1998年のUAEデザートチャレンジという砂漠のラリー、2日目の出来事でした。
とにかく遅い私はほぼ最後尾のスタート。2輪が先にスタートするわけですが、あっという間に4輪のトップグループは私の事をぶち抜いて行きました。何と言ってもここで走っているトップグループはパリダカールラリーにも出場しているファクトリーチームですから私が同じところにいることがとんでもなく場違いな話。私の速度は高速道路を自転車で走ってるみたいなものでした。
たまたま同時にスタートした、名目上のチームメイトのO氏はしばらくランデブーで走ったけれども私の遅さに我慢できなくなったのか、いつの間にか先行してしまったようです。スタートしてしばらくすると、昨夜、主催者側から”かなり厳しい砂丘だけれど、距離は5km程度だから頑張って”という説明を受けていた砂丘に到着しました。
ここの砂はパウダー状で、本当にフカフカ。大抵の砂丘では上り坂じゃなければ極端にスタックしそうになることはないのですが、ここはちょっとしたコブにフロントタイヤが掛かっただけで油断するとスタックしそうです。私は遅いながらも、走りやすいところを探すのは得意なのですが、四苦八苦。小さな丘を超えるときにスタックしそうになったのを機会に下り坂へバイクを止めて、少し絶望的な気分を立て直そうと周囲を見渡してみたのです。
右前方では青い小排気量車に乗ったチームメイトのO氏がまるでイルカのように連続した砂丘を超えていく姿が一瞬見えました。さすがです。
あまりに遅いため、他の車輌と滅多に出会わない私ですが、ここでは周囲に他の車輌がいっぱいいます。私の乗っている非力な250ccのバイクよりずっとパワーのあるバイクが四苦八苦している姿や、スタックから出れなくなって諦めてしまった様子のライダー、ラジエターから激しく水蒸気を吐き出しているバイク等。冷静になろうとしてバイクを止めたのに、目に飛び込んでくる情報は全て私にとって絶望的な内容ばかりです。
速さもテクニックも無い私にはここを超えていくのは無理なようです。”鉄の墓場”..そんな言葉が頭に浮かびます。
とにかくあまり高い登りの無いルートを探りながら、間違って低いところへ降り切ってしまわないように注意しながら、少しスピードが乗ったら少しでも標高をあげて、いつでも下りで加速できるように工夫して少しずつ先へ進みます。
前年の同ラリーで、スタックしてしまうと時間的にも体力的にも大きなロスをすることを身にしみて思い知った私は、とにかく一つ一つの砂丘をどう越えるのかを慎重に考えながら進みます。何度もバイクを止めてルートを考えてから進むのですが、下手な所で止めればその事自体がスタック原因になりえます。
一つの砂丘の手前でO氏の青いマシンと再会。水冷エンジンには酷な環境だったのか、オーバーヒートして派手に水蒸気を吐き出しています。私は前方でベストラインを塞いで倒れている大排気量のバイクが再スタートするのを待っているところです。
”少しエンジン冷やさないとだめだぁ”というO氏としばらく雑談。もはやレースどころではなく、ここを生きて抜けるにはどうするかという状態です。ここへ来たことを後悔する余裕すらありません。
空冷エンジンのバイクに乗った私、O氏ほど速く走れないおかげでエンジンの温度もそれほど上がっていないので、”それじゃあ、先に行きますね”という事でもうしばらく頑張って進みます。
まだまだ厳しい砂丘が続き、何度もスタックしそうになりながら進んでいくと、いつの間に追いついたのか左前方のひときわ高い砂丘群では、なんとパリ・ダカール・ラリーのトップクラスの車両、篠塚さんのパジェロやシュレッサーのブルーのバギーがスタックしそうになりながら右へ左へハンドルを切ったり、一度引き返したりしている姿が見えたのです。
この光景に私の心は完全に砕け散りました。下り坂へ向けてバイクを止めたまま、ただただ竦んだように動けなくなってしまいました。前方ではシュレッサーチームの青いバギーが2台、牽引ロープを使って先へ進もうとしています。それをテレビの映像でも見るような麻痺した気持ちでしばらく眺めていたのです。
ふと気がつくと、その光景を沢山のカメラマンが撮影しています。周囲を見渡すともっとたくさんのカメラマン。いっぱい人が居ることで生命の危険を感じなくなったからか、少し冷静さを取り戻す事には成功したのですが、だからといってライディングテクニックがうまくなるわけでもありません。無理なものは無理。
”この人達、どこから来たんだろう?”
ちょっとした疑問が頭をよぎります。プレスの人達が乗っている車はラリー用の車両ではなくてレンタカーの四輪駆動車。つまりノーマル車。
”とりあえず、プレスの人達の近くにいれば死ぬ前には助けてもらえるかも。”と甘い考えがよぎった私は右前方のプレス車両へ向けて砂丘を進みます。左前方よりは低めの砂丘が続いています。
プレス車両のすぐ横まで行ったときに、謎が氷解。砂丘の隙間に、自然にできたものなのか、人為的なものなのかわかりませんが黒い小石が積もっているところがあって、この小石のお陰でプレスカーはスタックせずに砂丘群に入ってきているようです。しかも嬉しいことにこの小石ルートはどうやら前方へ向かって続いています。プレスカーはコースに対して対面して停まっているので、方角的には砂丘群の出口から入ってきたに違いありません。
この小石ルートがどこで途切れて地獄が待っているのかドキドキしながらもこのルートを進んでいくと、あっけなく砂丘群から抜け出して未舗装とはいえ広い道に出たのでした。
結果、私は人生で一度、ダカールラリーのトップ車両をまとめて抜き去る事に成功したのでした。
もちろんのこと、数分後には凄まじい速度で駆け抜けていく篠塚さんのパジェロに素直に道を明けたのは言うまでもありません。
とにかく遅い私はほぼ最後尾のスタート。2輪が先にスタートするわけですが、あっという間に4輪のトップグループは私の事をぶち抜いて行きました。何と言ってもここで走っているトップグループはパリダカールラリーにも出場しているファクトリーチームですから私が同じところにいることがとんでもなく場違いな話。私の速度は高速道路を自転車で走ってるみたいなものでした。
たまたま同時にスタートした、名目上のチームメイトのO氏はしばらくランデブーで走ったけれども私の遅さに我慢できなくなったのか、いつの間にか先行してしまったようです。スタートしてしばらくすると、昨夜、主催者側から”かなり厳しい砂丘だけれど、距離は5km程度だから頑張って”という説明を受けていた砂丘に到着しました。
ここの砂はパウダー状で、本当にフカフカ。大抵の砂丘では上り坂じゃなければ極端にスタックしそうになることはないのですが、ここはちょっとしたコブにフロントタイヤが掛かっただけで油断するとスタックしそうです。私は遅いながらも、走りやすいところを探すのは得意なのですが、四苦八苦。小さな丘を超えるときにスタックしそうになったのを機会に下り坂へバイクを止めて、少し絶望的な気分を立て直そうと周囲を見渡してみたのです。
右前方では青い小排気量車に乗ったチームメイトのO氏がまるでイルカのように連続した砂丘を超えていく姿が一瞬見えました。さすがです。
あまりに遅いため、他の車輌と滅多に出会わない私ですが、ここでは周囲に他の車輌がいっぱいいます。私の乗っている非力な250ccのバイクよりずっとパワーのあるバイクが四苦八苦している姿や、スタックから出れなくなって諦めてしまった様子のライダー、ラジエターから激しく水蒸気を吐き出しているバイク等。冷静になろうとしてバイクを止めたのに、目に飛び込んでくる情報は全て私にとって絶望的な内容ばかりです。
速さもテクニックも無い私にはここを超えていくのは無理なようです。”鉄の墓場”..そんな言葉が頭に浮かびます。
とにかくあまり高い登りの無いルートを探りながら、間違って低いところへ降り切ってしまわないように注意しながら、少しスピードが乗ったら少しでも標高をあげて、いつでも下りで加速できるように工夫して少しずつ先へ進みます。
前年の同ラリーで、スタックしてしまうと時間的にも体力的にも大きなロスをすることを身にしみて思い知った私は、とにかく一つ一つの砂丘をどう越えるのかを慎重に考えながら進みます。何度もバイクを止めてルートを考えてから進むのですが、下手な所で止めればその事自体がスタック原因になりえます。
一つの砂丘の手前でO氏の青いマシンと再会。水冷エンジンには酷な環境だったのか、オーバーヒートして派手に水蒸気を吐き出しています。私は前方でベストラインを塞いで倒れている大排気量のバイクが再スタートするのを待っているところです。
”少しエンジン冷やさないとだめだぁ”というO氏としばらく雑談。もはやレースどころではなく、ここを生きて抜けるにはどうするかという状態です。ここへ来たことを後悔する余裕すらありません。
空冷エンジンのバイクに乗った私、O氏ほど速く走れないおかげでエンジンの温度もそれほど上がっていないので、”それじゃあ、先に行きますね”という事でもうしばらく頑張って進みます。
まだまだ厳しい砂丘が続き、何度もスタックしそうになりながら進んでいくと、いつの間に追いついたのか左前方のひときわ高い砂丘群では、なんとパリ・ダカール・ラリーのトップクラスの車両、篠塚さんのパジェロやシュレッサーのブルーのバギーがスタックしそうになりながら右へ左へハンドルを切ったり、一度引き返したりしている姿が見えたのです。
この光景に私の心は完全に砕け散りました。下り坂へ向けてバイクを止めたまま、ただただ竦んだように動けなくなってしまいました。前方ではシュレッサーチームの青いバギーが2台、牽引ロープを使って先へ進もうとしています。それをテレビの映像でも見るような麻痺した気持ちでしばらく眺めていたのです。
ふと気がつくと、その光景を沢山のカメラマンが撮影しています。周囲を見渡すともっとたくさんのカメラマン。いっぱい人が居ることで生命の危険を感じなくなったからか、少し冷静さを取り戻す事には成功したのですが、だからといってライディングテクニックがうまくなるわけでもありません。無理なものは無理。
”この人達、どこから来たんだろう?”
ちょっとした疑問が頭をよぎります。プレスの人達が乗っている車はラリー用の車両ではなくてレンタカーの四輪駆動車。つまりノーマル車。
”とりあえず、プレスの人達の近くにいれば死ぬ前には助けてもらえるかも。”と甘い考えがよぎった私は右前方のプレス車両へ向けて砂丘を進みます。左前方よりは低めの砂丘が続いています。
プレス車両のすぐ横まで行ったときに、謎が氷解。砂丘の隙間に、自然にできたものなのか、人為的なものなのかわかりませんが黒い小石が積もっているところがあって、この小石のお陰でプレスカーはスタックせずに砂丘群に入ってきているようです。しかも嬉しいことにこの小石ルートはどうやら前方へ向かって続いています。プレスカーはコースに対して対面して停まっているので、方角的には砂丘群の出口から入ってきたに違いありません。
この小石ルートがどこで途切れて地獄が待っているのかドキドキしながらもこのルートを進んでいくと、あっけなく砂丘群から抜け出して未舗装とはいえ広い道に出たのでした。
結果、私は人生で一度、ダカールラリーのトップ車両をまとめて抜き去る事に成功したのでした。
もちろんのこと、数分後には凄まじい速度で駆け抜けていく篠塚さんのパジェロに素直に道を明けたのは言うまでもありません。
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