季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

ドイツ奏法

2015年03月09日 | 音楽
小耳に挟んだ噂によれば、ドイツ奏法というのがあるらしい。

そしてそれは大層固い、不自然な奏法だという。

ドイツ=固い そうそう、そうなんだよね。野暮天だしね。

そんな会話や雰囲気を経験しているのは僕だけではあるまい。

でもそんな奏法があると信じて疑わない人に問いたいね。

ゼルキンやケンプ(フレディではないよ)の映像を見たことがないのかな?あるいはもっと、エドウィン・フィッシャーの音を聴いたことがないのかな?

フィッシャーの音に至っては、これ以上柔らかい音は鐘や太鼓を叩いて捜したって見つからないではないか。

ゼルキンの手を見てごらんなさい。グニャグニャだ。まぁ、ドイツ奏法とやらを信じている人は「彼らは年寄りだから」とか適当な理由を見つけるだろうが。

その人たちの拠り所はロシア奏法でありナポリ奏法であり、僕はそのうちコンゴ奏法とか南極奏法が唱えられるのではないかと期待するほどである。

昨今のドイツ人が固い演奏をする傾向にあるのは本当だ。

でもそれは単に生真面目さと下手くそのコンビネーションさ。

演奏に地域性があるのは、とくに昔は、本当だ。だからこそ流派とか奏法とかが素朴に語られた。特徴がはっきり出て聞こえ美しければ、例えばポーランド人は鉤鼻が多いといったような他愛もない話なのさ。

名手がボヘミアから来た。するとドイツ人の演奏とは違った特徴がある。そこでボヘミア奏法と呼ぶようになる。彼の地に有力な教師がいればその呼称はいよいよ本当らしく聞こえる。

まぁこんな具合に様々な奏法が出来たと思われる。

美しければ誰が何奏法でも何の不便もなかったわけだ。

今日では事情は異なる。例えばこのドイツ奏法である。

大抵の学習者は殆ど根拠もなくドイツやフランスに憧れを持つものだ。

その時にドイツ奏法=固いと思い込んでご覧なさい。留学先でさえ影響するだろう。

あるいは固い演奏しか出来ない人が「私はドイツ奏法です」と居直ったりしてね。

今日◯◯奏法と見たら頬っぺたをつねった方が良い。