例えば、マヤノトップガン という馬がいる。
1995年、秋。神戸新聞杯、京都新聞杯 という当時の前哨戦をともに2着し、3番人気で菊花賞に臨んで来た。私は周囲に、菊花賞、トップガンだけは要らないと公言して憚らずにいた。菊花賞の菊とは、天皇家の御紋である。そのレースに、ガン=癌 などという馬が来るわけが無い。ご存知のように、吉田茂の子孫とご結婚されたあの髭の殿下は、舌や咽喉など、癌体質で苦しんでおられた。私はこのトップガンの5枠不要から馬券を読みはじめた。結果は、トップガンの圧勝だった。
これを見た私は、その当日か、翌月曜の夕、意想外の結果から廻らした思念と結論とを、翌週エリザべス女王杯の予告勝ち馬の名と共に、近しい人に、銀座のおでん屋で、語った。覚えて下さっているとは思うが・・・
結局、私は翌週のその勝ち馬の名を、来週は○○・・・○だと思う、と周囲にまた吹き散らし、概ね賛同を得られなかったが、私の買った単勝馬券は 26倍附き、菊の借りを返して余りある勝利となった。おまけに、ナリタブライアンに武が乗って登場するという有馬記念の勝ち馬も予測することが出来、その単勝も10倍附いて、私は、当時流行の、有名人物の自作の歌を歌いまくることと相成る。
何故、ガンなどという馬が菊花賞で、さらに、年末の有馬記念でも発射したのか。
1995年、この年の記憶は人々に鮮明なはずだ。ただ、競馬と結びつかず、いや結びつけず、別物と捉えられているだけに過ぎぬ。
1995年1月 「オウム真理教被害者の会」永岡弘行会長をVXガスで襲撃。
1995年2月 目黒公証人役場の仮谷清志事務長を拉致・監禁し、薬物で死なせる。
1995年3月20日 地下鉄サリン事件。東京の営団地下鉄(現・東京地下鉄)でサリンを撒き、12人を殺害。
1995年5月16日 麻原彰晃こと松本智津夫を山梨県上九一色村の教団施設で逮捕。
1995年 宗教法人解散命令。国会で宗教法人法改正法が成立。
この集団のことについては、くだくだしく語るまい。私が、いや競馬会が利用し、私が見抜いたことを語ればこの場では充分であろう。
この集団は、ホーリーネイム というものを使っていた。この団体で最も世間の耳目をひきつけたのは云うまでも無く、尊師・麻原彰晃 であるが、この尊師を別として、様々の~師 の位を持つ幹部連が登場し、耳慣れぬ共同体内言語で、マンジュシュリー とか、クシュティガルバとか、名乗りまた呼び合っていたものである。この年1995年、菊花賞 有馬記念を制し、記念すべき、いや記憶すべき年を刻む年度代表馬に選ばれた、中央競馬会により選び抜かれた1頭 マヤノトップガン をご紹介しよう。
マヤノトップガン 坂口正大厩舎 馬主・田所 祐
冠号マヤノは、馬主の田所さんが神戸の開業医でいらっしゃり、この故郷の街・神戸を見下ろす、六甲山系の1つ麻耶山から取られている。
そして、私の思惑に反し菊花賞勝ちを収めたこの馬を、レース後しげしげと見つめていた私に、向こうの壮大な仕掛けが映ってきたものである。オウム真理教の有名キャラ、
上祐史浩 地位・正大師 ホーリーネイム・マイトレーヤ
この1人と1頭の類似は偶然であろうか。田所祐の祐と上祐の祐の一致。マイトレーヤの頭と尻尾をつなぎ、マヤ。名伯楽・坂口先生のお名前 正大(まさひろ) と正大師。
この菊花賞は、オウム真理教事件の反映である。これが正しいかどうかは、翌週私が目をつけた1頭の動向により明らかになると思われた。その馬の名前と、その馬にまつわる別の1人をご紹介しよう。
飯田エリ子 地位・正悟師 ホーリーネイム・サクラー
菊花賞の翌週は、当時エリザベス女王杯。3歳牝馬最後の1冠である。飯田エリ子はオウムの看板、石井久子と並ぶ美人幹部として、街宣車にも乗り、前面に立った。エリザベスとエリ。そして、サクラーに対し、私が読んだ馬が
サクラキャンドル
である。1995年11月12日エリザベス女王杯
1着 4枠 7番 サクラキャンドル 10番人気 単 26.5倍
これで、この年の向こうの意図ははっきりした。武ブライアンが出走する有馬記念も容易で、私はトップガンかさなくばジェニュインの勝ちと読んだ。その有馬
1995年 12月24日 第40回 有馬記念
1着 7枠10番 マヤノトップガン 田原成貴
2着 2枠 2番 タイキブリザード
一言付け加えるなら、この麻耶山の見下ろす神戸を、この正しく1995年 1月17日 - 午前5時46分阪神・淡路大震災発生 が襲い、競馬会はこの大惨事への追悼を、被災地神戸の医師の馬に託したものであり、麻耶山の近郊に、有馬温泉という名湯がある以上、その舞台として当然有馬記念が用意されたのであり、またこれが最後までオウムの年ということで一環された証左として、2着のタイキブリザードという馬の背には、コンビとして有名な岡部幸雄ではなく、オウムが凶刃を揮った坂本堤(さかもとつつみ)弁護士にたぐえ、騎手・坂本勝美(さかもとかつみ) を配していたことを申し添える。
阪神の大惨事の年に、前年の3冠馬ナリタブライアンの目出度い復活の優勝など、用意されるわけも無く、被災者を思えば、競馬会は、馬が強いなどと思い巡らす、本質を外している競馬ファン、競馬を競馬としてしか見ないファンを刻んだのである。池田小事件の年、かなりの名馬と見られたアグネスタキオンが皐月賞を無敗で制した後、ダービーに姿を見せること、ついに無かったのである。子供が多く殺されて、馬だけ、子供といって好い3歳馬に慶事を盛ることなど出来るものではない、と知らねばならぬ。ディープという、無敗の三冠馬の運命や如何に。
1995年、秋。神戸新聞杯、京都新聞杯 という当時の前哨戦をともに2着し、3番人気で菊花賞に臨んで来た。私は周囲に、菊花賞、トップガンだけは要らないと公言して憚らずにいた。菊花賞の菊とは、天皇家の御紋である。そのレースに、ガン=癌 などという馬が来るわけが無い。ご存知のように、吉田茂の子孫とご結婚されたあの髭の殿下は、舌や咽喉など、癌体質で苦しんでおられた。私はこのトップガンの5枠不要から馬券を読みはじめた。結果は、トップガンの圧勝だった。
これを見た私は、その当日か、翌月曜の夕、意想外の結果から廻らした思念と結論とを、翌週エリザべス女王杯の予告勝ち馬の名と共に、近しい人に、銀座のおでん屋で、語った。覚えて下さっているとは思うが・・・
結局、私は翌週のその勝ち馬の名を、来週は○○・・・○だと思う、と周囲にまた吹き散らし、概ね賛同を得られなかったが、私の買った単勝馬券は 26倍附き、菊の借りを返して余りある勝利となった。おまけに、ナリタブライアンに武が乗って登場するという有馬記念の勝ち馬も予測することが出来、その単勝も10倍附いて、私は、当時流行の、有名人物の自作の歌を歌いまくることと相成る。
何故、ガンなどという馬が菊花賞で、さらに、年末の有馬記念でも発射したのか。
1995年、この年の記憶は人々に鮮明なはずだ。ただ、競馬と結びつかず、いや結びつけず、別物と捉えられているだけに過ぎぬ。
1995年1月 「オウム真理教被害者の会」永岡弘行会長をVXガスで襲撃。
1995年2月 目黒公証人役場の仮谷清志事務長を拉致・監禁し、薬物で死なせる。
1995年3月20日 地下鉄サリン事件。東京の営団地下鉄(現・東京地下鉄)でサリンを撒き、12人を殺害。
1995年5月16日 麻原彰晃こと松本智津夫を山梨県上九一色村の教団施設で逮捕。
1995年 宗教法人解散命令。国会で宗教法人法改正法が成立。
この集団のことについては、くだくだしく語るまい。私が、いや競馬会が利用し、私が見抜いたことを語ればこの場では充分であろう。
この集団は、ホーリーネイム というものを使っていた。この団体で最も世間の耳目をひきつけたのは云うまでも無く、尊師・麻原彰晃 であるが、この尊師を別として、様々の~師 の位を持つ幹部連が登場し、耳慣れぬ共同体内言語で、マンジュシュリー とか、クシュティガルバとか、名乗りまた呼び合っていたものである。この年1995年、菊花賞 有馬記念を制し、記念すべき、いや記憶すべき年を刻む年度代表馬に選ばれた、中央競馬会により選び抜かれた1頭 マヤノトップガン をご紹介しよう。
マヤノトップガン 坂口正大厩舎 馬主・田所 祐
冠号マヤノは、馬主の田所さんが神戸の開業医でいらっしゃり、この故郷の街・神戸を見下ろす、六甲山系の1つ麻耶山から取られている。
そして、私の思惑に反し菊花賞勝ちを収めたこの馬を、レース後しげしげと見つめていた私に、向こうの壮大な仕掛けが映ってきたものである。オウム真理教の有名キャラ、
上祐史浩 地位・正大師 ホーリーネイム・マイトレーヤ
この1人と1頭の類似は偶然であろうか。田所祐の祐と上祐の祐の一致。マイトレーヤの頭と尻尾をつなぎ、マヤ。名伯楽・坂口先生のお名前 正大(まさひろ) と正大師。
この菊花賞は、オウム真理教事件の反映である。これが正しいかどうかは、翌週私が目をつけた1頭の動向により明らかになると思われた。その馬の名前と、その馬にまつわる別の1人をご紹介しよう。
飯田エリ子 地位・正悟師 ホーリーネイム・サクラー
菊花賞の翌週は、当時エリザベス女王杯。3歳牝馬最後の1冠である。飯田エリ子はオウムの看板、石井久子と並ぶ美人幹部として、街宣車にも乗り、前面に立った。エリザベスとエリ。そして、サクラーに対し、私が読んだ馬が
サクラキャンドル
である。1995年11月12日エリザベス女王杯
1着 4枠 7番 サクラキャンドル 10番人気 単 26.5倍
これで、この年の向こうの意図ははっきりした。武ブライアンが出走する有馬記念も容易で、私はトップガンかさなくばジェニュインの勝ちと読んだ。その有馬
1995年 12月24日 第40回 有馬記念
1着 7枠10番 マヤノトップガン 田原成貴
2着 2枠 2番 タイキブリザード
一言付け加えるなら、この麻耶山の見下ろす神戸を、この正しく1995年 1月17日 - 午前5時46分阪神・淡路大震災発生 が襲い、競馬会はこの大惨事への追悼を、被災地神戸の医師の馬に託したものであり、麻耶山の近郊に、有馬温泉という名湯がある以上、その舞台として当然有馬記念が用意されたのであり、またこれが最後までオウムの年ということで一環された証左として、2着のタイキブリザードという馬の背には、コンビとして有名な岡部幸雄ではなく、オウムが凶刃を揮った坂本堤(さかもとつつみ)弁護士にたぐえ、騎手・坂本勝美(さかもとかつみ) を配していたことを申し添える。
阪神の大惨事の年に、前年の3冠馬ナリタブライアンの目出度い復活の優勝など、用意されるわけも無く、被災者を思えば、競馬会は、馬が強いなどと思い巡らす、本質を外している競馬ファン、競馬を競馬としてしか見ないファンを刻んだのである。池田小事件の年、かなりの名馬と見られたアグネスタキオンが皐月賞を無敗で制した後、ダービーに姿を見せること、ついに無かったのである。子供が多く殺されて、馬だけ、子供といって好い3歳馬に慶事を盛ることなど出来るものではない、と知らねばならぬ。ディープという、無敗の三冠馬の運命や如何に。