ヴァイオリンだって骨董屋で木製家具を選ぶように見てみたらよい、というところまで書いた。参考までに欅の古民具をウェブサイトから拝借しておく。少し探したのだがあまり格好なものが見つからない。どうも品がないのばかり出てくる。我が家にある刀箪笥を載せようかとも思ったが、生活を暴露するのは好まない。中では載せたものがましかなと思われた。(我が家のは立派ですぜ。載せなければいくらでも駄法螺を吹けるなあ。)
ストラディヴァリウスをはじめとする弦楽器において、ニスは秘伝中の秘伝だというではないか。家具にしても、歩を譲って、意味はそこまで強くなくてもニスで美しさは左右される。
あるいは漆にいたっては、塗る漆の質がそのまま器の質ではないか。
そう思いをいたすと、小林秀雄さんが「良い楽器は見ただけで分かる」と書いたのを冷笑する理由は果たしてあるだろうか、という疑念すら出てくる。
少なくとも気合が入っていない外観で素晴らしい楽器などはどこを捜してもないのだ。したがって良い楽器は美しい外観をしているということだけは言えそうである。
骨董の目利きである小林さんはそれを率直に口にしたのではないか。
ただしこれは楽器について決定的な判断を下す要因になるはずがない。
弦楽器奏者から、ストラディヴァリウス等名器といわれる楽器を凡庸な奏者が弾くとはじき返されると聞いた。
これはもちろん僕が実感するわけにはいかないけれど、感覚的には分かる。ピアノでも似たところがあるから。はじき返されるというのも感覚的な表現なのだと思われる。
サラブレッドも乗り手を選ぶという。仮に僕が馬に乗れたとしても、馬は乗り手の技量を見てしまうのだ。
器だってそうだ。以前都心の、とある骨董屋の店先で見事なペルシャの水差しを見た。しげしげ眺めたが好奇心に打ち勝てず、店に入って値段を尋ねた。店主はニヤニヤ笑って答えない。いや、買えるはずがないのは承知している。でもどうしても知りたいのだ、と重ねて頼んだら3億円!ということだった。
店からはじき返されてしまった。りゅうとした身なりで「ほほう、思ったより安いものだねえ」とでも言ったら気持ちよかろう。
過日どこかの大金持ちがレースサーキットを借り切って高級スポーツカーを見せびらかそうという映像を見た。さっそうと登場していざ走り出そうとしたけれど激しくスピンするばかり。件の金持ちは失笑を浴びとんだ失態を晒したわけだが、聞くところによればスポーツカーなどは普通の車を乗っている人くらいでは発進すらままならないのだという。
弘法は筆を選ばないかもしれないが、筆のほうは人を選ぶようである。
楽器の見た目から自然に扱う技量まで話が進んでしまった。
一度所謂目利きにただ外観から楽器を選ばせてみたら面白いだろう。大抵の奏者は楽器を選ぶことにある種の恐怖心を抱いているはずである。それは以上書いたことから察しもつくと思う。
名器は代々名手にのみ扱われることによってそのたたずまいの風格があがっているかもしれない。器と同じように。
そこは目利きの世界であり、凡庸な奏者より「正しく」判断するかもしれない。
日本のテレビのバラエティー番組ほど下劣なものはないが、このような、外見だけで楽器を判断する番組があったら見たいね。
ピアノは工業生産品だが、それでも古くなってくればくるほど、一種の工芸品としての性格を帯びる。面白いことだ。
もう少し続ける。書いているうちに面白くなってしまった。
ストラディヴァリウスをはじめとする弦楽器において、ニスは秘伝中の秘伝だというではないか。家具にしても、歩を譲って、意味はそこまで強くなくてもニスで美しさは左右される。
あるいは漆にいたっては、塗る漆の質がそのまま器の質ではないか。
そう思いをいたすと、小林秀雄さんが「良い楽器は見ただけで分かる」と書いたのを冷笑する理由は果たしてあるだろうか、という疑念すら出てくる。
少なくとも気合が入っていない外観で素晴らしい楽器などはどこを捜してもないのだ。したがって良い楽器は美しい外観をしているということだけは言えそうである。
骨董の目利きである小林さんはそれを率直に口にしたのではないか。
ただしこれは楽器について決定的な判断を下す要因になるはずがない。
弦楽器奏者から、ストラディヴァリウス等名器といわれる楽器を凡庸な奏者が弾くとはじき返されると聞いた。
これはもちろん僕が実感するわけにはいかないけれど、感覚的には分かる。ピアノでも似たところがあるから。はじき返されるというのも感覚的な表現なのだと思われる。
サラブレッドも乗り手を選ぶという。仮に僕が馬に乗れたとしても、馬は乗り手の技量を見てしまうのだ。
器だってそうだ。以前都心の、とある骨董屋の店先で見事なペルシャの水差しを見た。しげしげ眺めたが好奇心に打ち勝てず、店に入って値段を尋ねた。店主はニヤニヤ笑って答えない。いや、買えるはずがないのは承知している。でもどうしても知りたいのだ、と重ねて頼んだら3億円!ということだった。
店からはじき返されてしまった。りゅうとした身なりで「ほほう、思ったより安いものだねえ」とでも言ったら気持ちよかろう。
過日どこかの大金持ちがレースサーキットを借り切って高級スポーツカーを見せびらかそうという映像を見た。さっそうと登場していざ走り出そうとしたけれど激しくスピンするばかり。件の金持ちは失笑を浴びとんだ失態を晒したわけだが、聞くところによればスポーツカーなどは普通の車を乗っている人くらいでは発進すらままならないのだという。
弘法は筆を選ばないかもしれないが、筆のほうは人を選ぶようである。
楽器の見た目から自然に扱う技量まで話が進んでしまった。
一度所謂目利きにただ外観から楽器を選ばせてみたら面白いだろう。大抵の奏者は楽器を選ぶことにある種の恐怖心を抱いているはずである。それは以上書いたことから察しもつくと思う。
名器は代々名手にのみ扱われることによってそのたたずまいの風格があがっているかもしれない。器と同じように。
そこは目利きの世界であり、凡庸な奏者より「正しく」判断するかもしれない。
日本のテレビのバラエティー番組ほど下劣なものはないが、このような、外見だけで楽器を判断する番組があったら見たいね。
ピアノは工業生産品だが、それでも古くなってくればくるほど、一種の工芸品としての性格を帯びる。面白いことだ。
もう少し続ける。書いているうちに面白くなってしまった。