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タイに来るといつもの事なのですが、普段やたらと早寝早起きの私。おそらく大抵の皆さんとは日本での生活時間帯そのものが”時差がある”レベルなのですが、タイでは実際の時差の関係で更に早起きになります。あまりに早すぎる起床時間の抑制材料は前日の深酒...という具合。くらいうちにシャワーを浴びて、髭をそったら1階のレストランに降りてコーヒーを飲みながら前日の日記をつけるのがチェンマイでの朝の過ごし方です。
スーパーカブで旅するタイ北部やタイ&ラオス路線バスの旅では到着翌日は結構やることがあります。スーパーカブで旅するタイ北部の場合はバイクの確保や地図の購入、パスポートのコピーなど。タイ&ラオス路線バスの旅に至っては、到着翌日から精力的に移動をかけないといけません。そして、これら全てを私自身がコントロールする必要があります。そして、ともすればコントロールから外れてしまいそうになる現実をなんとかコントロール下に引き止めるのも全て私の仕事となるので、ある意味忙しいし、同時に、その日の行動のほぼ全てに関して私だけは大体の流れを掴んでいる事になります。
ところが今回は全然違います。今日からの2泊3日は現地のガイドのプランで進みます。私の頭のなかにあるのは30年前の記憶のみ。とにかく荷物を極力減らそうと、朝食の後、必要ないものを全て1つのスタッフバッグにまとめるわけですが、もともと荷物の少ない私にとって、必要ないものなどほぼありません。川を渡ったり、雨に降られたりする事を想定して慎重に防水する方が重要です。今回は写真の撮影が1つの目的でもあるので、カメラ3台に3脚、予備バッテリーなど、どうしても削れない荷物も結構あって、デイバッグとカメラバッグの2つを持っていくことにしました。これを持って歩けるかどうか、若い頃と違って体力も落ちているので不安が過ります。
不要な荷物は部屋に置いていって良いという親切な言葉に、”荷物はまとめておくので、他のお客さんが来たら遠慮なく放り出しておいて”と告げて、いよいよ出発。ガイドのプー氏が準備した荷物を見ると、とてもじゃないけれど担いで歩けそうにありません。少し疑問が頭を過るのですが、まあ、彼らなりに準備しているのでしょう。
チェンマイから南西へ1時間ほど車で移動。今回の目標エリアはドイ・インタノン国立公園。最初は竹の筏で川を下ります。このバンブーラフティングについては若い頃の記憶があります。その頃のトレッキングでは移動の1部に竹の筏での移動が含まれていたことが多かったのですが、竹を縛り合わせただけの質素な筏に素人ばかりが乗っかってホワイトウォーターの激流を下るわけですから危険きわまりないのです。岩に乗り上げてスタックするとガイドが激流に入って押すように指示するのですが、この時、何度も”死ぬか”と思ったのでした。ところが今回のバンブーラフティングは小さい川をゆったり下ります。と言ってもコントロールはなかなか難しく、軽い緊張感で、思いの外楽しめます。1時間ほど下って、最後はガイドのスペシャルテクニックで小さい滝をドンと落ちたらゴールです。
実は昔の記憶のお陰で、最初から”バンブーラフティングは次回から無し”と現地へ伝えるつもりだったのですが、現代のバンブーラフティングは思いの外楽しめたのでした。
バンブーラフティングのゴール地点で車と合流。ここから少し車で移動してカレン族の村へ到着。ここで地元のガイド、トン氏と合流していよいよ歩き始めるのですが、ここで驚きの事実が発覚。朝、あれほど慎重に荷造りしたのに、どうやら水筒や身の回りの物以外は車で目的地へ運べるとの事。私はカメラバッグに水筒を装着して、これだけ持って行くことにしました。
スタート地点のカレン族の村は観光化が進んでいて、民芸品が高い値段で売られています。チェンマイで買ったほうが安いくらい。スカーフ1枚おるのに3日かかる等、よく観光地で聞かされる苦労話を話半分に聞いた後は森へ入ります。ルートは美しい渓流沿いで、木陰であるお陰で随分涼しいのです。手ぶらであることと相まって、歩きはじめは呑気な森林散策のイメージだったのですが、すぐに考えを改めさせられました。思いの外アップダウンもあり、道路も狭く、倒木や岩盤を乗り越えたりハイキングルートとは明らかに違うタイ北部森林地帯の荒々しいトレールが現れてあっという間に全身が汗だくとなります。それでも道路沿いには時々美しい滝が現れて、ひんやりする空気を送ってくれるのです。
2時間ほど歩いたら大きな滝に到着。ここで昼食をとって一休み。バナナの葉に包まれたカオパット(タイ風チャーハン)を食べて、30分ほど昼寝。
午後再びあるきはじめて2時間ほど。踏み分け道はガイドのトン氏もわからなくなるようで、途中で出会った地元の人に確認すること数度。突然現れた長く厳しい上り坂を登りきったら視界が開けて村に到着。見慣れたプー氏の4WDが停まっておりました。
健脚の我々は想定より早く着いたようです。宿舎となる建物には既に荷物が運び込まれています。少し休憩していると村の子供達がビーズの飾りを売りにやってきました。やってきたのは良いのですが、どうも我々に声をかける勇気がないようで、何度も引き返して行きます。勇気を奮い起こしておずおずと声をかけてきたのですが、私に断られた瞬間、全力ダッシュで逃げていきました。
トイレになっている建物に給水塔から水が引かれていました。今日は散々汗をかいたのでタオルを持って水浴びに。水シャワーが火照った体に心地よいのです。ただし、着替えは持っていないので再び汗だくの衣類を身に着けます。
お土産を売るのを諦めた子供たちをポラロイドで撮影して皆にプリントアウトした写真を渡したりしていたらプー氏が大声で呼んでいます。何事かと行ってみると明らかに手製と思える銃を手入れしている若者が1人。写真を撮ったりしていたら、手入れの終わった銃を渡されました。
パキスタンやイランを旅していた頃、カラシニコフを手渡されて”撃ってみろ”と言われたことが何度もありますが、”人を撃つために設計された銃”を遊びでも撃つ気にはなれなくて全て断ってきました。でも、この素朴な銃は山岳民族の狩猟用。若者が少し離れたところに置いてくれたペットボトルの的に向けて目見当で(この銃に照準器は無い)引き金を絞ってみたら、うっかり、命中。そして何故か周囲の人達は大爆笑(なぜだ?)。
プー氏の料理してくれた素朴な夕食を待ちながら村で売られていたビールを飲んでいると、子供たちがゴムでできたピンクのカバにまたがってピョンピョン跳ねながらやってきました。しばらく彼女達とピンクのカバで遊んでいるうち、夕食が完成。夕食を終えた頃にはすっかり日が暮れて、電気の無いこの村は真っ暗です。少数民族の人々も頭にヘッドランプをつけて村内を歩いています。
私は星の写真を撮ろうと三脚を持ち出して村の広場へ。何度も挑戦するのですが、どうしてもうまくいかないうちに夕食の際に飲んだ地元の焼酎が体を駆け巡りはじめて早めに宿舎のマットレスに横になったのでした。
スーパーカブで旅するタイ北部やタイ&ラオス路線バスの旅では到着翌日は結構やることがあります。スーパーカブで旅するタイ北部の場合はバイクの確保や地図の購入、パスポートのコピーなど。タイ&ラオス路線バスの旅に至っては、到着翌日から精力的に移動をかけないといけません。そして、これら全てを私自身がコントロールする必要があります。そして、ともすればコントロールから外れてしまいそうになる現実をなんとかコントロール下に引き止めるのも全て私の仕事となるので、ある意味忙しいし、同時に、その日の行動のほぼ全てに関して私だけは大体の流れを掴んでいる事になります。
ところが今回は全然違います。今日からの2泊3日は現地のガイドのプランで進みます。私の頭のなかにあるのは30年前の記憶のみ。とにかく荷物を極力減らそうと、朝食の後、必要ないものを全て1つのスタッフバッグにまとめるわけですが、もともと荷物の少ない私にとって、必要ないものなどほぼありません。川を渡ったり、雨に降られたりする事を想定して慎重に防水する方が重要です。今回は写真の撮影が1つの目的でもあるので、カメラ3台に3脚、予備バッテリーなど、どうしても削れない荷物も結構あって、デイバッグとカメラバッグの2つを持っていくことにしました。これを持って歩けるかどうか、若い頃と違って体力も落ちているので不安が過ります。
不要な荷物は部屋に置いていって良いという親切な言葉に、”荷物はまとめておくので、他のお客さんが来たら遠慮なく放り出しておいて”と告げて、いよいよ出発。ガイドのプー氏が準備した荷物を見ると、とてもじゃないけれど担いで歩けそうにありません。少し疑問が頭を過るのですが、まあ、彼らなりに準備しているのでしょう。
チェンマイから南西へ1時間ほど車で移動。今回の目標エリアはドイ・インタノン国立公園。最初は竹の筏で川を下ります。このバンブーラフティングについては若い頃の記憶があります。その頃のトレッキングでは移動の1部に竹の筏での移動が含まれていたことが多かったのですが、竹を縛り合わせただけの質素な筏に素人ばかりが乗っかってホワイトウォーターの激流を下るわけですから危険きわまりないのです。岩に乗り上げてスタックするとガイドが激流に入って押すように指示するのですが、この時、何度も”死ぬか”と思ったのでした。ところが今回のバンブーラフティングは小さい川をゆったり下ります。と言ってもコントロールはなかなか難しく、軽い緊張感で、思いの外楽しめます。1時間ほど下って、最後はガイドのスペシャルテクニックで小さい滝をドンと落ちたらゴールです。
実は昔の記憶のお陰で、最初から”バンブーラフティングは次回から無し”と現地へ伝えるつもりだったのですが、現代のバンブーラフティングは思いの外楽しめたのでした。
バンブーラフティングのゴール地点で車と合流。ここから少し車で移動してカレン族の村へ到着。ここで地元のガイド、トン氏と合流していよいよ歩き始めるのですが、ここで驚きの事実が発覚。朝、あれほど慎重に荷造りしたのに、どうやら水筒や身の回りの物以外は車で目的地へ運べるとの事。私はカメラバッグに水筒を装着して、これだけ持って行くことにしました。
スタート地点のカレン族の村は観光化が進んでいて、民芸品が高い値段で売られています。チェンマイで買ったほうが安いくらい。スカーフ1枚おるのに3日かかる等、よく観光地で聞かされる苦労話を話半分に聞いた後は森へ入ります。ルートは美しい渓流沿いで、木陰であるお陰で随分涼しいのです。手ぶらであることと相まって、歩きはじめは呑気な森林散策のイメージだったのですが、すぐに考えを改めさせられました。思いの外アップダウンもあり、道路も狭く、倒木や岩盤を乗り越えたりハイキングルートとは明らかに違うタイ北部森林地帯の荒々しいトレールが現れてあっという間に全身が汗だくとなります。それでも道路沿いには時々美しい滝が現れて、ひんやりする空気を送ってくれるのです。
2時間ほど歩いたら大きな滝に到着。ここで昼食をとって一休み。バナナの葉に包まれたカオパット(タイ風チャーハン)を食べて、30分ほど昼寝。
午後再びあるきはじめて2時間ほど。踏み分け道はガイドのトン氏もわからなくなるようで、途中で出会った地元の人に確認すること数度。突然現れた長く厳しい上り坂を登りきったら視界が開けて村に到着。見慣れたプー氏の4WDが停まっておりました。
健脚の我々は想定より早く着いたようです。宿舎となる建物には既に荷物が運び込まれています。少し休憩していると村の子供達がビーズの飾りを売りにやってきました。やってきたのは良いのですが、どうも我々に声をかける勇気がないようで、何度も引き返して行きます。勇気を奮い起こしておずおずと声をかけてきたのですが、私に断られた瞬間、全力ダッシュで逃げていきました。
トイレになっている建物に給水塔から水が引かれていました。今日は散々汗をかいたのでタオルを持って水浴びに。水シャワーが火照った体に心地よいのです。ただし、着替えは持っていないので再び汗だくの衣類を身に着けます。
お土産を売るのを諦めた子供たちをポラロイドで撮影して皆にプリントアウトした写真を渡したりしていたらプー氏が大声で呼んでいます。何事かと行ってみると明らかに手製と思える銃を手入れしている若者が1人。写真を撮ったりしていたら、手入れの終わった銃を渡されました。
パキスタンやイランを旅していた頃、カラシニコフを手渡されて”撃ってみろ”と言われたことが何度もありますが、”人を撃つために設計された銃”を遊びでも撃つ気にはなれなくて全て断ってきました。でも、この素朴な銃は山岳民族の狩猟用。若者が少し離れたところに置いてくれたペットボトルの的に向けて目見当で(この銃に照準器は無い)引き金を絞ってみたら、うっかり、命中。そして何故か周囲の人達は大爆笑(なぜだ?)。
プー氏の料理してくれた素朴な夕食を待ちながら村で売られていたビールを飲んでいると、子供たちがゴムでできたピンクのカバにまたがってピョンピョン跳ねながらやってきました。しばらく彼女達とピンクのカバで遊んでいるうち、夕食が完成。夕食を終えた頃にはすっかり日が暮れて、電気の無いこの村は真っ暗です。少数民族の人々も頭にヘッドランプをつけて村内を歩いています。
私は星の写真を撮ろうと三脚を持ち出して村の広場へ。何度も挑戦するのですが、どうしてもうまくいかないうちに夕食の際に飲んだ地元の焼酎が体を駆け巡りはじめて早めに宿舎のマットレスに横になったのでした。
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