季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

シャーロックホームズ、或いは音楽

2019年04月05日 | 音楽
シャーロックホームズのシリーズを読んでいると彼が麻薬を嗜む場面に出くわす。この辺りは時代の変遷を感じる。

ホームズはヴァイオリンを弾く人物として描かれている。演奏する時に薬を吸っていたのか、そうした細部はもう記憶していないのだが。ワトスンが訪ねるとソファで嗜んでいる描写があったように思う。

デュマ辺りの小説でもハシシュなどが洒落た取り上げられ方をしていたような記憶がある。デュマに関してはなにぶん60年近く以前の子供の読書だから記憶違いかもしれないが。

感覚というものに依拠した作曲の場合、こうした薬物に手を出す人がいるのではと思う。

間違えないように。僕が言うのは現代に生きる人ではなく、ホームズの時代の人のことである。

ドビュッシーの「レントよりなお遅く」は感覚派の欠点を曝け出した駄作だと僕は思う。ここでの弛緩し切った精神は麻薬を吸ったかのようだ。感覚だけに頼るとこうなるという格好の見本だろう。

といって主知派?が良いのではない。何と言われようと音楽は感覚的に捉えなければいけない。感覚なのか知性なのかという二者択一はあってはならないのである。