事、買い物をすればそこの駐車
料金が割引になるというので車を入れた。
昼にセンター内のイタリアンに入ってみた。若い店員さんが7人いたが先客は年配の4人のグループのみ。暫くして2人連れが来て何だかホッとし
た。
後になって、3連休初日のその日の人出を映したTVを見ていると、新千歳空港は人混みだが札幌駅周辺はまばら。あの人達は何処へ消えたのだろう
か。夕方にシヨッピングモールの飲食店街の中を覗くと客の姿は殆ど無く、やはり店員さんが手持ち無沙汰で立っていた。
経済というアクセルと医療というブレーキを繰り返す“モグラ叩き”のような政策を続けていては街の経済はさらに深刻な事態に陥り、個人のスト
レスも溜まるばかりだと改めて感じた。
営業補償には限りがあるし、ウイルスそのものはこの地球から消えるわけでもない。人間、「自粛」は精神的ストレスを伴い、いつまでも続かな
いと思う。
菅政権がワクチンという“神風”を待って、一発逆転を考えているとしたらあまりに無責任だ。広く一般に使用出来る段階になった時に、それが
COVID-19に効果があるとは限らないからだ。
盛んに議論されるGOTOは本質の問題ではない。旅行も今、その人にとって気分転換が必要であれば「不要不急」ではないのではと思ったりもす
る。
小賢しい飲食作法の普及もいいが、政府はセオリーどおり、「検査」「感染者の隔離と医療」の体制整備に資金を投入し、個人が個人の責任で行
きたい所へ行ける「普通の生活への回帰」に取り組んで欲しい。政策転換が必要だ。
気のせいか寂しげなクリスマスツリーを見ていて思った。