覇王の馬券密議

中央競馬の壮大な演出劇の真実・・・ターフ裏の怪人が饒舌に説き聴かせる回顧と予想

You say ・・・

2005年09月01日 18時21分36秒 | Weblog
 メジロデュレン というGⅠ2勝の名馬は ゾロ目連珠 の読み換え として使われていた。

 この馬のGⅠ勝ち、菊花賞が 6-6 有馬記念が 4-4 で共にゾロ目であり、この馬が共に出走した時、タマモクロスが必ず発射した。タマ=珠 である。またこの馬が菊花賞を制した際の2着は同枠隣のダービー馬ダイナガリバーであったが、この印象的な菊花賞制覇以後、デュレンは出走するGⅠレースで、ダービー馬の隣が発射することを訴えた。デュレンが3着に敗れた春の天皇賞では、タマモクロスの相手はダービー馬メリーナイスの同枠隣のランニングフリー、先ほど示した有馬ではデュレンの相手は9番ダイナガリバーの隣8番のユーワジェームスだった。デュレンは山の名前だそうだが、目白のジロをじろじろ見れば 目ゾロ に見えてくるという子供じみた他愛なさがこの馬に込めた向こう様の正体だったのである。このような馬は宿命と、個性的な役どころが決まっているので、競馬ファンで無くば誰でも分かる惨敗後の突然の発射 という露骨さで実際はレースなどしていないというレースをしてみせる。菊花賞6番人気での優勝や鳴尾記念10着 3週後の有馬記念サラブレッド日本一の座など。


 バグダッドの恐るべき災厄、カトリーナの狂乱 など死屍累々の9月4日の中央競馬、44回の総選挙も睨み、何を用意して四苦八苦か。
 この夏、柴田善臣の有給休暇、この理由は明らかに、世界水泳での柴田亜衣だった筈である。競馬は本質が競争、レースではなく、レースという体裁をとった、ある自己主張や世の中の反映である。競馬は脇役に徹する。本当の競争、真剣勝負であるスポーツの、主役柴田の本番に際し、競馬キャラは退く。スポーツとしての競馬そのものの世界で認定されたスターは武豊のみ。 世継ぎ候補福永祐一。馬は10年に一頭も実際のプロスポーツ選手並のスターを用意するに過ぎない。今年はワールドカップも来年に控え、メジャーでの松井 55(ジャパンカップ) イチロー 51(有馬記念)などの反映支援は昨年度の秋を飾った。今年、日本スポーツの大イベントの狭間は競馬を競馬としてみた純粋のスターを用意しても好かろう。かくして、スポーツでないあの怪人物を反映し、金子さんの馬が菊の舞台を見据える。


 現役唯一の郵政 いやユーセイたる、ユーセイハヤトオー。近走を見れば明らかに、当日のメイン発射位置を伝えて憚らない。


 7月9日 阪神8R  11番  当日福島メイン松島特別で9頭立て2番 オンワードハヤテ 1着


8月14日 小倉8R   2番  当日新潟関越ステークス 札幌日高特別 共に2番が2着


8月20日 小倉12R 11番  当日小倉メイン西部スポニチ賞 11番 アクトナチュラリー2着



 実に、わが首相の父 小泉純也氏は薩摩隼人の国 鹿児島県の出身であり、ユーセイハヤトオー の馬名はジュンイチロー的な純度が高いのである。Hey,Jun! You say yu-sei.

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20年

2005年09月01日 13時38分56秒 | Weblog
 天皇陛下の御乗り物、ロイヤルオート(御料車) 日産プリンスロイヤルの長年の御伺候が耐用年数尽き、トヨタ車に換わることとなった。この報道を競馬ファンはどのような感慨で見ておられようか。


 1997年、春のGⅠ戦線は、キョウエイマーチの桜花賞、サニーブライアンの2冠、天皇賞のサクラローレルの2着など、マーチ サニー ローレル 日産車ばかりが発射することが密かな話題として囁かれていた。現渡社長の石原プロは「西部警察」ほかで提携する日産車でパトカーをしつらえ、逃走する犯人車両はトヨタを指定するなどスポンサーへ義理を尽くす浪花節を聞かせたが、サクラローレルという日産車が天皇賞で1着 2着 3着したのも、陛下の御料車たる以上当然のことであったろう。それはさて、私にとっても空恐ろしい思い出の一つをお話しよう。

 報道によれば、この車は初めプリンス自工で試作され、1966年、この会社が日産自動車と合併し翌67年から天皇家にご奉公に上った。この20年後の1986年、天皇家の御紋を冠した菊花賞はメジロデュレンが勝つ。実に66年の20年後のゾロ目 ダイナガリバーとの、枠連 6-6 である。天皇家の御用車の会社合併の20年後、合併 同じものの並びを意味する、ゾロ目=連珠 の暗示たるデュレンの勝ちである。話は飛んで1979年、菊花賞でハシハーミット ハシクランツ という、同一馬主、同じ内藤繁春厩舎の有名な親子どんぶりがあった。この20年前、1959年の出来事を直ちに思い出されるだろうか。ズバリ、現在の両陛下の御成婚である。このご成婚20年後の菊花賞が測ったように(実際図っているのだろう)第40回であり、お二人のご成婚が私の父の誕生日でもある4月10日であるから、40回の菊の栄冠が、20年前4月10日にご結婚された両殿下(当時)を祝し、同じハシ ハシ の並びを示したことにあい為る。翌年、1960年には浩宮様がお誕生遊ばされ、また20年後の1980年、ハシハシの翌年菊花賞が北の突風ノースガストの2着にモンテプリンスを発射させたことで、菊花賞は皇室20周年レースとして、20年前の天皇家の出来事を反映させる仕掛けをとっていることが明らかとなる。ノースガストのガストが突風と共に、噴射の暗意を持ち、子孫を残す行為そのものを示唆すると同時に、この勝利厩舎 二分久男 とは、出産 を意味する、二身(ふたみ)に分かれる であり、皇居の奥の間でも、噴射 二身分け が とつきとうか を隔てとり起こったことが偲ばれるのである。
 わたしはかつてここで、菊花賞は青春レースだと書いたが、青春であるのは、この20年、即ち日本人の人生での二十歳(はたち)の意味と折り重なるからである。さすれば清子内親王殿下の誕生20周年の1989年菊花賞の勝ち馬バンブービギンという始まりを意味する馬が、この日本一のお嬢様の誕生日と1日違いの4月19日生まれたることから勝ち馬に選ばれたこと、また現秋篠宮 礼宮お誕生の20周年祭が、史上に名を留める日本名馬の草分けシンザンが女王(ナポリジョオー)に産ませたミホシンザンの勝ちだったことなどが解けてくるのである。
 今上帝は、ご幼称を継宮(つぐのみや)といわれ、このお名前に倣い、20世紀のミレニアムを画する馬として、あとあと分岐点、暦代わりに使える馬としてテイエムオペラオーという、竹園正継さん の馬が選ばれたことと同様、仕掛けが氷解するのである。昭和と決別した平成20年の菊花賞、何が待ち受けるか。 
 その前に1985年、今年の20年前の皇室とは何の、どんな年だったのか。

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