季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

バッハの懐の深さ

2017年09月26日 | 音楽
芸のないタイトルになっているが。

テンポひとつとってみたまえ。ずいぶん色々なテンポが可能なはずだ。そしてそれにつれてアーティキュレーションをはじめ、表現は変わってゆく。

ヘ短調インヴェンションを例にしようか。

今日もっとも多く聴かれるのは恐らくmoderatoでレガートを主体とする演奏だろう。

ところがこの曲はallegro giusto で演奏することもできる。こちらが多数派だった時代もあるのではないだろうか。この場合はノンレガート主体の演奏になる。

どちらが正しいのかという詮索はする必要がない。どちらも充分に音楽的である。僕自身あれこれの表情を楽しむ。

人の演奏を聴く場合はなおさらだ。ノンレガートで弾かれた演奏に対してレガートが出来ていないと論評するのは、うどんを注文してそば粉が入っていないとクレームをつけるようなものだ。

インヴェンションにせよ、平均律にせよ、すべての曲がこの様な多様性を持つわけではない。しかし半数くらいは様々な表現が可能だろう。

かつてある人と試験後にした会話を思い出す。バッハの曲について、あんなテンポあると思います〜〜?と言うのだ。ところが有るんだな、これが。

似たことはオーディションやコンクールの評でしばしば出くわす。それはいかにも残念なのである。

上記の曲でもよし、平均律vol.1変イ長調などでもよし。

後者なぞ驚くほど違った表情を見せてくれる。それを楽しんでみることを勧める。