楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

JA農作業支援のオフ飲み会

2024年11月30日 | 日記

2024.11.29

今年もあとひと月、時間の経つ早さが加速している。
10月でJAの農作業支援が終わった。

最後に出掛けたO農場さんから貰った規格外の大根を「沢庵漬け」にして1ヵ月。
樽開きをした。ちよっとしょっぱいけれどまあまぁだ。


JAから来年の意向調査が来た。
75才をひと区切りとしてやってきて、先日、自分の2倍の10年間やってきたSさんと近くの焼き鳥屋で飲む機会があった。
畑でよくお会いする。

きっかけは大根の出荷作業で二人ともよく出掛けた60才台のO農場さんご夫婦からの「飲む時は誘ってね。」のひと言だった。


農作業も全て終わって、4人で丁度良い息抜きの飲み会になった。
Sさんは御年80才という。今でも週1回はゴルフに出掛け、農作業も健康維持で続けているという。

JAの作業に出掛け始めたきっかけ、勤めていた頃の仕事のこと、Oさんご夫婦の出会い、二人の息子さんのことなどなど互いにプライベートなことまで突っ込んだ話題で盛り上がった。

「農作業で来た人とこうして飲んだことは初めて。」と奥さんに喜ばれたが、私達も初めてのことだった。
結婚前は大手電機メーカーの事務員をしていたので、〝飲み会〟を懐かしむようだった。
つまるところは〝社会と繋がっていることの大切さ〟に行き着いた。


来年の意向調査には「希望する」「週2回程度」、希望作業は「田植えと大根出荷」に丸印を付けた。

腰を屈める野菜収穫作業は卒業して、Sさんと会うのを楽しみに出来る範囲で手伝いたい。







映画『海の沈黙』を観た

2024年11月28日 | 日記
北海道に馴染みの深い倉本聰氏が構想30年、36年振りに映画の原作、脚本を書いた。
タイトルは『海の沈黙』。

『沈黙の海』はよくありそうだが、『海の沈黙』というタイトルに惹かれた。
前者はこちらの視線が海に向かっているようで、後者は海からの視線、問いかけを感じる。


劇場は車で40分ほどにある江別市のイオンシネマ。
封切りされたばかりの映画を観たのはいつ以来か。思い出せない。

8番と書かれたスクリーン入り口に並んだ人の持つ大きなポップコーンのカップからあの匂いが漂う。
平日の午前、人は疎らで苦戦の映画業界を思う。

ミステリアスな展開に映画タイトルを重ね合わせて引きずり込まれるように観ていた。


倉本聰氏はかつて北海道のキャッチコピーとして〝試される大地〟を決める時に全国公募の選考委員であった。革新系の横路孝弘知事の後継として堀達也氏が就任して間もない頃のことで、道に勤めていたのでよく覚えている。

〝試される〟という表現を巡って、受け身で上から目線だという意見も多かった。倉本氏の見解は、北海道が持つ可能性とその自然の厳しさを乗り越える人々の姿勢を表しているというものだったと記憶している。
能動的なのである。

30年近い時間が経って、今、北海道の「試される大地」の気概はどうなのだろう。


映画タイトルは倉本氏が相当に練って決めたものと思う。何を込めたか。
海からの視線、問いかけは普遍的な価値に対してのものか。
もうこの先30年は無いが反芻して生きて行きたいと思った。

この節、50歳以上夫婦割でひとり1,200円で素晴らしい映画を観ることが出来るのは幸せなことだ。




2024.11.21 隣りの長沼町




「マイナポータル」にアクセスしてみた

2024年11月27日 | 日記
マイナカードにどのような情報が入っているのか確認するために、スマホアプリの「マイナポータル」にログインしてみた。

マイナカードの4ケタの暗証番号を入力して、出てきたのは「ただいま大変混雑しています。1分ほどお待ちください。」とのメッセージ。

2回目の暗証番号入力でカードとスマホの位置関係を示す図が出てきたがカードの上にスマホの表側を重ねるのか、裏側なのか説明がなくてわかりずらい。


画面操作を考えて裏側を重ねて置いて読み取り開始するも「失敗しました」とのメッセージが出た。

3回目の暗証番号入力を行うが結果は同じ。


スマホのケースを外さなければならないか・・・。
4回目(だったはず)の暗証番号を入力しようとしたら「ロックされました。市町村担当窓口で解除してください。」とのメッセージが。
そうか、3回も暗証番号を入れているから怪しまれたか。

近くの市役所出張所で解除をしてもらう。
念のためにカード情報の確認をしようと操作すると再び「読み取りに失敗しました」とのメッセージが。

一体どうなっているんだろう。出張所の年配の担当女性は「分からない」と言うので市役所の担当窓口に問い合わせをお願いしたところ、「原因が分からない。」との返答だった。仕方なくそのうちまたトライしようと帰ってきた。


今朝、目出度くマイナポータルに辿り着き、マイナンバーカードに健康保険証が紐付けされていることが確認出来た。
医療費、服用している薬、予防接種歴などの情報が入っている。

丁度、TVのニュースワイドショーでマイナ保険証のことが取り上げられていたが、暗証番号のロック解除は「住民票が登録されている市町村でしか出来ない」とのこと。

12月2日から診療はマイナ保険証を基本とする仕組みに移行されるが、旅先でカードをロックしてしまったらどうするのか。

医療機関でマイナ保険証が読み取れないケースが7割あるという。河野太郎は功を焦って拙速過ぎた。政治家として、責任感はこれっぽっちも無い。


「壁」は全体を見えなくしている

2024年11月25日 | 日記
国民民主党はやはり与党だ。
自・公政権で慣例化してきた法案と予算に関するプロセスの「事前協議」→「閣議決定」→国会議案提出→議決・承認の流れに完全にはまり込んで、〝103万円の壁〟や〝ガソリン税〟をどうするこうするの「事前協議」を行っている。自民党税制調査会にまで参加している。驚きだ。

オープンな国会の場では無く、自・公・国の密室協議で政策の大枠が決まろうとしている。これまでの安倍一強時代の悪弊を踏襲し、民主主義に反すると思うがメディアの論調に全くその批判が無いのはどうしたものか。


国民民主の主張のとおり壁を178万円にすると必要な財源は7.6兆円と大きく、国ばかりでなく地方の税収が減る。

今、財務省は永田町を駆け回って、根拠を最低賃金の上昇割合ではなく、物価の上昇割合にして算定される113万円との〝間をとった金額〟で手を打とうとしているだろう。

しかし、このような小手先のことをその場しのぎに繰り返してきた結果が今日の国民の生活窮乏を招いているわけで、〝手取り〟を増やすために「税制」「社会保障制度」「財政制度」はどう改善されるべきかという全体の大きな話を見えなくしている。


「壁」は段差である。ほかにもいくつかの壁がある。
壁で急激な負担増が生じないようにするためには、働ける人は働いて、収入に応じて税金や社会保険料の負担を少しずつ増やしていくなだらかな「坂」のような制度に移行すべきだし、税制の見直しは必須だ。

28日からの臨時国会は小手先ではなく、全体的な見直しを開始する国会になって欲しいものだ。

石破首相はどう考えているのだろうか。野党第一党の立憲民主党が政権担当出来るかどうかの試金石ではないか。頑張って欲しい。

ビートの思い出

2024年11月23日 | 日記



2024.11.3



砂糖原料のビート(カブ)の収穫は機械を畑に入れる前に四隅を手で抜いておく。10月28日、今年のJAの農作業支援の最後の日はその作業だった。
帰りにビートをひとつ貰ってきた。

ビートは不味いものという学生時代の想い出があり、甘いであろう茹で汁を一度飲んでみたかった。


10月の半ば頃だったか、大学のラグビー部のシーズン納の行事に「岩内仙峡マラソン」があった。

大学の正門前からほぼ直線で45Km南下したところに岩内仙峡という景勝地があり、そこまで走って河原で豚汁を食べるというものだった。
その昔は往復したらしいが、入部した年は往路だけで帰りは確かバスだった。

山岳部が常連で参加していて優勝したりもしていた。
途中の藪で用を足すためにトイレットペーパーを腰にぶら下げて走る輩もいた。

1年目の夏に聞かされて、退部しようと真剣に考えた。短距離は早かったがマラソンは大の苦手だったからだ。45Kmを走れるはずが無い。


ずるずると当日を迎えてしまった。スタートして間もなく、先輩が「あの山の葉っぱがどんな色づきをしているか、これから分かるから。」と指さした遠く曇った日高山脈を見た時、頭がクラクラっとした。

清川という集落まで20Kmは隊列を組んで走り、そこからゴールの岩内仙峡までは競争だった。清川までは頑張ろうと必死で走り何んとか辿り着いたがダウン。伴走車に収容されることになった。

その前に水を飲ませてもらおうと寄った農家の畑にビートが積み上げられていた。フラフラする頭でビートは確か糖分が高いはずだから元気回復するかもしれないと考えてかじってみた。

何と不味いことか。それもそのはずだ。表面には土がこびりついている。卒業してから仕事でビート糖工場に行くとその時の思い出が蘇った。


貰ったビートの皮をむいて、適当に切って茹でて煮詰めること1時間。
半透明の少しとろりとした液体が鍋に残った。

舐めると甘い!
シュウ酸だろうか、微かなえぐみが野性的だ。
何回かヨーグルトにかけて味わった。その度に〝清川の想い出〟を懐かしんだ。ビートは50年を経て汚名?を挽回した。


全国大会に出場するようになって、「岩内仙峡マラソン」は時期的に膝、腰への負荷の面から中断し、今はもう行われていない。

昨日(11/22)は札幌近辺のラグビー部OBの飲み会だった。いつもの6人が集まった。

〝スローモーションのようなRugby〟をまだやっている人間が3人もいるけれど脊椎間狭窄も。。。
もう半世紀が経った。かつてのマラソンランナーが老体と付き合っている。



札幌駅前 2024.11.22 17:30




南ドイツ放送交響楽団

こころ旅 火野正平さん、さようなら

2024年11月21日 | 日記
       


びっくりすることが多すぎる。

「自転車で旅をするのが趣味です。」と言うと、「火野正平と同じですね。」とよく言われた。

14日亡くなられた。腰痛、腰の骨折から体調を崩していたという。
役者の火野正平さんはあまり知らないが、同じ75才で自転車に乗る姿は何か身近かに感じた。


13年間ロードバイクに乗っていて、2009年にMTBによる自転車旅を始めた。
キャンプ道具をサイドバッグに詰めて、最初に出掛けたのは天売島と焼尻島だった。中学生の時に担任の先生と友達数名でキャンプした想い出の地だ。

その2年後にNHK・BSの『にっぽん縦断 こころ旅』が始まった。
正平さんは、タボタボの長ズボンに長袖のシャツ、服を着て、頭にはバンダナ帽子の上にカスク(革製のヘッドギア)を被るという凡そ自転車には似つかわしくない暑苦しい姿で、視聴者から番組に寄せられた〝お手紙〟に書かれた場所を訪ねた。

服装はファッション性の高いものだということを後で知った。

道すがら蝉やカエルや山の実などを目ざとく見つけて子供に還ったような目でカメラに話しかけた。


いつか正平さんに天売島と焼尻島の想い出を〝お手紙〟に書いて行ってもらおうと思っていたが遠い世界へ旅立ってしまった。

今頃、天空を駆けているかな。
ご冥福をお祈りします。




2009.7.4

【写真】
上;天売島から見た焼尻島の花火。街の明かりの上に満月のように開いた。
中;焼尻島から見た天売島
下;キャンプ地にはペリー来航の5年前に焼尻島に漂着したラナウド・マクドナルドを記念するトーテム・ポールが立っていた。今は朽ちて無い。彼はアメリカインディオの血を引いていて、当時の蝦夷地が祖先の地と考え、日本海で操業していたアメリカの捕鯨船から脱出、手漕ぎボートで焼尻島に辿り着き、さらに利尻島へと向かった。後に長崎出島でネイティブの通詞を育てた。





天売島と海鳥


選挙とSNS

2024年11月19日 | 日記
内部告発問題で県議会から全会一致で不信任決議を受けて失職した知事が再選された。驚きである。

失職の原因となったパワハラの詳細がメディアで報道されていたので当選は無いだろうと思い込んでいた自分にハッと気づく出来事でもあった。


選挙を巡って様々な分析が始まっている。

既存のメディアと〝X(ツイッター)Y(ユーチューブ)ジャーナリズム〟の戦いであった。

既存のメディアは放送法の「選挙報道の公平性」の縛りで、選挙告示後はXYジャーナリズムのフェイク情報を是正出来なかった。

特定候補を応援するために立候補するという公職選挙法の想定外のことが起きた。

等々である。関係法律の改正が必要だ。


先の東京都知事選挙、アメリカの大統領選挙、そして今回の兵庫県知事選挙と続いて、SNS時代の情報は急激に巨大な波となって一気に拡大してゆく恐ろしさを感じる。

20才、30才台の7割が失職した前知事に投票したという。
氾濫する情報に飲み込まれた人、流された人はいなかったのだろうか。
〝同情〟も起きていたという。

事実、兵庫県の選挙民の中には「選挙期間中、何が本当か分からなくなった」という声があるというし、対立候補さえ「終わってみて、何と争っていたのか分からない」と語っている。

波は風で大きくなる。SNSが強風を引き起こすエンジンになる時代の到来だ。
これからの詳細な分析が興味深い。


思い起こすのは100年前に、「人間は本質的に不完全なもの」と考え、積み重ねてきた歴史、文化、伝統、知識、経験を重視し、他人の意見を聴く耳を大事にしなければならないという〝保守思想〟の根本を唱えたスペインの思想家、オルテガの『大衆の反逆』の問題設定である。

「大衆」とは大量生産労働に適した均質化された「平均人」であり、数の多いことを「正しさ」の根拠に、風が吹いたらそちらに流れてゆくと言う。

オルテガはスペイン内戦時に独裁政治からの転換を巡って、右か左かの二分法を嫌い、両方を批判する言論を発表し続けていたために、どちらからも猛烈な攻撃を受け、遂にはフランスに亡命する。「大衆の反逆」である。

「大衆」が生まれる時代背景に農村から都市への人口流入と都市の工業化による人口の急増があり、オルテガはこれを「アメリカ的なもの」とみていた。


そのまま現代に通じていることを最近の選挙から感じる。
個人が情報を適切に識別し判断が下せるよう、政治とメディアは公平、公正、冷静さをどう保つか正念場と思って欲しい。注視である。



2024.11.19  一面、白くなった


懐かしき友たち

2024年11月17日 | 日記
   
     2024.11.16


9月に間質性肺炎で急逝した高校時代の友人Kの49日が過ぎ、芦別までお参りに行く途中、滝川市でラーメン店を営む中学時代の同級生Nのところへ寄った。葬儀で久しぶりに再会して以来だ。

Nは高校へ進学せず就職したので我らが3人は中学が接点だ。
予め店に電話し、関係を告げるとNとそっくりの声で「息子です。父はおります。」とのこと、調べておいた地図を見直して車を向けた。


住宅街に三方が窓の開放的な作りのラーメン店があった。土曜日のお昼時で家族連れで賑わう店の厨房に小柄で白髪を刈り込んだ〝ラーメン店の大将〟がいた。

忙しい時間帯なのでテーブル席にして話しかけることを控えていると、フライパンを返しながら昔のままの優しい目でこちらをちらちらと見ている。


   



注文した特性白みそラーメンを息子さんが運んできて間もなくNが席まで来てくれた。

「特別に作ったから食べてくれ。」という。ドンブリを眺めると味付きホタテが2個、切った半熟卵が2個乗っている。ほかのメニューとの合作だ。

これからKのところへお参りに行くことを話すと、やっぱりそうかと頷きながら、「Tは表向きは気丈にしているけれど落ち込んでいるから元気づけてきてくれ。」と短く話し厨房に戻った。

TはKの奥さんの名前で妻の友人。つまりは皆、中学時代を共有した友達同士である。


ラーメンを啜っていると年のせいか、なぜか涙が込み上げてきて妻に気づかれないようにするのが大変だった。
いろいろな想い出が体の中から沁み出てきたのかもしれない。

Nは炭坑の中学では珍しくなかった〝グレた連中〟の周辺にいたのだがどこかはにかむような優しさがあった。

中学を出てからラーメン修行をして今では滝川で2店を構える立派な〝大将〟になった。K夫婦は家族連れで芦別から滝川までよく食べに行っていたことを弔問した時にTから聞いて知った。

自分で立ち上げた会社が倒産し、Nからラーメン作りを伝授して貰って芦別で開業していた中学野球部の仲間のHも数年前にガンでこの世を去った。

普段の付き合いは殆ど無くなっていたが昔の友が居なくなることは寂しい。


Kの本名が記された位牌の置かれた仏壇に恵庭の御菓子と息子の初CDを供えた。クラッシックの大ファンで息子が所属するオーケストラがTVで放映される時は食い入るように見てくれていたらしい。

我々の話を聞いているように仏間に暫く線香の煙が漂っていることに妻が気づいたた。2時間あまり滞在し、去る時にTから「よかったら遺品を」と茶色の帽子を渡された。


外に出るとすっかり帳が下りた秋の空にまん丸の大きな月が煌々と照っていた。



国民民主党「部分連合」のあやふやさ

2024年11月13日 | 日記
「妻と息子から、こんな大事な時期に何やっているんだと強く叱責されました。騒動を挽回するためにも103万円の引き上げをやってこいと言われました。」「一生かけて家族に謝罪し続けたい。」--------と言われても。

それで貴方はどうする気?ということに関しては、「代表の地位については所属議員に選んでいただいている立場であるため、全議員に諮って判断を得た上で決断したい。」---------と。

何ともはや他人ごとのような甘えた答えが返ってきた。議員が集まり、代わりもいないので国民民主党玉木代表の継続が決まった。倫理観が欠如したお馴染みのこの国の政治風景だ。

市町村や農協のトップがこんなことをしでかしたら直ちに辞任していると思うし、町にも住んでられないのではないか。なぜか国会議員は居座る。


この程度のリーダーというか政党であるが、先の総選挙で衆院に過半数を占める勢力がいなくなる〝ハングパーラメント(宙づり国会)〟なるものが出現したため、過半数を割った与党に4倍増となった「28名」をちらつかせて自党の政策の実現を迫る今や〝時の政党〟である。

玉木代表は石破政権継続を容認し、国会では政策ごとに連携する「部分連合」で臨むという。先ずは所得税が発生する〝103万円の壁〟を178万円に引き上げて手取りを増やすという総選挙の公約の実現に向けて、本格的な論戦の舞台となる、年内の臨時国会、年初からの通常国会が始まる前から自民党と「政策協議」を進めている。何故か「消費減税」はいつの間にか消えた。

これまで自民党政府が国会を法案、予算の儀礼的な通過機関にするために慣行的に行ってきた党内部の〝密室事前審査〟と国民民主の部分連合の「政策協議」はどこが違うのか、まことにあやふやである。

「間を取って〇〇万円に引き上げ。」で決着し、国会では質問もせず「賛成」に回る国民民主の姿が目に見えてくる。これでは自民党流の〝密室事前審査〟、閣議決定、国会に法案提出、数で決着の流れに首を突っ込んでいるだけのことではないか。


昨今の玉木・国民民主の動きは、議論が活発化して好ましいという世論の受け止めだが、政党の考え、政策、付随する予算は国会という場でオープンに議論するという民主主義の基本からして果たしてどうなのだろうかと疑問だ。

〝103万円の壁〟を壊すという要求のスジは悪くないが、当初から高額所得者ほど恩恵が大きいと指摘されていたし、実際、年金制度、医療保険制度との連動も含めて総合的に考えなければならない課題であることが〝メディア国会〟で明かになりつつある。

これに対して、玉木代表は今回は税金の問題を焦点としており、8兆円とも試算される財源の確保については「手取りが増えることによって経済が好循環して税収が上がり財源は自ずと確保される。」という苦し紛れの説明の果てに、「財源は政府が考えること。」と無責任な発言をせざるを得なくなっている。

この先、「ガソリン税を一部軽減するトリガー条項の凍結解除」も自民党の「事前審査」を受ける際も同様のことが起きるだろう。

国会議論であれば政府側説明員(財務省等)を呼んで各党による広範囲の精緻な議論を深められるはずだ。

メディアは〝キャステングボードを握った玉木立憲民主党〟を挙って追いかけているが、この度の総選挙で本来の「熟議の国会」へのレールが敷かれただけのことであることを少しは意識した報道が必要ではないか。


「熟議」とは与野党が国会での議論や意見、情報を踏まえて、誰もが賛否の態度を変える可能性をもった状態で、合意に達するよう徹底的かつ理性的に議論することとされている。

これが出来なかったのは多数を占める与党自民・公明が事前審査、党議拘束(逆らった場合、所属政党から反党行為として処分)によって、議案への態度(盲目的賛成)を変える可能性をゼロにしてきたからである。


国民民主党は「ガソリン税を一部軽減するトリガー条項の凍結解除」や政治改革なども選挙公約にしている。

あれもこれも自民党が政策協議なる〝事前審査〟に応じるはずはなく、部分連合はいずれ破綻するのではないか。

各党が国会という同一の土俵で徹底議論する立憲民主党の「国会熟議」の考え方が正攻法だろう。


札響 『ローマ三部作』

2024年11月11日 | 日記

2024.11.9 札幌コンサートホール Kitara

レスピーギ作曲の『ローマ三部作』を聴いた。
交響詩「ローマの噴水」、「ローマの松」、「ローマの祭り」は大抵2曲の演奏なので3曲は珍しい。

札響正指揮者の川瀬健太郎は、演奏前のトークで、『ローマ三部作』を振るのは常任指揮者を務めていた神奈川フィル、現在音楽監督を務める名古屋フィルに続いて今回の札響が3回目だが、これまで以上の演奏を届けることが出来るかどうか、なかなか決断がつかなかったが本日トライすると意欲的に語っていた。







その言に違わない名演ではなかったか。いつもの3階席に客演が30名近い大編成の音が吹き上がってきて、こんなに勇壮な音楽だったのだと認識した。

バンダのトランペット陣に退団、移籍したプレーヤーを見かけて懐かしい思いをしたり、「ローマの松」では小鳥の囀りが客席の中からも聞こえたりして臨場感があったのも良かった。



豊平館

時間があったので開演前にホールのすぐ近くに佇む洋式の「豊平館」に何年振りかで入ってみた。

1980年(明治18年)、北海道開拓使の迎賓館として札幌市内に建てられ、1958年に中島公園内に移設された。木造ホテルとしてはわが国最古。市営結婚式場として利用されていたこともあった。