Youtubeを適当に検索していると思いもかけない映像に出会うことがある。
シュヴァイツァーがアフリカでバッハを練習しているひとコマだ。こんなものがあるとは知らなかった。
僕は若い時分、同じ年頃の青少年と同様に、よく分からぬイライラに襲われた生活を送っていた。そんな時の昼間はハイドンのカルテット、夜はシュヴァイツァーのオルガンを聴いて気持ちをなだめることが多かった。
シュヴァイツァーの演奏は落ち着きに満ち、静かで、それでいて巨大である。昔シャーマーからバッハのオルガン曲の校訂版が出ていた。買おうにも経済が許さず、後回しになっているうちに市場から姿を消してしまった。今となってはそれをつくづく残念に思う。
彼が亡くなった時、新聞紙上でグールドが「このような人が亡くなった今、人々の尊敬と愛情を一身に受けるのはメニューイン以外にない」といったことを書いていて、当時の僕にはグールドの意外な一面を見たような、怪訝な感情を持ったことを覚えている。
昨今のオルガン演奏は、むしろ豊富なパイプの組み合わせに翻弄されたようで、ざわざわと落ち着かずひとつも心に響くものがない。
練習するシュヴァイツァーの樫の木のような腕を見てもらいたい。このような素朴な力強さが彼の演奏の性質なのである。イラつく小僧の気持ちをなだめるにはこの演奏が必要だった。
音源もひとつ紹介しておこうか。
テクニックのページはこちら
シュヴァイツァーがアフリカでバッハを練習しているひとコマだ。こんなものがあるとは知らなかった。
僕は若い時分、同じ年頃の青少年と同様に、よく分からぬイライラに襲われた生活を送っていた。そんな時の昼間はハイドンのカルテット、夜はシュヴァイツァーのオルガンを聴いて気持ちをなだめることが多かった。
シュヴァイツァーの演奏は落ち着きに満ち、静かで、それでいて巨大である。昔シャーマーからバッハのオルガン曲の校訂版が出ていた。買おうにも経済が許さず、後回しになっているうちに市場から姿を消してしまった。今となってはそれをつくづく残念に思う。
彼が亡くなった時、新聞紙上でグールドが「このような人が亡くなった今、人々の尊敬と愛情を一身に受けるのはメニューイン以外にない」といったことを書いていて、当時の僕にはグールドの意外な一面を見たような、怪訝な感情を持ったことを覚えている。
昨今のオルガン演奏は、むしろ豊富なパイプの組み合わせに翻弄されたようで、ざわざわと落ち着かずひとつも心に響くものがない。
練習するシュヴァイツァーの樫の木のような腕を見てもらいたい。このような素朴な力強さが彼の演奏の性質なのである。イラつく小僧の気持ちをなだめるにはこの演奏が必要だった。
音源もひとつ紹介しておこうか。
テクニックのページはこちら